第16話《side:リリールゥカ》
カッ、と白い光が室内を満たした。
閃光弾でも投げ込まれたかと一瞬冷や汗が出たが、そうではない。
そして被害にあったのはリリールゥカではなかった。
「気付くのが一瞬遅かった……」
心底嫌そうに呟いたのはシナトだ。
声の方に視線を向けて……状況が飲み込めなくて瞬きしてしまった。シナトの顔に、白くてふわふわした謎の毛玉?引っ付いていた。
「え?大丈夫?」
「大丈夫じゃない。もっふもっふする」
「え?何これ、異形……?」
「カサネ様の置き土産でしょ?この女が万が一目覚めた時の足止めを置いておくって言ってたじゃない」
「足止め……って」
確かに綿菓子みたいなフォルムは思わず足が止まるくらい愛らしいけれど……。
「あら、見た目の可愛らしさに騙されて侮るなかれ、よ。効果は結構えげつないわ」
ぽろっと毛玉が床に落ちた。
「え……あっ、目が」
リリールゥカは息を飲む。
現れたシナトの瞳が白く濁っていた。シナトは首をめぐらせて、室内を見回すような動きをする。
「何も見えないでしょ?視力を奪われたのよ。ま、一時的なものだから一晩もすれば元に戻るわ」
「……」
「不安なら教会まで送って差し上げましょうか?教会の優秀な医術士ならその呪いを解呪できるかもね?」
ころころころ、と毛玉が床を転がっていく。そしてふわりと宙に浮かんだかと思うと窓際まで移動していき窓の前でぴょんぴょん跳ね始めた。
開ーけーてー、とでも訴えるような動きにリリールゥカは慌てて窓を開けてやる。
毛玉がぴょん、と窓の外に飛び立とうとした瞬間だった。
冷たく乾いた音がしたた思った時には、毛玉に鎖が絡み付いていた。
「待て、もふもふ」
呼び止めたのはシナトだ。シナト手には鎖が握られている。氷でできた鎖は青白く輝き、毛玉が動くたびにシャラシャラと美しい音を鳴らした。
「カサネの所へ戻るなら一緒に連れてって」
「……その目でいくつもり?」
「視力を失っても、術力の動きは見えるよ。術力は視力で見ている訳じゃないから。だからあんまり支障はないと思う」
支障はない、と言いながら一歩踏み出したシナトはテーブルに足をぶつけた。
「あ痛」
「馬鹿ね。術力は見えるって……術力の宿っていないものは全然見えないってことでしょ。どうやって行くっていうのよ」
ミカエルの呆れ声。シナトは少し考える素振りを見せた後、鎖を引っ張り毛玉を手元に引き寄せた。
「盲導犬」
「はぁ?」
鎖の絡まった毛玉を床に置くとぴょんぴょん跳ねながら移動する。シナトはその後ろを犬を散歩でもさせているかのようについていく。
「ちょっと、本当にそれで行くつもり?」
「カサネの中の白い狐がヴァンクリフ一級神官の魂を締め上げているのを視たよ。カサネはヴァンクリフ一級神官を害するつもりなんだろうな」
シナトがぽつりと言った。
「そうよ。けど別にカサネ様はあいつを殺すわけじゃないわよ。あたし達は蜥蜴の尻尾には興味ないの。あの男は組織を誘き出すために使うだけ、その結果あの男が組織に始末されようが知ったこっちゃないわ」
ミカエルが淡々と答えた。
「何?アンタはカサネ様を止めるべきだっていう意見?あの方の所へ行って、復讐なんて無意味だって、未来を見るべきだって訴えるつもり?」
ミカエルの声は冷静だった。しかし冷たい岩盤の底にはマグマが流れている。
返答次第でまた蜘蛛が出てくるかもしれない。
「どうなの?」
「カサネが復讐するのは当然の権利だと思う。その方法について思うところがない訳ではないんだけど、正直私が口出ししてカサネの中で何かが変わるとは思えない。他者の考えや行動を変えるのはとても難しいことだから」
「ふーん……。あっそ。じゃあ応援にでも行くつもり?頑張れーってチアリーダー気取りで」
「いや、だから私の行動にも誰も口出ししないでほしいということなんだけど」
「はぁ?」
シナトは扉に向かって一歩を踏み出した。
「カサネが何で人の心を巻き上げるみたいに人に接するのかっていったら、そうやって協力者を得て仲間を守ってきたからなんだと思う」
「……」
「言動に偏奇な部分は見受けられるけど、カサネはあなた方の心配に値する男なんだろうな」
「……カサネ様の邪魔をする気?」
「そのもりはないけど、結果的にそうなる恐れはある。けどその時は殴り合いでもして、勝った方の言い分で事を進めればいいだろう。世の中ってだいたいそんな感じで動いてる」
「雑な思考回路」
不機嫌な声。
短い沈黙。
突然距離を詰めたミカエルがシナトの腕を掴んだ。それほど力を込めたように見えなかったが、どれほど美女に見えても男だ。シナトは動けなくなった。
「見なさい」
ミカエルが女王のように命じた。彼女の燃える瞳をシナトが見ている。閃光が走るような、鋭い、爆発的な感情の塊がシナトの網膜を焼いているのかもしれない。
「分かるわね」
平坦にすら聞こえるミカエルの声。でも今まで一番熱い激情が込められている。
「あたしたちがどれほどヴァンクリフという男を憎んでいるか、組織を憎んでいるか。それでも邪魔をするというの?あたしたちを敵にまわして、カサネ様に憎まれても構わないと?」
「……」
逡巡は一瞬だった。
「はい」
「独りよがりな女」
嫌そうにミカエルが吐き捨てた。
「……」
「好きにすれば」
掴まれた腕が自由になると、シナトはするりと脇をすり抜けていった。
バタンと玄関の扉が閉まる音に、リリールゥカはハッとする。急いで追いかける。
冷たいドアノブに手をかけ、錆びて重くなった扉をなかば体当たりして押し開けた。
途端、陽の光に反射して何かがキラリと光ったのが見えた。
(鏡)
(……違う、水だ)
シナトが立ち止まって虚空に手を伸ばしていて、その掌には手鏡くらいの大きさの水の塊があった。その水がしゅるしゅるとほどけて空中に細く漂うとそれは何かの文字のように見えたが、それもすぐにほどけてしまう。細い糸のようになった水はそこから規則正しい動きを繰返して……やがて紡ぎ上げられたのは繊細なレース編みを思わせる蒼い蝶だった。
シナトが両手で掬い上げて掌で包み込み、それからそっと手を開く。
手の中から 蝶が飛び立った。
シナトの瞳と同じ、凍えそうな蒼。薄い羽は風に煽られることもなく、力強く飛んでいく。
その姿を彼女はじっと見つめていたが、毛玉の繋がった鎖を持ち直すとゆっくり歩き始めた。
まだ薬が抜けきらないことに加えて、視力が奪われているのだ。その歩き方はぎこちない。
「シナトさん!」
その背中にリリールゥカは声をかけた。今日は……というかずっと、自分はこんな風に人の背中を追いかけてばかりだ。
いつか隣に立って闘う日が、あるいは前に立って誰かを守る日がくるのだろうか、本当に。
「はい」
シナトが振り返る。
「カサネ様の所に行くの?」
「一緒に行く?」
連れていってほしいと願い出る前に、あまりに自然にそう言われて思わず言葉に詰まった。
「あの、私……」
「はい」
喉元に言葉が引っ掛かり、なかなか出てこない。
「私は……怖い。カサネ様はいつだって、私たちの為に一生懸命で……でも、それが怖い。カサネ様が一人ぼっちで、引き返せない道に行ってしまうようで」
乾いた唇から声を押し出す。
「私が行っても本当に何もできないし、怖がりだし、トロいし……でも」
リリールゥカは顔を上げ、シナトを見上げた。
「私の望みは明日が来ないことだった。明日はどんな酷いことをされるのか、誰がいなくなるのか……明日が来るのが怖かった。明日を望むようになったのはカサネ様が私たちを助けてくれたから。……私はカサネ様の力になりたい。笑顔でいてほしい。今はそれが一番の望みなの。だから連れていってほしい。邪魔にだけはならないようにするから」
「はい」
頷いてから少し考えるような間があって、シナトは口を開いた。
「貴方のような優しい人が日常にいてくれると、カサネはとても心強いと思う」
「……」
バタンッと背後でやや乱暴な音がした。振り返るとミカエルが立っている。
「ミカ」
「そんな所で突っ立ってんじゃないわよ。カサネ様達はヴァンクリフの別宅にいるわ。あとずっと気になってたんだけど、リリーそんな蝶の髪飾り持ってた?」
「あ……シナト、さんに貰った」
「ふーん」
「……」
「最高に似合ってるのが、最高にムカつくわね」
ふいっと顔を背けるとミカエルはシナトを追い越してズンズン進んでいく。
赤い髪に向かって、リリールゥカはありがとう、と声をかける。
それからふと思い出し、顔を隣に向けた。
「あの、シナトさん」
「あ」
「え?」
「シナトでいいですよ。敬語もいらない」
「あ、うん。私も。リリーって呼んでほしい。あのね、さっき言ってた嫌いなものって何?」
「嫌いなもの?あー……私の?」
「ミカに言ってたでしょう?あの、シナトみたいな心の強い人にも嫌いなものがあると思えば、私も頑張れるかなって」
「……」
数秒の沈黙の後、シナトは重い口を開いた。
「虫」
「え?」
「蜘蛛とか」
「……え。ええっ!?」
「だから、ありがとう。さっきは本当にまずかった。結構恩人です、ありがとう」
「……」
驚いて目をぱちくりさせると、シナトは困ったような笑顔を見せる。
リリールゥカも笑って、不安定な足元のシナトを支えるために手を握った。




