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窓際神官は月を見上げる  作者: のむらなのか
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第28話《side:リリールゥカ》

シナトとカサネを飲み込んだ巨大な影は今は消え去り、ヴァンクリフの足元には通常の影が伸びているだけだ。

「カサネ様まで入っていかれるとは……。あの娘を庇ったということか……?」

苛立たしげに口の中で呟いていたヴァンクリフだったが、すぐに考えを変えたようだった。

「……まぁ、いい。あの小娘を始末した後、あの方に相応しい環境を整えてお迎えすればいいだけだ」

自分の言葉に納得して、一級神官は恍惚とした表情になった。

ナキが動く。

白狼の鋭い爪がヴァンクリフに迫るが、それはふわりとかわされる。ヴァンクリフの背中には鴉に似た黒い翼が生えていた。

異形の力を取り込んでしまったのだ。

自身の館の廊下で、舞台役者のように大仰に腕を広げ、ヴァンクリフは語った。

「今はとてもクリアにものが考えられる。異形の力を得ることがこんなにも素晴らしいことだったとは!」

歓喜を含んだ台詞にリリールゥカは痛ましい気持ちになる。そんな都合のいいものでは、決してないのに。

彼はくるりと背を向け、廊下の向こうへ飛んでいく。あっという間に姿が見えなくなる。

「待て!」

駆け出した白狼の足は床を蹴りつける度に爪痕を残していた。ミカエルと共にその傷跡を辿ると、廊下の突き当たりでナキがヴァンクリフを追い詰めているのを目にした。ナキが飛びかかるが今度は床スレスレの低空飛行に切り替えられ、攻撃をかわされる。

ミカエルが手を動かした。指先に糸がきらりと煌めく。

瞬時に辺りに張り巡らされた糸がヴァンクリフの行く手を阻み、その背後から再びナキの爪が迫る。が、次の瞬間、視界を埋め尽くすほどの漆黒の羽が舞った。即席の糸では強度が足りない。クモの巣はズタズタに切り裂かれ、ナキが足を止めた一瞬の隙をつかれて再び取り逃がす。

「逃げ回るんじゃないわよ。あんたの罪を償いなさい!」

「勿論だ。私の命を彼に捧げ、私の魂は清められる」

「あたし達のカサネ様に妙な物を押し付けるんじゃないわよ。あんたの命なんか一円の価値もありゃしないんだから」

苛烈なミカエルの物言いと再び糸の煌めき。今度は飛び回る神官の身体を拘束することに成功する。

「でかい羽虫に頭上を飛び回られるのは不愉快だわ。おりてきなさい」

そう言ってミカエルが指先を動かす。リリールゥカは安堵の息を漏らしかけるが、突然ミカエルが膝をついた。

「……っ!」

「ミカ!?」

冷気が頬を撫でる。顔を上げれてみれば糸が凍り付いていた。その冷気が糸だけにとどまらずミカエルの手にまで及んでいる。指先からじわじわと広がる霜を見て、リリールゥカは眼帯を跳ね上げた。魔眼があらわれ対象をとらえた瞬間、冷気はそれ以上の侵食をやめた。

「ミカ、大丈夫?」

「サイテーね。帰ったら念入りに手入れをしなくちゃ」

ミカエルは軽口を叩くが、口調には苦いものが混ざっていた。

「異形の力だけでなく、水の一族の技も使うのか……?」

「……それってさ」

ナキの呟きに、ミカエルの呆れ声が重なる。彼女は冷えきった指先を近寄ってきた白狼の毛に埋め暖をとる。

「ああ、放っておけばあいつは自滅する」

水の一族の術は異形を消し去る浄化の力である。異形の妖力と、浄化の力。相反する力を一つの肉体に宿したままでいられるはずがない。やがてはバランスを崩し自滅するだろう。

自分たちは異形の血肉を移植され、その力は完全に同化してしまっている。妖力が自らの肉体を傷付けることはない。

「……カサネの言った通りだ。俺達はまだ壮大な実験場の中にいる。このクズはやがて自滅する。こいつを自分達の手で殺すのか、それとも見逃すのか、観察されてるって訳だ」

「胸糞悪」

「何をブツブツ言っている?もう反撃を諦めたのかい?」

ヴァンクリフはこちらの会話は聞き取れなかったのか、それとももう聞こえていても理解できないのか、楽しげですらあった。

「何故君達が異形の力を使いこなせないか分かるか?それは君達が人間を食わないからだ」

「はあ?」

「多くの人間の血肉を喰らった異形ほど力が強いのだから、君達はもっと励まなければならない。カサネ様の役に立つにはもっと強くならなければ」

「黙りなさい。滑稽を通り越して憐れになってくるから」

「ふふ……ははははは……」

「……」

「生きていても何の意味もない、役に立たない人間など腐るほどいる。汚ならしいそれらを始末してカサネ様の世界を綺麗にしてさしあげるのだ。血を啜り、肉を食い、高められた私の力をカサネ様に捧げれば、ゴミ屑も多少はあの方の役に立てる。リサイクルだ。はははははははは!!」

ヴァンクリフは腹を揺すって哄笑する。背筋がぞっとするような笑い声だった。

彼にはもう……反論も意味がないと悟る。彼はもう壊れたのだ。

そこで急にヴァンクリフは動きを止めた。床の上に降り立ち壁にもたれ掛かると、陽気な態度から急転し、突然早口で捲し立てる。

「待て、血肉を喰らうだと……?まさか組織は彼にあの娘を食わせる気なのか?馬鹿な。彼が汚れてしまうじゃないか。確かに彼はまだ覚醒していない、しかし殺させてはいけない。それではまるであの小娘が特別だといっているようなものだ。駄目だ。邪魔だ。邪魔だ!あれを始末しなければ」

一級神官の瞳がどろりと濁る。締まりのない表情、口の端から唾液が垂れている。



『この人を始末するのはなかなか難儀だと思うけどな』



そんな声が聞こえた。

「カサネ様?どこから……」

ヴァンクリフが周囲を見回した瞬間、彼の影が爆発した。

「!」

「何!?」

影から金色の光が飛び出す。リリールゥカ達にとっては唯一無二の色。白面金毛の狐は軽やかに宙を駆ける。

見慣れない光景だったのはその背中だ。彼が背中に誰かを乗せている姿を初めて見た。美しい狐の背中には一人の女性の姿があって、狐の首にしっかり手を回し顔を埋めている。

ヴァンクリフが何事かを半狂乱で喚いた。

シナトが顔を上げ、一級神官を見下ろす。その手に何故か握られているのは……ライターだろうか?

カサネは空中で変化の術を解く。現れた金髪碧眼の青年はシナトの身体を横抱きに、つまりお姫様抱っこをしようとしたのかもしれない。しかしそれから床の上に降り立つまでに刹那の攻防があった。カサネの意図に気付いたシナトが身をひねり横抱きを回避すると、カサネは細い腰をぐいっと抱き寄せ縦抱きする方針に切り替え、それは成功したものの着地の瞬間に足を踏まれた。

「シナトさん」

「何だ」

無愛想な返答。

「もっとご飯食べて下さいね。抱き心地がちょっと……」

「耳が変な感じがする。キーンって言ってる」

「異空間でも気圧とかあるんですね」

相槌を打つカサネはにこやかだ。

「やぁ、ただいま。ナキ、ミカ、リリー」

「お、おかえりなさい」

リリールゥカが挨拶するとカサネは微笑んだ。

「好きです、カサネ様」

「ありがとう、ミカ。俺もだよ」

「……」

「俺もだよ、ナキ」

「俺は何も言ってない!」

「あの、シナトも……おかえりなさい」

カサネの腕から逃れ距離をとるシナトに声をかけると、彼女は「ただいま」と言ってくれた。額に先程までなかった傷がある。声をかけたかったが、そんな場合ではなかった。

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