第11話《side:シナト(17歳)》
5年前の冬。シナトは17歳だった。
底冷えする、格別寒い日の朝。
ベッドの上で毛布にくるまっていたのに鼻先が冷たくなっていたくらい、寒い朝だった。
隣のベッドを見ると母はまだ眠っていたので、シナトはなるべく静かに起き上がった。そして台所へ行き何気なく窓の外を眺めて……眉根を寄せた。
妙なものが見えたからだ。
(……キラキラしてる)
それはとても綺麗だった。遠い夜空で輝く星の色。銀色に光る細い糸が頼りなく漂っている。多分、シナト以外には見えない。誰かの思念。
近くで見てみたい。
触ってみたいと思う反面、近づかない方がいいなとも思った。シナトは美しいものは警戒すべきだと思っている。
自然界にある美しいものは、その美しさにちゃんとした理由がある。
大体はその美しさで獲物を誘き寄せたり、油断させたりするという目的がある。むしろ理由なく美しい、というものは存在しないのではないか。
なので窓の外のキラキラした銀色は危険度が高いということだ。
吸い寄せられるくらい、とても綺麗だから。
シナトはコートを羽織り極力音をたてないように玄関の扉を押し開け外に出た。
「寒…」
呟く声が白く染まる。
この辺りはあまり雪は降らないが、今朝は霜が降りている。うっすら白くなった土の上を歩くとサクサクと音がした。
シナトの視界の中では銀色の光が更に輝きを増していた。似た銀色を以前本で見たのを思い出す。星の色より近い。
水銀だ。
古代においてその美しい銀白色は不死の妙薬や美貌を保つ薬として珍重され、時の権力者は愛用していたという。そして多くの権力者が中毒で命を落とした。
美しいものというのは、それだけで警戒しなければならない……。
けれどシナトはサクサク進んでいく。好奇心故ではなく、もしこの思念の主が本当に危険な人物なら母親に近付けたくないと思ったからだ。
「……」
泉の畔で足を止めた。
糸が途切れている。
それは一幅の絵画のような光景だった。
誰かが地面に腰をおろし、木の幹にもたれ掛かっていた。
この寒さの中、所々が破れたズボンと薄いシャツ1枚で。白かったであろう生地を血と泥で染めて。
その人の魂は銀白色に発光していた。儚く綺麗で、警戒すべき……
けれど、少年だった。
あどけない横顔は明らかに未成年である。
瞼は固く閉ざされて、頬は色を失っている。シナトはコートを脱いだ。
「生きてるんだろうな……?」
少年の傍らに膝をつき、身体を眺める。胸元から腹部にかけて浅く上下していた。呼吸している。
ほっと息を吐く。
シャツは血だらけだが目に見える範囲にはそれほど酷い怪我は見受けられられず、とりあえずコートを身体にかけてやる。
少年の睫毛が震えた。ゆるゆると瞼が持ち上がり、碧色の瞳が現れた。
「……貴方のコートを汚してしまう」
背中に羽根がはえていないのが不思議な程に美しい少年はそんなことを言った。
シナトはずっとこの森で閉じ籠っているから、それほど人の顔のパターン?造作のサンプルが頭の中にないのだけれど、それでもこの少年が比類なく美しいということは何となく分かった。
「汚れたら洗うよ。どこか痛いところは?」
少年が笑った。俯いて、唇の端だけを持ち上げる笑い方だった。
「……どこも。たくさん怪我をしたはずだけど、一晩で治ってしまった。夜通し歩き続けて……疲れもしない。寒いのも温かいのも分からない。だから……これは要らないんだ。ありがとう」
コートを返されて、シナトは受け取った。
「ごめん、ここは貴方の場所だったんだね。すぐに出ていくから」
シナトは少年を見つめた。シナトの瞳は、優秀な術力分析装置は、見ただけで勝手に少年を分析する。
(……混ざっている)
怖い何かが、混ざって、溶け合って、もう別たれることはない。二度と。
穏やかな湖を見ている。
彼を見ていると、そんな気持ちになった。波風一つ立たない、静かな湖面。
しかし水中でこの少年は溺れているのではないか。深く傷付いた身体がどんどん沈んでいく。それなのに湖面に波風が立たないのは、彼がもがくのを諦めたからか。
「……同じ分量のミルクとコーヒーがあったとして」
唐突に少年が言った。
「ん?うん」
シナトはよく分からないまま頷く。少年は微笑んで首をかしげた。
「その二つを混ぜたらカフェオレになって……それはコーヒーの仲間なのかな?ミルクの仲間?」
少年がシナトの方に顔を向ける。問いかける声は幼く、表情は無邪気に見えた。
「コーヒーだよね。ミルクではないよね、もうね」
けれどシナトが何か答える前に少年はにこやかに結論を下した。
問いかけではなく独白だったのだろうか。
それならシナトも思い付いたままの言葉をそのままさらす。
「コーヒーかミルクかより……重要なのはカフェオレの温度だと思う」
「温度?」
「寒いから」
「なるほど」
「そう。じゃあこれから私がしようと思ってることを話すけど」
「え?うん」
「これから貴方をうちに連れ帰って温かいカフェオレ飲ませて、それから風呂に入ってもらって。それから一緒に朝食をとろうと思ってるんどけど、うちの母親も一緒に。どうですか」
「……うん?」
「まぁ、どうっていうか……とりあえず行こう」
「……ふふ」
大人びた笑い声が漏れた。
「ねぇ、おねーさん。よく知らない奴を家に連れ込んじゃ危ないよ。子供でも警戒しないと。それとももしかして子供は罪を犯さないと思ってる?」
「何故。むしろ子供こそ理不尽な大人を止めようと思ったら殺しでもしない限り終わらないんだから、犯罪とは近い存在だと思うけど」
「……」
初めて少年の顔から笑みが消えた。
それからゆっくり言葉を紡いだ。
「俺ね、仲間を殺して逃げてきたんだ。だからね、あんまり優しくしないで?」




