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窓際神官は月を見上げる  作者: のむらなのか
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第29話《side:シナト》

黒い羽がシナトの死まで最短ルートで向かってくる。それが第2ラウンド幕開けの合図だった。

実際の攻撃よりも先にヴァンクリフの殺意がシナトの肌に刺さるのが見えるから、羽を避けるのは容易いが……避けようもない人の悪意は肌を貫き心まで到達する。透明な血が溢れ出ても命に別状はないけれど、本当はそんなに平気な訳じゃない。

けれどその痛みは受け取らなければならない。シナトはこの特殊な目の恩恵を享受しているのだから、その不利益もまた受け入れなければならない。本来隠しておきたい人の本音を盗み見る自分の、せめてのも罪滅ぼしとして。

ヴァンクリフは羽ばたきとともに地上から離れ、高みからシナトを見下ろしている。この『見下ろす』という所に彼の強いこだわりがあるようだ。彼にとってシナトは低位で無能で汚物。それ以外の何者でもない。対話などありえない。シナトにはよく分からないのだけれど……そんな風に人を見下して生きる世界ってどんなものなのだろう。

むしろ生きにくいだろと思うのだけれど。世界の大半を蔑んで、残りは敵で憎んで、どこに安らぎがあるんだろう。結構地獄だと思うけど。

ヴァンクリフの背中から生えた翼は窮屈な純白の法衣を突き破っている。白と黒のコントラスト。彼は全てのしがらみから解放されて、ただ背徳を楽しんでいた。

「ああ……とても呼吸がスムーズだ。己の欲望をさらすという行為がこんなにも強い快感を得られるものだったとは」

露出狂じゃないんだから、と思ったけど流石に口には出さない。

「ただの露出狂ね」

ミカエルが言った。あー……と思うと同時にカッと顔を赤くしたヴァンクリフがシナトを睨みつけた。理不尽だな……?

黒翼がはためき、風が巻き起こった。それに紛れて再び羽が飛んでくる。今度は少し複雑な動き。風の中を泳ぐように向かってくるから軌道が読みにくい。……いや、違う。羽に宿った悪意が薄い。

ヴァンクリフの影が壁に映っている。重い悪意はそちらに宿っている。羽を避けて飛びさすれば、ズズズ……ッと影が伸びた。壁をつたって床に、天井にと伸びた影が四方からシナトに迫る。

「シナト!」

名前を呼ばれた。呼んだのはリリールゥカ。馬鹿!って言ったのはミカエルで、何の声も出さなかったのはナキ。けれどシナトに届く想いは三つ。音は違っても色は同じ。シナトを心配してる。

カサネは……心配してない。面白がっている。

「……」

右手を背後に隠し素早くカサネに合図を送り、同時に左手で術を発動させる。指先が淡く光って、光は形を変えて、そして透き通る羽の蝶になった。

一、二、三……十……二十……五十……百……と瞬時に数多の蝶が生まれ、繋がり、空中を散歩できる一筋の道になった。

シナトは蝶の道を駆け上がり、迫り来る影をかわす。

シナトの意思に従って蝶は動く。後列の蝶が前列の前に動けばどんどん道は伸びる。伸びた道をどんどん進み、窓から外へ、また駆けのぼり、気がついたら随分高い所に来ていた。

庭園が一望できる。いつの間にか空には細い月が出ている。ぬるい風がシナトの髪と法衣の裾を靡かせる。

「……」

下からヴァンクリフ一級神官が何か叫んでいた。

言語として聞き取れない。彼の声は黒い小さな蟲の集合体に視える。彼が喋る度に蟲が撒き散らされている。本当はそんな蟲はいないのだろう。あれは彼の悪意のこもった言葉がシナトの目にはそう視えるというだけで。しかしあれはシナトにとっても有害だが、ヴァンクリフ自身にも毒だろう。あんな攻撃的な悪意が身体に巣食ってる状態は。

……視え過ぎるのも良くないな。溜め息が出た。ヴァンクリフの悪意を視ていると悪酔いしそうである。

シナトは何度か瞬きを繰り返し、少し視力を下げた。

「……」

周囲を見渡すと、自分が通った道すがらに数頭の蝶が迷い子のように残っていた。月光を浴びて蒼く光ってなかなか綺麗だ。

あれはシナトの術力を使って生み出した蝶ではあるが、術力を具現化したものではない。あの蝶は空気中の水蒸気を凍らせて作っている。術力の少ない自分は出来るだけ力をケチらなければならないから。

それ以外にもメリットはある。

術力を具現化したものではなく、空気中の水蒸気を凍らせたものということは、誰でも触れられるということだ。妖力を持った人であっても。力が反発することはない。つまり、

「おっと」

シナトの身体がぐらりと揺れた。下から黒い翼の攻撃を受けた為に蝶の隊列が乱れたからだ。

蝶の羽が砕け散り、きらきらと地上に舞い落ちていく。後退り、蝶を動かしていくが、どんどん足場は細く、短くなっていく。やがてとうとう最後の一頭が砕けた時、シナトの身体は真っ逆さまに落ちていった。

ヴァンクリフの目が見開き、広角が吊り上げる。



その歓喜の表情は彼が心から渇望する未来を幻視したからだろう。



……あら。

とそこで初めてシナトは驚いた。シナトが予想した光景ではないものを見たからだ。

嗤うヴァンクリフの頭上に躍り出た小柄な影。

シナトが残しておいた蝶に蜘蛛の糸をかけ、シナトが囮になっている間にそれを足場に駆け上がってくるのは、シナトの予想ではカサネがナキであるはずだったが。



ぴょん、とヴァンクリフの背中に飛び乗ったのはリリールゥカだった。

ギョッとした表情になったヴァンクリフが背後を振り返ったのと、眼帯を外した少女が両手を伸ばしたのは同時だった。

リリールゥカはヴァンクリフの両頬に手を添えて固定すると、おもむろに顔を覗き込んだ。

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