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窓際神官は月を見上げる  作者: のむらなのか
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第10話《side:シナト》

自分のことを嫌っている人、好いてくれている人、興味のない人。

自分に向けられる感情というのは、分かる。何となく。

別にそれは特別な力などではない。

視線、態度、言葉の端々。

人はある程度、他人の感情を読める能力を元々持っている。

それを強化して、より細かく分析できるだけだ、自分は。

(難解な、分かりにくい奴はいるが……)

カサネ。

カサネの術力は見えるのだけど、初見では理解できないことが多い。彼はあまり一般的でない感覚で人を愛でるし、何より複雑で難解な心は、シナトの目をもってしても真意を計りかねる。シナトの解釈とカサネの真意が違う時が多々ある。

だからたくさん話し合って、細かい理解を重ねて、許して、許されて、また間違って、歩み寄る。

それをこの五年間積み重ねてきて、これからも重ねていく。と思っているのだけれど。

「……」

シナトは真っ直ぐに前を見た。

目の前には黒の法衣と光を溶かしたような金髪の対比が美しい青年が立っている。

「カサネ。ヴァンクリフ一級神官は何をしでかしたんだ」

「さっきも言ったでしょう。彼が薬をばらまいてる首謀者ですよ」

「それだけか」

「あとは、そうだな……。俺の昔話は以前少し話しましたね」

俺と貴女と出会う前の話ですよ、と耳に心地よい低音が囁く。

「俺達はね、売られたり拐かされたりしてある組織に集められた。そこでは当たり前みたいに人体実験が行われていて、でも術力の高い子供は貴重品だから使い捨てられて死ぬこともできずに丁寧に切り刻まれて……、やがて組織は俺達に異形の遺伝子を移植することに成功した。ヴァンクリフ一級神官はね、俺達の身体を散々弄くり回したその組織の犬。教会が保護した孤児の中に術力の高い者がいると里親が見つかったといって組織に売り飛ばしてしまうんですよ。そして教会の上位神官である立場を利用して、組織の関わる事件を揉み消してきた……とても悪い人ですよ。貴女のような魂の綺麗な人が視界に入れる価値もない」

「教主は知ってるのか」

「勿論。彼の行いは教会の名誉を貶める重大な不正ですから。貴女のお父様には全て報告していますよ」

「ならさっさと捕まえて、罰すればいいだろう」

ふっとカサネが微笑んだ。物分かりの悪い生徒を見るような眼差しで。

「シナトさん。ヴァンクリフ『一級神官』ですよ?そんな人が薬をばらまいて、それどころか人身売買だの人体実験だのを行う組織に手を貸してるなんてことが世間に知られたら教会の信用は地に墜ちるでしょう。教会の名誉の為にヴァンクリフ一級神官を公式に罰することはできない」

「何でできないのかがよく分からんが」

「はは。貴女は時々俺より頭がおかしいですよね。ダメでしょ、絶対」

「……」

「俺は半妖のようなものですから、本来であれば教会に粛清されるべき存在です。でもこの力を協会の為に使うという契約を結び、俺は聖職者になることを許された。俺の力については公にはできませんけど」

「つまり異形の力を移植された仲間を教会から守る為に、教主から汚れ仕事を押し付けられてるってことか?」

「曲解するなぁ……正当な取引ですよ。ね、俺がヴァンクリフ一級神官のことをすでに調べているのに、何故教主様が貴女に薬について調べろなんて頼むんだ、って思ったでしょう?当主様は貴女に社会勉強をさせたいと仰ってましたよ。こういう時、教会ではどうやって始末をつけるか、相手をどう泳がせるか、学んでほしいと」

「私は三年以上神官はやらないぞ。母さんの遺言で三年間この制服は着るが、給料分しか働かない」

「貴女のお父様はそうは思っていないようです。その目をもっと有効活用してほしいと」

「面の皮が厚いな。教主としては頼もしい限りだ」

他人事のようにシナトは言った。

「カサネ」

「あ、言い分があるんでしたね、シナトさん」

「言い分?」

急に話が変わった。

「言ってたでしょう。俺が怒っているように見えるって。それに対して言い訳があるんですよね?」

「ああ……さっき私が自分を刻んでもいいと言ったことに対して怒ってるのかと思って。あれはあの青年が薬の影響で興奮していたから落ち着かせる意味もあったのと、目的はどうあれ……あれほどの、生命力をくべた叫びなんだからこちらも真剣に受け止めるべきだと考えたからで……決して自分の命を軽んじたとか、私を心配してくれる人間の思いを軽んじたとかでは……、って何だ」

「いや、思ったよりつまんない話だったなと思って」

カサネがにっこり笑った。それから手を伸ばし、シナトの下唇を摘まんだ。そのまま感触を確かめるように人差し指でフニフニと押す。

シナトは顔を背けて一度指先から逃げたものの、追いかけてきた指がまるで釣り針みたいに口の端に引っ掛かり顔を引き戻された。

引き戻された先で碧色の視線に縛られると、指が離れていく。指が抜ける時、爪が軽く口角を引っ掻いていった。

「今日ちょっと、道徳的に緩い行為が多いな。控えてもらっていいですか、仕事中なので」

「はは、珍しい。貴女が動揺するなんて。でも顔を切り刻むのは許されるのに、ちょっと爪で引っ掻くのが咎められるの、納得がいかないですね。それとも咎められてるのは、行為そのものじゃなくて俺の感情?貴女に触れるこの指先に宿った感情が、仕事中はダメ?」

「……」

カサネの身体から白い術力が立ち上ぼり、それは九本の尾になり、その一つがシナトの身体に巻き付いている。

別にきつく拘束されているという訳ではないのに、目が眩む。身体が蕩けていくような感覚がある。

「動けない」

「でも締め上げたり、傷付けたりはしてないでしょう。それに取れないってことはないですよね。貴女は取ろうと思えば取れるけど、取らない。だって心の叫びは真剣に受け止めるべきだと考えているから、でしょう?」

「だから何で怒ってるんだ……」

「怒ってないですよ。貴女の優しさにつけ込んでるんです。……ナキは狼、ミカは蜘蛛、リリーはね蛇ですよ。分かりましたか?では俺は?何だったか覚えてますか?」

「狐」

「そう、白面金毛九尾の狐。権力者を誑かして国を傾けるんですよ。でも……誰彼構わず誑し込んでるのは俺じゃなくて貴女かな」

「足下がぐらぐらする」

「そう、じゃあ倒れないように腰を抱いていてあげます。それでね、話の続きですよ。貴女は意外と節操なしだからから誰でも好きになって優しくしちゃうじゃないですか。老若男女、ほんと……不特定多数」

「言い方に含みがあるな。誰が」

「勿論、あなたが未だ処女だっていうことはよく知ってますよ。でもね、案外才能を開花させれば、ねや狂いになれるかもしれませんよ?淫売みたいに、すぐに魂に口付ける人だから」

「……」

心臓の辺りで、火花が散った気がした。

放っておくと全身に燃え広がる。そしてフラッシュオーバー。……空気を送り込んでは駄目だ。

目を閉じて、長くゆっくり息を吐いて、理性で消火して、シナトは再び目を開けた。

傾国の美貌がそこにはある。

「屈辱的?……目許が赤く染まってる」

「屈辱は感じた。もうおさめた。……カサネ。カサネはよく私の事を好きだの愛してるだの言うけどな」

「愛してる」

「本当は嫌われてるんじゃないかって、憎まれてんじゃないのかって、時々そう思う」

「まさか。俺は貴女の不幸を願ったことは一度もありません。誓って。でも、そうだな……酷く暴力的な気持ちで貴女に触れたい時はありますよ。そんな時はここに」

トン、とカサネの人差し指がシナトの胸をついた。

「まだ誰も触っていない、深い、清い場所に、一生消えない傷をつけてあげたいなぁ……って思うんですよ。大切にしたいのと同じくらい、どうしてそんな事を思うんだろう?」

「やってみればいい」

「はは。貴女が誰にも負けない事は知ってますよ。けど……」

カサネがシナトの耳元に唇を寄せた。鼻腔をくすぐる香りは慣れ親しんだ彼のもの。途端、心臓がキュッと掴まれたような不可解な感覚があって、シナトは妙な気分になった。何だ?とその感覚の正体を追い詰めて捕まえる前に、意識を別の所へ持っていかれる。

カサネの声が鼓膜を震わせた為だ。

「今日、本調子じゃないでしょう。珍しいな、何か迷ってる?」

「いや……」

「俺の前で心に迷いを持ってはいけませんよ。つけ込まれて、俺にいいようにされちゃうよ。かわいそうに」

カサネが笑った。同時にするりと何かが口の中に入ってくる。

白く長い指先だ。

噛めば良かったのに一瞬の判断を間違えた。噛んで怪我でもしたら可哀想だなとか思ってしまって、指を引き抜いてもらう為に口を更に開いてしまった。

すると指は当然のように図々しく奥に進んでくる。

深く。苦しい所まで。

異物感。爪ではない、硬いものが舌の根に触れて、えずきかけて、呑み込んだ。その小さく硬い何かも一緒に。

「何だ今の……薬?」

「ああ、少しの間眠くなるだけですよ。貴女の怖がる、組織の作った得体の知れない薬じゃない、ただの睡眠薬……。しばらくの間寝ていて下さい。いい子にしてたらキスで起こしてあげますから」

指を引き抜く時、また、わざとらしく上顎を引っ掛いていく。

「睨んでよ、シナトさん」

カサネが言った。

「俺、貴女に睨まれるの好きだな」

「……」

カサネの言葉はいつもシナトには分からない。好きだと言いながら悲しそうな色を纏う。

目蓋が重くなってきて、シナトは頭を振る。蕩けていくのは身体でも地面でもなく、意識か。

視界が揺れるのを自覚しながら、シナトは心の底から急に浮かんできた言葉を掬い上げてカサネに差し出した。

「カサネにとって愛って何だ」

「……どうしたの、シナトさん」

「カサネにとって愛は、心を捧げることか。自分の持ってるものを全部与えて、苦しみや痛みまでも与えて、対価に相手の心を縛ることか」

「しー……シナトさん。もうおやすみ」

「カサネがそう思うのは自分がずっとそうされてきたからか。押し付けられて、全部与えられて、だから疲れて、困ってる……」

「貴女は本当に節操がない」

溜め息の気配。呆れているような、怒っているような。

「そんなふうに誰にでも……」

カサネの手が伸びてきて、シナトの視界を奪った。

「魂を愛撫しておいて」

「してない」

「凍った湖のような瞳をしてるくせに……。その温度が本当はどんなものか、眼球を取り出して、口に含んで……確かめてみたいな。いつかね」

「……っ」

耳に、煙草の火でも押し付けられたかと思ったけれど、それは気のせいだった。熱いと感じたけど、火傷する程の熱ではない。理解するのに随分時間を要したけれど、つまり、カサネが耳朶を噛んだのだ。

「おやすみなさい。起きたら全部終わってますよ。そしたら暫く俺の事嫌いになってください。それで頭の中、俺でいっぱいにして」

「……っ嫌いになるか馬鹿!!」

次の瞬間、バチン、と電気のスイッチを消したみたいに目の前が真っ暗になった。

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