王宮にて
◆ ◆ ◆
モーナルキー王国。
西にレプブリーク共和国、北にフィエル北方蛮領、東に魔王連合国家群を有し、南にはスティッラ・ハーヴェット海を有する『人間』の国。
数多くの亜人──森の民エルフが1、鉱山の民ドワーフが1、草原の民ハーフリンクが1であれば、残りの7の人口が普通の人間で構成された国家だ。
この国の主な主産物は、豊かな鉱山からとれる鉱石や貴金属のほかに、魔術師にとって貴重な魔石や、戦士にとって有用な魔剣の産出国として、すでに400年以上の歴史を大陸中央に刻んでいる。その理由は、東に位置する魔王連合国家群にあった。500年前の“大戦”を経て、魔族と人間は袂を分かち続けており、王国は、魔王連合が西に漏出しないための「壁役」として機能している。その軍事力は、西の共和国よりも卑小な大地でありながら、王国の方が上回るという目算が高い。とくに「魔石」と「魔剣」、この両輪があればこその国軍であり、魔族侵攻に対する絶対的な武威を示し続けている。
そんなレグンボーゲの王宮にて。
「ブロード・スヴェート公爵閣下!」
式部官の宣声に従い、正装姿のブロード──勲章をいくつもぶら下げた漆黒の軍服──は、緊張した様子もなく玉座の間を進む。赤い絨毯の上を悠然と。
貴婦人たちの間から歎賞の声がもれる。若干17歳とはいえ、黒白いりまじった髪色に飾られた顔立ちは端麗であり、表情も柔和の一言。なにより御年17歳という若すぎる公爵であると同時に、国内でほぼ唯一といってよい「魔石錬成者」にして「魔剣鍛造者」──鍛造作業の過程で酷く傷ついた手指を純白の手袋に隠した姿は、手放しに賞賛してしまいたくなる気分にもなろう。が、それは王派閥に限ったこと。貴族派閥にとっては面白くない、たとえ自らの生活に利する魔石錬成者であれ、民からの信任も篤い魔剣鍛造者とは言え、派閥は派閥だ。
参列者たちの感情が入り乱れる中で、ブロードは堂々たる歩調と表情で段をのぼり、玉座の間に座るモーナルキー王国の王の前に進み出でた。
玉座に座すのは、壮年と言ってよい顔立ちに豊かな髭、白髪の増えた短めの髪の男。
王笏と王冠を戴く王──ヴォール・ヴェーデル・レグンボーゲⅡ世──は、朗々たる声音で、新たな魔剣を献上しに参上した第一の家臣──片膝をつく少年を見やる。公的な場において、王族に先に話しかけることは許されていない。自然とヴォールから言葉は先に発せられる。
「此度も良い魔剣を献上してくれた。まことに、見事なものである」
「恐れ入ります」
王は式部官の手から、桜色の刀身に花びらの紋様がちりばめられた魔剣、銘は「シェシュベッシュトレード」を受け取り、鞘から引き抜いた。
昼の陽光を受けて淡く輝く魔剣の偉容に、参内者たちが恍惚とも憧憬ともつかぬ嘆息を吐く。
それほどまでに見事な魔剣であった。
王は魔剣を鞘に戻した。
「ほかにもあれだけの魔石を錬成し、身寄りなき民草に寄贈してくれたこと、誠に大儀である」
すでに、モーナルキーの地において、魔石の存在は必要不可欠な存在となっていた。
火をおこす魔石、水を浄める魔石、大地を肥やす魔石──民の生活水準は軒並み上昇し、農業生産力や出生率の上昇にまで影響を与えている。
王はねぎらうように、式部官が用意した新たな勲章を手に取る。
「汝、スヴェート公ブロードに対し、国家貢献賞を新たに授与。ならびに──」
(? ならびに?)
予定外のことを言いだした王に対し、ブロードは内心のみで首を傾げる。無論、片膝をついた姿勢はを崩すことなく。
国王は宣言する。
「我が娘、第一王女モーネ・レグンボーゲとの婚約を正式に認めるものとする」
(……はい?)
そう口にしそうなブロードは王の顔をまじまじと見定めた。
魔石卿は声を潜めて告げてみる。
「王、それはどういう?」
「いいから話を合わせて」
王も追従するように小声で会話に応じてくれる。
ざわつく城内の声で、二人の密談の声は一切余人には聞き取れなかった。
ブロードは粛然とした様子で、婚約書類を受け取った。
王派閥最大手であるスカープ辺境伯ヴェンの拍手をうけ、場内は祝賀の万歳三唱をとなえた。
◆ ◆ ◆
「いきなりどういうことですか、王?」
「いや、すまん。ほんとうに、すまん」
平謝りするヴォール・ヴェーデル・レグンボーゲⅡ世の姿は、とても王としての風格からは欠けていた。ただの人間のおじさんが、極上のコートと宝石をちりばめた王冠を頭上に戴くだけの大男に見えた。上背は180を優に超え、城下へおりれば絶世の老紳士じみたところはある。それでも、私的な場での彼は老紳士というより、平凡な酒屋の店主じみた口調で手を合わせてくるのだ。
玉座の間での式典が済み次第、領地へ戻ろうとしていたブロードは、彼を追うようにして執務室へ。
委細を知らぬ(というか話せぬ)執事や女中らが驚く中、国王は側近らをさがらせて謝るだけで、詳細を語ろうとしない。
焦れたブロードは彼なりの意見・意志を述べる。
「自分はまだ結婚する気なんて」
「あら、私と結婚するのがそんなにも御不満? スヴェート卿、ブロード?」
「……モーネ、殿下?」
現れたのは、結晶のように美しい姫君であった。
よく手入れされた黄金の髪。肩と谷間を大きく露出した蠱惑的な紫のドレス。見る者を魅了する王女のティアラと、紫水晶の瞳。
そして、ブロードが贈った魔剣“紫色”を、その右手に聖杖のごとく携行して現れる。
「いつもどおり呼び捨てでもいいのよ」
「場所が場所だからさ。モーネ殿下?」
宝石付きの杖──魔剣を突いて現れた少女は、この国の第一王女。
肘まで覆われた優美な純白の手袋に《解呪》の魔石をはめ込んだ幼馴染たる姫君は、素知らぬ顔で言ってのける。
「今回のは婚約発表であって、明日明後日に結婚するわけでもないのだから。気を楽になさいな」
「気を楽に、ね」
ブロードは嘆息まじに微笑する。
我が家の食客として長く逗留する第一王女殿下に、一応の礼節・配慮を見せるが、内心では幼馴染に対する疑問と疑心に支配されていた、
モーネは麗容に悪戯っ子めいた表情を浮かべ、幼馴染同士、気さくな感じで会話を続ける。
「ブロードは知ってるでしょ? 私があと一月で16歳になるのを」
「うん。皆、パーティーの準備で大忙しだ」
「それに“あわせてのこと”だと思ってくれていいわ。16にもなる王女さまが、いつまでも独り身、婚約者の一人もいないというのは、内政的にも外交的にも示しがつかない。でしょ?」
「まぁ、確かに。でも、それだったら、何も僕じゃなくても」
「何をとんちんかんなこと言ってるの? 私が好きなのは──愛しているのは、ブロード、あなただけなのよ?」
あっさりと言ってのけるあたり肝が据わりすぎている王女モーネ。
ブロードは彼女の好意も愛情も熟知しているが、それでも、
「僕は、いまは結婚する気なんて」
「だから、ただの婚約だってば?」
「うーん……今の派閥争いの中で、王派閥派の僕と君が婚約するというのは、結束を固める上では」
「重要なことよね? うふふ。さすがは公爵閣下。ちゃんとわきまえているじゃない、ねぇパパ?」
「ああ、うん、そうね」
王笏を椅子に立てかけ、王冠を膝の上において、娘と娘婿候補の少年の遣り取りを見学する王。
彼は内心を陳情する。
「できれば貴族派閥の一人……オスカ卿あたりと結婚してくれたら、奴等の気勢を削ぐのにも役立つんだろうが」
「なに言ってるのよ、パパ。貴族派閥どもは“呪われた王女様”なんて、貰うわけないでしょ? というか、こっちから願い下げ」
「そういうこというもんじゃない。君は素敵な女性だよ、モーネ」
絶対に退き手数多だと断言する幼馴染に、幼馴染の王女は顔を耳まで熱くさせられる。
「…………もう、そういうところなんだからね?」
首を傾げるブロード。
これほどまでに強硬な手段を使って、式典での婚約発表に至ったわけを、モーネは改めて説明してみせる。
「ブロード・スヴェートは、ただの公爵ではなく、本物の王族だと内外に示した方が手っ取り早い。そうすれば、イェッタ殿やノルシェーン殿の負担も減らせると思うんだけど?」
「確かに、今月に入ってすでに四回も侵入者や誘拐犯が僕の屋敷に忍び込んできたけど」
「でしょう? レグンボーゲ王の第一王女をくれてやるほどの相手に、お痛しようなんて輩、そうそういなくなるはずだからね? それでも、いや?」
塾考を重ね「でもな~」と渋る幼馴染に対し、第一王女は芝居がかった様子でカウチに体を預ける。
「ああ! これが“婚約破棄”というものなのね! 異世界の書物に書いてあった通り! なんて惨めな気持ち!」
「いやまだ破棄するとまでは」
そもそも内定すらまだ結んでいないのである。
彼女が嗜んでいる異世界の書物内容。その再現に、自己憐憫とは縁遠い昂ぶった声で、彼女はひらりと立ちあがり舞い踊る。
まるで自然に、そうできることを感謝するがごとく。
ブロードは判断を下した。
「とにかく。今回の件は、判断は保留にしていただきたい。イェッタさんやノルさんとも相談したいし」
「ええ、ええ、構いませんとも」
そう言いつつも、モーネは爆弾発言を連発していく。
「あの二人ならばきっとわかってくれるはずでしょうし?」
幼馴染の第一王女──モーネは不敵な微笑みを浮かべてみせた。
・登場人物紹介
〇モーネ・レグンボーゲ
種族:人間。呪われた手足を持つ姫君。
趣味:異世界?の書物を読むこと。