急転
翌日の朝。
「──イェッタさん」
ブロードはベッドの上で目を覚ました。
いつもは呼べば飛んでくる勢いのメイドの気配が、まったくしない。
「……イェッタさん?」
彼は屋敷の中を徘徊して、ついで走り出して、探し回る。
「イェッタさん?」
台所を。
洗濯場を。
地下倉庫を。
ダイニングを。
メイドの個室を。
しかし、彼女の姿はどこにもない。
屋敷のうちにも外にも、どこにも──
「イエッタ、さん…………」
◆ ◆ ◆
王宮の混乱ぶりは拍車をかけたような具合であった。
「外務尚書が、ディンマ伯が逃げ出したっだとッ?!」
城内に参内した文武の高官たちは声を荒げながらも、ひそやかに囁きあう。
「かの御仁は。もともと貴族派閥の重鎮。だが、王国に魔族が侵攻してくる以上は」
「沈みゆく船から逃げ出そうと言うハラか、あの老いぼれが!」
「あらたな外務尚書を任命する必要があるが」
「今はそのような時ではあるまい! 魔族から侵攻阻止が最優先だ!」
「おい、あれ」
「あれ、と、は……?」
そんなさざめきを遠くに耳にしつつ、スヴェート公ブロードは廊下を進む。
供回りは連れることなく、たった一人で。
彼の異様な雰囲気に、すれ違った官僚たちは沈黙を余儀なくされる。
「どうした、スヴェート公?」
そんな状況でただ一人、彼に声をかけることに成功した人物がいた。
彼の親友でり、今回の魔族侵攻の被害者である国境警備の重鎮──ヴェン・スカープ辺境伯。
彼はすぐさま友の周囲に侍っていた黒髪の女中がいないことに気づいた。
「…………ヴェン?」
いつもは女中イェッタの手によって完璧に仕上げられる軍礼服が、見るも無残なありさまを呈していた。
ヴェンはその場で自分の女中に衣服を整えさせることはなく、空き部屋を探して事情を聴いた。
「イェッタ殿が、いなくなった?」
何故だ、どうしてと訊ねる友人に、ブロードは「分からない」としか答えられなかった。
「昨日、イェッタさんから、話を聞いて……その途中で眠くなって……明日また話そうって、約束、したのに」
心ここにあらずというありさまであった。
イェッタという女中が傍からいなくなっただけでこれとは、親友の先が思いやられる辺境伯。
「とにかく、ノルシェーン殿へ早馬を出すよう言づけた。今日の合議には参加しなくても良い」
「でも」
「そんな状態で百官の前に出てみろ。笑いものにされるか、嘲弄を受けるだけだ。王には私から事情を話す」
ブロードは涙も流させないまま、家族がいなくなった三度目の事実を、受け入れるしかなかった。
◆ ◆ ◆
ミューレン伯は、残された貴族派閥の筆頭として、王宮に参内した。
そこで不可思議なものを見た。
「辺境伯と、魔石卿?」
辺境伯は昨日と変わりない様子であったが、スヴェート公ブロードの方は惨憺たるありさまだ。
「体調でも崩されたのでしょうか……?」
髪は丁寧のと化されておらずボサボサ。身なりも適当に自分で着込んだという風なのが透けて見えるかのよう。
普段の彼らしくない。
彼らしくないと言えば、常にともにいるメイドキャップを目深にかぶった女中の姿が見えないのも不可解だ。
何かあったのだろうか、そう問えるほどの間柄ではないミューレン伯は、王室魔術師に呼び出され、急ぎ自分の執務室に向かった。
◆ ◆ ◆
「すると。“六帝”の復活は確実、とのことだな?」
「はい、陛下。王室魔術師百余名による卜占と遠隔視の結果でございます」
玉座の間にて。
片膝をついて奏上するミューレン伯の前で、王は眩暈にも似た感覚を覚える。が、もちろん不調などではない。
「よりにもよって。我が代で魔族の大侵攻を受けようとはな……」
苦笑しかけて、王は失敗した。
とにかく癇癪をおさえるように目頭を押さえこんでいるように見える。
「よくぞ報告してくれた。さがれ、ミューレン伯魔術尚書」
深々と頭を下げて百官の列に戻る黒髪の若者から、次に金剛石を思わせる髪色の若者が呼び出された。
「ヴェン・スカープ辺境伯よ」
「はっ」
「そなたに、魔族大侵攻からの防衛軍総帥の任を与える」
「御意」
「なお辺境伯の従える軍勢は」
そこまで王が言った時であった。
「ヒャアッ、ハアー!!」
あまりにも場違いな、しかも無礼極まる男の声が、玉座の間のステンドグラスを割り砕いて参上する。
「ぶ、無礼者!」
「何者か、貴様!」
その場にいた近衛兵らが十数人が槍を突き出し、赤髪に奇妙な印象を目元に刻む不埒千万な侵入者を取り囲む。
侵入者は飄然とした声音で応えた。
「ああ、見て分かんねえのか? ああ、分かるわけねえわな! クソ弱ぇ人間形態じゃあ、俺様が誰かなんてよぅ!」
男の拳が、近衛兵の包囲陣を横薙ぎに吹き飛ばし、殴殺していた。文武百官が凍り付き、ヴェン・スカープ辺境伯が身を挺して王をかばう位置につく。
ヴォール王が玉座の上で誰何の声をあげる。
「貴殿は一体、何者か!?」
筋肉質な男と見える。袖なしのレザージャケットを肌の上に直接羽織り、その筋繊維の輝きを惜しげもなく外気にさらす。年齢は若く見積もっても20代前半。身長は180前後。だが、近衛兵らを一撃で吹き飛ばす膂力たるや、尋常のそれではない。
男は皮肉気な表情で、明快に告げる。
「【拳豪魔帝】アロガント」
その単語の意味を、理解できたものは少数であった。
「初対面ですまねえが、最高速で、おイノチ貰っちまうぜぇ──人間どもの王様さんよぅッ!」
辺境伯の肉の盾など、お構いなしの超速攻劇。
王国を治め、文武の官僚を統べる旗頭たる王は、携行する魔剣を抜く間もなく、魔王の正拳によって頭蓋を破砕され、脳漿を絨毯の上にブチ撒ける──
直前であった。
「《シェネレース》!! 最大励起!!」
──左腕で広間の床に突き立てられた、“寛大”と銘された魔剣が、玉座の間の敵意を完全に消滅せしめた。
拳豪魔帝は拳をおろして振り返った。
「…………へえ? やるなあ? 俺の攻撃を止めるとは、なぁ? ギハハハハハ!」
アロガントは乱杭歯だらけの口内を見せびらかすように呵々大笑する。
「よぅ? ウワサの『魔石卿』さんよぅ?」
拳豪魔帝の「拳」──脅威が、完全に停止。
それを成し遂げた少年公爵の登場に、場内は大きく色めき立つ。
「ま、魔石卿殿っ!?」
「スヴェート公ッ!!」
だが、官僚らの雑音などには構わず、純白の魔剣を玉座の間に突き立て発動したブロードは、乱れた軍礼装のまま、次なる魔剣を抜き放つ。
「《エーヴェヴィンナ》──第二励起!!」
──少年が右腕に握る、“征服”という名を冠された漆黒の魔剣が、黒く、昏く、染まる。
「《征服する大嵐》!!」
黒剣の一閃と共に、烈風が玉座の間を吹き荒れた。
「ど、おぅッ?!」
同時に、王の命を瞬殺せんとした不届者を、彼は台風を思わせる嵐の風に捉え、城外へと吹き飛ばしてしまう。
ついで《飛行》の魔石で後を追う少年公爵を、
「ブロード!」
辺境伯から事情を聞いていた王が数秒の間、引き止めた。
「このような時に、すまん────だが、頼んだぞ!」
ブロードは委細承知した様子で頷き、魔剣を抜いたまま空を駆け、割れたステンドグラスから魔王のもとへ向かった。
…………彼の後を追うように、一人の貴族が城外を目指したことは、この時はまだ誰も気づいていない。




