第24話《side:カサネ(5年前)》
『娘のことが……シナトのことが苦手かしら?』
そう尋ねる女性は腰まで延びた白髪を緩く編んで肩に流している。丸い目はやや垂れて常に笑っているように見え、童顔ということもあって彼女は少女めいた雰囲気を纏っていた。
シナトの母親である。
あれはカサネがシナトの家に来て、数日が経過した頃だったか。
『いえ、まさか。帰る場所を持たない俺をお嬢さんは気遣ってくれました。感謝しています』
『うふふ』
『何でしょう』
『面倒なことになったと思っているんでしょう』
シナトの母親、ミルフィはそう言って笑った。彼女はよく笑う人だった。
『……』
カサネは彼女の前に跪くとその手をとって口付けた。彼女の瞳が面白そうに煌めいた。
『薬草を採りに行ったシナトがそろそろ帰ってくるころでしょうね』
『すみません、もしこんな所をお嬢さんに見られたら………』
『こんな所を見られたらあの子が怒って家から追い出すと思ってるんでしょう、貴方』
カサネが顔を上げる。
『追い出さないわよ、うちの娘は』
少女のような顔に女王のような表情を浮かべて、彼女は宣言した。
『この家にいつまででも居ていいし、気に入らなければ出ていってもいい。出ていって帰って来てもいいし、好きにしていいのよ。貴方の目的の為に利用して構わないわ。でもその為に貴方の身を切り売りする必要はないのよ。あの子はただ善意で貴方を助けたのだから』
善意。
『その存在に懐疑的?神の存在と同じくらい』
『いいえ。貴方もお嬢さんも素晴らしい善意の持ち主ですよ』
『まぁ、うふふ。……貴方のとても綺麗な瞳の中には哀しみや絶望、憎悪の絵の具が混ざってるのね。なら善意には触れない方がいいのかもしれないわ。貴方がもし復讐を目的とするのなら、人の善意に触れてその色を薄めない方がいいでしょうから』
ミルフィがにっこり笑った時、外で物音がした。シナトが帰ってきたのだろう。
玄関の扉が開く。
『シナト、おかえりなさ……』
母親の顔になったミルフィがにこやかに娘を迎え入れようとして、固まった。
顔色が変わった。
怪訝に思って玄関を振り返ったカサネも動きを止める。
そこに立っていたのは想像していた通りシナトであったが、その頭が赤く濡れていた。頬にこびりついた赤茶色の汚れ、服の肩口の染みは血液であることは明らかだった。
『どうしたの?攻撃を受けた?』
扉の隙間から猫のようにするりと入ってきたシナトはミルフィの問いに首を振った。
『ごめん、違う。誰も来てない。落石に当たった』
『……落石?』
『そう。崖の方まで行ってたんだけど、上から小さい石が落ちてきた。悪意のある攻撃なら避けられるけど、悪意のない不運は避けられないから、当たった』
『見せて』
『うん。でも多分そんなに酷くないと思う』
『いいから。気を失ったりはしてないのね?』
『してないよ。大丈夫』
椅子に座らされたシナトは処置を施される間少し眠そうに窓の外を見ていた。
『……吐き気は』
『ん?』
カサネが声をかけるとシナトがこちらを振り向いた。蒼い瞳の中に自分の姿が映っている。
『吐き気や眩暈はないですか。頭を打った時は直後は何ともなくても、脳内で出血が起こったりすると怖いですから』
『ありがとう。今の所は平気』
『そうですか。少しでもおかしいと感じたら言ってください』
『うん』
『よし、これで大丈夫。しばらく包帯取っちゃダメよ』
『ありがとう。心配かけてごめん。着替えてくる』
自室に戻るその後ろ姿を見送って、ミルフィは首をかしげた。
『どうして崖に行ったのかしら。そこまで行かなくても薬草は森の中にたくさん生えてるはずだけど……』
『時間を潰してたのかもしれませんね。もしかしたら彼女も、俺のいる家には帰りたくないと思っているのかもしれない』
『あら?……んふふ~、なるほどね~』
シナトが持って帰って来たバスケットの中を覗き込み、ミルフィは楽しそうに笑った。彼女の視線の先には一輪の花がある。白く愛らしい姿だった。
『これを探しに崖の方に行ったのね』
『それは?』
『貴方の為に摘んできたのでしょう』
『俺の為……?』
バスケットから花を掬い上げ、花瓶にいけながらミルフィは言った。
『この花を頭元に飾って眠るとね、悪夢を見ないと言われているのよ。貴方、毎晩うなされてるもの』




