イェッタ・イェーン
◆ ◆ ◆
時は505年前
星暦2602年。
世は混沌を極めていた。
六人の魔王からなる強大な魔王連合『六帝』の脅威に、周辺国家は侵略と破壊を許すほかなかった。
この当時、魔石も魔剣も開発されていなかった──否、この魔族侵攻に対抗するべく開発されたのが両者であると言われている。
人々は結集し結束し、様々な策を講じた。ヴァッケル平原での戦いにおいては、人もエルフもドワーフも、魔王に抗する尖兵として戦った。
その中でも傑出した『六人の英雄』通称『六英』が誕生した。
純白の聖剣使い──ヴィート
黄金の女聖騎士──グルド
白銀の水騎兵──シルヴェル
赤銅の雷戦士──ブロンス
大地の高位魔術師──ヨード
そして、常に鋼鉄の鎧兜で容貌を隠していた、ダークエルフの混血たる火の魔剣使い──鋼鉄の女魔剣士──イェッタ
魔王連合の都は次々に陥落していき、人々は歓呼に沸き、勇気をさらに奮い立たせた。
そうして。
魔王の居城のひとつにて。
「潮、時、か」
ハーフダークエルフの乙女は、握っていた魔剣を落とした。
一人の少女が、仲間たちと共に、「六帝」と呼ばれた魔王連合を打ち砕いた。
だが、その代償は高くついた。
少なくとも少女は、仲間の一人をかばい、心臓に致命的な一撃を喰らっていた。
後に「六人の英雄」「六英」と渾名される五人の仲間たちに、乙女は最期の別れを告げる。
「ヴィ―ト……たくさん修行つけてくれて、感謝してる。
グルド……もう少し、オシャレには、気を使いなさい。
シルヴェル……たくさん、泣かせちゃって、ごめんね。
ブロンス……少しは、雷加減を覚えておきなさい、よ。
ヨード……今まで仲間でいてくれて、──ありがとう」
少女の名はイェッタ。
己の命をとした一撃。それにより、魔王最後の一人に心臓を穿たれた英雄は、六帝の最後の一人が引き起こした“時の狭間”に囚われ、そして……
500年後の未来に飛ばされた。
◆ ◆ ◆
星暦3102年。
イェッタが気づいた時には、ある屋敷の門前に倒れ伏していた。
酷い雨の日だった。水たまりの中に、血染めの鎧を浮かべる。意識は継続されていた。
「…………こ…………こ…………は」
どこだろうと考えを巡らせる間に、少女の命の灯は消え入りかけている。
心臓の鼓動は弱まり、生命力にあふれた血潮が萎えていくのを感じる。
ああ、これが死か、という茫洋として漠然とした思い。
(でも……悪くない)
仲間たちの命は守り切った。
六帝のうち五帝の討滅は確実だった。
ならば……自分の役目は、これで終わった。
黒い長耳は不吉だと言われた。
褐色の肌が気味が悪いと煙たがられた。
血のように炎のように赤い瞳を人々に恐れられた。
そんな自分の最期が、これか。
誰に看取られることなく。
誰に送られることもなく。
だが、悪くない。
そう思える自分がいた……それは確かだ。
けれど、やっぱり少し、
(…………さびしい)
ひとりぼっちで生まれて。
ひとりぼっちで死んでいく。
いやだ。
いやだ。
いやだ。
いやだ。
(誰か、たすけて…………!)
そう祈りかけ、呟きかけた時だ。
「あの」
傘を持ち、手袋をはめた、黒白のまばらな髪色をした少年が、目の前に現れた。
「大丈夫ですか?」
その問いにどう答えることもできないイェッタは、少年の顔を見上げるばかり。
イェッタはすぐさま少年が使役するゴーレムの手によって、屋敷の医務室へと運ばれた。
執刀医はなんと少年自らが行った。壊れた鎧を脱がされる。医療ゴーレムたちの補佐を受けながら、少年は緊急処置を進める。
「褐色の肌? 黒い長耳?」
当惑しかける少年であったが、今はそれどころではないと首を振った。
とくに、胸部中央の傷が致命的であることは明らかだった。
「酷い傷……誰がこんな……心臓まで、ずたずた……早く処置しないと!」
なんとか手当を試みる少年が取り出したのは、心臓のように赤い魔石。
「師匠がやったように……ここを、こうして、……血管を循環させて」
うんと頷き、できたと呟く少年。
「大丈夫。あなたは助かりますよ」
麻酔が効いてる中で聞かされた事実に、私は感動の涙を落とした。
そこにある朗らかな笑顔に魅入られながら、イェッタは眠りについた。
◆ ◆ ◆
数日間、私は眠ることになった。
けれど、少年が手当てしてくれなければ、魔王によって抉り斬られた心臓の代わりを提供してくれなければ、十中八九死んでいたと、医者に言われた。
イェッタは湯気の立つかぐわしい白粥で腹を満たしつつ、自分の生きてきた時代よりもはるかに文明度の進んだ世界を確認する。
窓には全面ガラスが張られ、室温は魔石によって一定に保たれて心地よい。ベッドのふかふか具合も、信じられないほど柔らかだ。
暖かな食事。浄化された水。領主への恩義に、農耕を営む人間、木材加工のエルフ──とくに鉱山夫のドワーフ──領民たち全員が感謝の言葉を絶やさない
そして何より、子供が外で駆けまわり、遊び戯れることができる。
平和な時代。
平穏な領地。
平安な国土。
そこをおさめるのは、当時たった11歳の少年公爵という事実。
医師は彼のことを「魔石卿」だの「奇跡卿」だのと言っていた。その通りだと思った。絶体絶命の運命にあった私の危機を救い、こうして平穏無事な毎日を過ごさせてもらっている。
これ以上の奇跡など望みようがない
だというのに。
少年は謝るのだ。
「ごめんなさい……貴女の心臓は使い物にならなそうで。それで勝手に、魔石で繋いでしまって」
事後承諾になった事実を謝罪する少年領主ブロード。
何か不具合でもあるのだろうかと問い返す私に、魔石卿は首を振って応えた。
「不具合というほどじゃないけど、その魔石がもつのは一年くらいで……その時にまた寿命の長いやつに交換手術を施さないと……え、一年のものでいい? その方が、都合がいい?」
彼から受け取った《心臓》は心地よかった。
疑問符を大量に頭に浮かべる少年に、私はベッドをおり、片膝をついて答えた。
「オレの……いえ……私の心臓を、あなたに捧げます。この恩は、我が一生を賭して、お返しさせていただきたい」
逆にお願いする私。
少年は少しの間考え込んだ。「どうせなら性能がいいやつに換装したほうがいい気が」とか「でも、これはこれで実験回数を増やせる」とか、ちょっと危ないことを口にしながら。
そして、少年はほころぶように笑みを浮かべてみせた。
「じゃあ、今日からよろしく。イェッタさん」
少年が差し出した掌を、私は神の啓示のごとく、両の手で受け取った。
イェッタは自分の身の上を、包み隠さず話した。
500年前の「六帝討伐」にはじまり、自分自身の出生……人間の国では例を見ない、ダークエルフの混血であること……『六英の一人』であることまで、何もかも。
ブロード少年は、それらすべてを真実として受け入れ、「だったら渡しておくものがある」と言って、物置へと向かった。
彼が持ち寄ったものを見て、私は驚嘆するしかない。
「魔剣《赤色》」
少年の師の形見のひとつだというそれは、かつて、私が戦場で握っていた魔剣そのものであった。赫い刀身はよく磨き上げられ、かつて、その熱剣の上で調理の腕を仲間たちに振るったことがあることを思い出し、ほんの少し涙が溢れそうになる。
「魔剣は持つべき者のところにあるように──「魔工老」──ぼくの師匠の言葉です」
その言葉に呼応するように、赤い魔剣の刀身が明滅した。
「レードも、持ち主に会えて喜んでいるみたいだ」
そう告げてくれる少年。彼への恩義が、また一つ積み重なった瞬間であった。
「あの、ひとつ、お願いがあるのですが──」
◆ ◆ ◆
こうして、イェッタは彼のもとで、女中として働く道を選んだ。
褐色の肌を恐れず。
長耳を不気味がらず。
真紅の瞳に臆することもない。
《心臓》の魔石によって、命を救ってくれた恩人。唯一無二の主君。
イェッタにとって、たった一人の御主人様──仕えて当然の主人──「魔石卿」ブロード・スヴェート公爵閣下。
彼との出会いから5年。
彼女の忠誠心はすべて、彼のためだけに捧げられる。