不穏
第三章、開幕。
◆ ◆ ◆
三都市を攻囲し、魔族たちを、魔王支配領域を都市スタルクにまで押し戻した王国軍は、しかし、疲弊の色が濃い。
ヴェン・スカープ辺境伯の有する魔剣や、各騎士候に授けられた新造魔剣の力がなければ、ここまでの大戦果は期待できなかった。
さらに後詰の魔術師団も有効に働いた。各兵員の《治癒》には彼らの力が必要不可欠であった。
だが、
「おかしい」
王国の魔術尚書イフト・ミューレン伯は、計上されてくる報告書を吟味するにつけ、困惑と疑念を深めた。
「兵の損耗率が、この程度で済む相手だったか?」
否。そんなはずはない。
いくらこちらに魔剣と魔術、魔石の恩恵があることを考慮してみても、兵士の死亡率は当初のそれをはるかに下回っていた。
死人が減ることはよいことだ。国葬費用や遺族年金も馬鹿にはできない数字になるだろう。
だが、結果として残されたものに、ミューレン伯は呻く。
「まさかとはおもうが、相手は本気ではなかった?」
その結論にいたった伯は、身が凍るような思いだった。
兵力と補給を温存し、来るべき決戦に備えて後退した……そのような結論に至る自分が、ミューレン伯は背筋が冷たい汗を伝うほど恐ろしかった。
(あれで本気ではないとしたら……いや、しかし)
王に奏上すべきか否か、判断に迷う黒髪の若者。
彼は不穏な雰囲気で戦勝気分に浸り、残るスタルクを奪還せんと昂揚する王宮内で、一人孤独に煩悶していた。
◆ ◆ ◆
「祝勝会?」
「そ。おまえもこないか、うちの祝勝会。ソーリゲ伯爵も皆が参加するぞ?」
ヴェン・スカープ辺境伯に提案されたブロードは、苦笑を浮かべながら友人の申し出を固辞する
「せっかくのお誘いだけど。王から急ピッチで魔石錬成と魔剣鍛造を頼まれてるから」
一般兵科用の魔剣が幾百本。
《通信》《転移》などの魔石が数百個。
とても祝勝会に参加でkる時間的余裕は絶無であった。
「魔石卿は大忙しだな──気が向いたらうちの屋敷に来てくれよ。いつでも歓迎するぜ?」
うんと頷いて、王宮を離れる友人を見送るブロード。
彼は王に呼び出され、過日の戦闘で得た情報を王に奏上する儀に出向してきたのだ。
「おお、ブロードよ」
王の執務室で相対した王は、未だ壮年ながら随分と老け込んだように見える。
それも当然。魔族の大侵攻という未曽有の事態に直面し、正常でいられるものは少ないのだ。心なしか白髪が数本目立って見える。
そんなヴォール王は、ブロードの意見を聞きたいと、ひとつの報告書を手渡した。
「ミューレン伯が?」
此度の戦闘において、こちらの被害が想定以上に少なかった事実を疑問視する内容であった。
しかし、王としては無用の心配ではないだろうかと思い、他の貴族たちも魔剣などの各種要素を取り上げて、魔族の排除に成功したと信じて疑いないと奏上している。
いまや貴族派閥の唯一の大臣職であるミューレン伯を、擁護するものは少なかった。何より、せっかくの戦勝気分に泥を塗るかのような行為が、王派閥の貴族たち──先の戦闘の功労者たちには、はなはだ不愉快な進言であったのである。
だが、ブロードは違った。
彼はあの戦闘で完勝した立場とは言い難く、他の貴族たちよりも奥地で、敵の魔王二名と相対し、その実力に震撼せざるを得なかった。
さらに、奪還したイェッタがもたらした情報も気にかかる。
「強欲女帝の復活、だと?! 真かそれは!」
「“六英”の一人たる我が従者……イェッタが証言したことです。可能性は高いかと」
王は唸った。
そうして真剣にミューレン伯の報告書に改めて目を通す。
「私は、魔術尚書の考え過ぎだと思うのだが」
「いえ、王。実は私にも不可解なことがひとつ」
ブロードは先の作戦において、《転移》直後に【強欲女帝】と一瞬で会敵した事実を打ち明けた。
「まさかとは思うが、ブロード。貴公はこう考えているのか?」
「はい。王の臣下の中に、敵と内通し、こちらの情報を流している『裏切り者がいる』可能性が高いと愚考しております」
「それが事実ならば由々しき事態だぞ?」
しかし、ブロードは自説を曲げはしなかった。
そもそもにおいて、王宮を吸収した拳豪魔帝アロガントにしても、その言動の端々に、魔石卿に関する詳細な情報源があるような口ぶりであった。
『よぅ? ウワサの『魔石卿』さんよぅ?』
『おもしろい! おもしろい! 愉快すぎるぞ、魔石卿とやら!』
『思ってたよりやるじゃねえか、魔石卿さんよぅ!』
奴は初対面で魔石卿であるブロード・スヴェートを、少年公爵を看破していた。
(ウワサの……とやら……思ってたより……)
いくら情報戦は重要とはいえ、魔石卿が王国でも重要人物であると内外に知らしめられているとはいえ、だ。
あまりにも腑に落ちない。
最初から、魔石卿と戦うことを想定したと考えた方が納得がいく現行ではないだろうか。
考えすぎかもしれない。すべてが偶発的な不安要素の発生にすぎないかもしれない。
それでも。
「お気を付けください、王。敵がうちにひそんでいるなどと思いたくもありませんが、警戒は大事です」
いつか誰かに言われたのと似た言葉を口にしながら、王に奏上する魔石卿。
そんな彼に対し、王は誠実に首肯を落とした。
「うむ。そうだな。諜報部に内偵を命じておく。魔石卿は、己の業務に専心してくれ」
ブロードは恭しく腰を折った後、王の執務室を後にした。
ヴォール王は呟く。
「……裏切り者、か」




