第17話《side:ナキ》
ヴァンクリフ一級神官の邸宅はその高貴な出自に相応しい絢爛豪華な佇まいであるという。そこには美しい妻と優秀な息子達、数え切れないほどの使用人。
舞台は整い、役者はそろっているというわけだ。
後はただそこにいるだけで物語の主人公として君臨できるはずの男が何故リスクをおって犯罪に手を染めるのか、ナキは心底理解に苦しむ。
「さぁ?どうしてだろうね」
カサネが歌っているような滑らかな声で応えた。
カサネとナキがいるのはヴァンクリフの邸だ。しかし荘厳美麗と評される本邸ではなく別邸の方である。彼らはその屋敷の応接室に通されソファーに腰かけていた。
もう随分待たされているのだが、屋敷の主が姿を見せる気配はない。
ヴァンクリフは王都の一等地にある本邸には滅多に顔を出さず、こちらの別邸に愛人を連れ込んだり、趣味に耽っているとカサネは言った。
「成功して当然のプレッシャーとか、ああ、彼は本当はゲイなんだけど血を残す為に一族の女性を娶らないといけなかったとか、ストレス多めの環境ではあるのかな」
「……」
「うん?」
カサネがこちらの顔を覗き混みながら首をかしげ、しかしすぐに「ああ」と合点がいった表情になった。
「俺も連れ込まれたことがあるのかって?来たことはあるよ。その時彼が俺に何をしたかは……言ってもいいけど、ナキはあんまり聞きたくないかもね」
「なら言うな」
ナキは寡黙というほどではないが、それほど口が回る男ではない。反対にカサネはペラペラとよく喋る。
「ところで、ここに来るまでの間ずっと監視されていたのは気付いてた?」
優雅さを宿した指先で紅茶のカップを持ち上げて、カサネは口元に運んでいる。ナキは頷いた。
「ああ。けど組織の人間じゃなかったな。……教会か?」
「ご明察。多分俺の首にちゃんと首輪がついていて、リードは教主の手元まで伸びているか確認しにきたんだろうね。気配を隠していなかったのもわざとだ。監視しているというアピールかな」
ナキは眉根を寄せる。
「教主はお前を信用してないのか」
「どうかなぁ……。でも彼の部下達は俺のような得体の知れない男は気に入らないようだよ。警戒しなくても彼らの地位に興味はないんだけど……また教主様が分かっていて競い合うように仕向ける人だから」
カサネが微笑む。昔からよく喋る男ではあるが、だからといって周囲の人間が彼の内面を理解しているかと言えば決してそうではない。
むしろ言葉の少ないナキの方がよほど分かりやすい性格だと赤毛の友人は言う。
カサネが言葉を紡ぐほどに煙に巻かれたように本質がぼやけていく気がするのは周囲の共通の認識らしい。
「得体が知れない、か……。なら見る目はあるってことだろ」
半ば本気で言うと、くっとカサネが笑った。
「言うね」
カサネが立ち上がった。革張りのソファーが、ギッ、と名残惜しげな音を上げる。
「見る目、ね」
窓際に立ったカサネは眼下に広がる園庭を眺めた。
ナキも隣に並び同じ景色を眺めたが、すぐに眉をひそめることになった。
「あれは……」
ナキの瞳にうつるのは庭を彩る薔薇を手入れしている庭師の姿だ。三人ほどの青年が白い手袋をして、鋏を片手にもっている。ただその動きが奇妙だ。ウロウロとさ迷いながら何かを探しているように見える。かと思えば唐突に笑い出したりする。
「薬が切れかけてるんだろう」
カサネが言った。冷えた微笑を浮かべて。
「……」
「ここにいる使用人は全員例の薬の重い中毒患者だ。これから先、薬を止めたところで日常生活には戻れないかもしれないね」
「……」
「それを分かっていて、俺は彼らを放置している。彼らの存在がヴァンクリフ一級神官の犯罪の証拠だからね。……ナキ」
「何だ」
「俺を裁くか?」
「俺には裁く権限なんてない」
「権限の話じゃないさ。お前の心が俺を断ずるかの話さ」
カサネは微笑んでいる。返ってくる答えが何であれ、すでに全て受け入れている。
ナキは視線を園庭に戻し、不意打ちで隣に立つ友人の腹を殴った。つもりだったが、腹のたつことに拳は空を切る。避けやがったのだ。
「乱暴だなぁ」
「俺達は共犯者だ。お前の罪は俺達の罪だ」
「うーん」
「何だよ」
「いや……相変わらずお前は俺のことが好きだね?」
「気色悪いこと言うな。お前そんな適当な態度でよく……」
「……」
ちらりと、カサネが視線を寄越してくる。途切れた言葉の続きが分かったからだろう。盗聴されているであろう部屋で皆までは言わないが。
『お前そんな適当な態度でよく愛想尽かされないな』
誰に?言わずもがな、だ。
返ってきたのは沈黙のみ。常の軽口はない。口を閉ざしたというより、言葉に窮したと表現すべき静寂だった。
……相変わらず沈黙の方が雄弁な男である。
ペラペラヘラヘラしている時は彩霞に包まれているかの如く姿が見えないが、黙れば本質が現れる。ほんの一瞬。
彼女が暴力の前に無防備にその身をさらした時だとか。
眠った彼女を丁重にベッドに運ぶ時だとか。
「……人間に見えるよ、そういう時は。お前も」
そう言うとカサネは怪訝そうな顔をする。
「真意を計りかねるな。どう受け取ったらいい?」
「いや、良かったな」
「良くないよ」
冷えた、いや無理矢理冷やした声が返ってくる。
「なぁ、カサネ。俺達は……」
正直、ここが敵の根城だということも一瞬忘れて、ナキは友に声をかけようとしていた。が、ふと我に返り顔を上げた。
視線を動かし、扉を見る。
ノックの音がして扉が開かれると、そこにはお仕着せの制服に身を包んだ若者が頭を垂れていた。カサネが立ち上がる。
「ご主人様がお呼びかな?」
「はい」
若者の顔は伏せられていて見えないが、骨ばった手が小刻みに震えていた。
……この彼もまた中毒患者なのだろうか。
ならばその前は何者だったのか。ナキは頭の片隅で考える。
ここに来る前は貧しい貧民街の若者か、それとも憎しみを糧に生きる青年だったか。
ヴァンクリフはそういう若者に薬を与え力を与え、手足として使ってきたのか。
そして役に立たなくなれば容赦なく捨てる。
術力の高い孤児を売り買いし、他人を自分がのし上がる為の道具として使い捨て、そのことに大きな疑問もなく今までのうのうと生きてきた男。
その傲慢な男が今宵裁かれるのか。
カサネが九尾の力……蠱惑の力を使い、少しずつ心を溶かし、埋もれていた小さな罪悪感を呼び覚ました。ヴァンクリフにとって致命傷になるはずもなかった小さな切り傷のようなそれを何度も何度も丹念に弄り化膿させて傷口を広げ、薬と称して毒を塗り込んで、死に至る病にした。
これ以上九尾の力を注がれ続ければ、心が死を迎えるだろう。
(……本当にそれでいいのか、俺達は)
ナキは自問する。
もう何度目か分からない、自身への問いかけだった。ミカエルとも何度も話し合っている。
ヴァンクリフは裁かれるべき男だ。
そして自分達の復讐は当然の権利である。
それなのに、迷っている。
理由は……カサネだ。
(俺達はカサネに)
「ナキ」
呼ばれて、ハッと顔をあげた。いつの間にかカサネは部屋の外に出ていて、扉の向こうで不思議そうな顔をしている。
「ああ、すまん」
一歩踏み出そうとした時だった。
部屋の入口の近くで立っていた若者が震える手で自身の胸元をガリガリと掻きむしり始めた。
「あ!あああ、あああああ!!」
そしてそのまま倒れ込み、のたうち回る。目は見開いて、虚空を見ていた。
「おい。何だ」
「禁断症状かな?それとも過剰摂取かな?」
少し離れた場所でカサネが呟く。
「かわいそうに」
「どうする」
「抱きしめてあげたらいいんじゃないかな」
「おい、真面目に……」
「うん。じゃあ、後はよろしく」
軽やかに放たれた言葉にナキはギョッとした。
「よろしくってなんだ!?」
「彼、随分苦しそうだ。放置したら可哀想だよ」
「知るか。自業自得だろ、ほっとけ」
「そうだね、俺は放っておくよ。助ける理由も、時間もない」
「そ……」
「ね?お前には無理だよ」
カサネが微笑んだ。
「お前は優しいから。……じゃあね」
ひらひらと手を振り歩き去ろうとする友人を追いかけようとするが、のたうち回る若者の手が延びてきてナキの足を掴んだ。まるで溺れているかのように必死で物凄い力だった。
そうしている間にも遠ざかっていく背中に、ナキは怒鳴り声を投げつける。
「おい、カサネ!!馬鹿野郎!!」
返事はなかった。




