ブロード・スヴェート
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広大なスヴェート領の四方をまるで囲むような山嶺は、魔王の居城のごとく峻険とは言い難い。
標高は千からその半ばというところ、豊かな樹林の宝庫でもあり、木材資源が豊富だが、それは過去のこと。
今やスヴェート領の主産業は、ありとあらゆる「魔石錬成」、そして他に類を見ない「魔剣鍛造」を、領主みずからの手で行っているとは、にわかには信じがたい。
しかもその領主が成人年齢にも満たない17歳の少年ということで、国中の貴族から平民まで、驚嘆したことは言うまでもない。
スヴェート卿の屋敷は、他の貴族のそれに比べると酷く手狭だ。他の貴族の別荘別邸サイズと言っても、けして過言にはならない。彼には華美を好んだり風雅を愛でる質は持ち合わせていなかった。どこまでも機能的かつ、最小限の貴族の品位。これだけ守られれば、それで十分だと。
領地の広大さに比して、領主たる「魔石卿」は、工房を築造し、その上に蓋するような構造で城を構えたといっても良い。城と言っても、部屋数は三十にも届かず、屋根裏の倉庫などを含めても三階建て分(地下工房を含めても四階建て)しかない宏壮な屋敷は、すべて一人の女中と一人の執事によって清掃・機能している。さらに、スヴェート卿が魔石で建造した小型~大型ゴーレムが屋敷領内を配置あるいは徘徊し、侵入者の発見と迎撃を行うという流れになっている。
そんな邸内で、最も安全かつ重要を極めるのは、言うまでもなくブロード・スヴェート公爵、その人の寝室だ。
その寝室には写真たてがいくつもあり、彼の大事な家族が、そこここに映っている。
仲睦まじく椅子に腰かけている男女──
黒曜石の髪が特徴的な父、コール・スヴェート侯爵。
白耀石の長い髪を持つ母、オリア・スヴェート侯爵夫人。
そして、魔石卿の師となったドワーフ──父母と親交の深かった魔剣職人──シェーン・クラフト「魔工老」
「おはよう、父さん、母さん、お師匠様」
彼が起きた時刻は午前三時。
家人たちの安眠を妨げるわけにいかないと、彼は一人で部屋を辞そうとし、
「おはようございます、坊ちゃま」
「イェッタさん?」
扉の前で待機していたメイドに驚きの声をあげかける。
「ああ、そうか、イェッタさんの耳」
「はい。半分ダークエルフですので」
メイド帽子に隠した長い耳。
褐色肌に黒髪の乙女は、聴覚に優れている。
彼女ならば数十メートル離れた場所で落ちる針の音まで感知可能だ。
主人が起きだしてきたことは当然のごとく把握し、メイド着に着替え、扉の前で待機することは容易ときてる。
実に優秀有能。メイドかくあるべしの鑑である。
イェッタは主人の用事について問いかける。
「魔石炉に火を入れますか?」
「いや。今日は魔石錬成だけにしとく──10時には王宮に参内しないとだし」
彼が予定を覚えていたことに納得の頷きを返すイェッタ。
ブロードは寝室にある写真たちに別れを告げ、「錬成室」へ向かう。
大小さまざまな魔石が木箱詰めにされた、その中心で、魔石錬成の準備を始める。
まず。市場で買い付けたくず石の中から、魔石の素となるものを削り出していく。
鑿と鉄槌の音が快く響く。そうして取り出された魔石の素を一ヵ所に集め、ブロードは魔術陣の上で念じる。
瞬間、室内が、激しくも淡い錬成光に包まれる。
そうすると、極小の魔石の群れが宝石のような綺羅星の輝きを放ち、それらがひとつの形を形成していく──魔石という一つの形に。
ある時は宝石のような。
ある時は宝玉のような。
ある時は結晶のような。
さまざまな形を形成する魔石を、ブロードはさらに加工。単一の機能を特化する一般向けか、複数の機能を併せ持つ魔術師向けに大別される。
「ふう」
「お見事です、坊ちゃま」
「ありがとう──お師匠様のに比べれば、まだまだだけど」
ブロードは錬成室に飾っている師の写真を見た。
「さて。この調子で50個ほど錬成していくから。イエッタさんは、朝食の準備をお願いします」
「かしこまりました」
イェッタと別れ、魔石錬成の作業に没入しつつ、ブロードは思い出す。
シェーンとの別れは寿命によるものであったが、父母はスヴェート家所有の鉱山視察中の落盤事故で、十年前に喪われた。
当時のブロードは7歳であった。
子供であった彼は、鉱山事故に巻き込まれた人々への医療費などで、屋敷も土地も財産も失い、爵位まで返上することに。
父母を失った後の元スヴェート侯爵家は、一時お家取り潰しの憂き目にあった。
が、ブロードは家名も領地も財産も捨て、シェーンのもとに弟子入りを果たせた。
落盤事故からブロードを救出してくれた彼のもとで、ブロードは本来貴族ならば絶対に開花させることなかった「魔石錬成」や「魔剣鍛造」の心得を学んだ
どのドワーフも「適正なし」とされ不可能であった魔石錬成の才能、魔剣鍛造の才能を、ブロード・スヴェートは見事、師のもとで開花させた。
そうして師のもとで修業すること一年──彼は魔石を生み出す錬成職人の技を得て、さらに一年後には「魔剣鍛造」の技術まで学び取った。
これらの功績によって、彼は社交界に帰ってきた。帰ってこざるを得なかった。
彼が生産する魔石純度によって、これまでの常識が、概念がひっくり返ってしまったのだ。
魔石は魔術の媒介品であり代用品という価値観がそれまでの定説であり常識であった。が、彼の錬磨錬成する魔石は、並みの魔術師よりも強壮──絶対的に性能が上であった。今となっては各家庭に扱われるようになった魔石は、それまでの出来の悪いマジックアイテム──火がつくかどうかわからないコンロ──浄化水が出るかどうか不安な蛇口──電気がつくかどうか不明な明かり──これらの代用品としての地位を得るのに、そう時間はかからなかった。彼の錬成した《火》の魔石は容易に火をおこし、《水》の魔石は浄化水を溢れさせ、《光》の魔石は夜の明かりを供与してくれる。
つまり、一般家庭への魔石の普及。
それによる国民の生活水準の上昇。
そして、それが巡り巡って民たちの生産能力向上と労働環境の改善、経済は発展し、そして出生率の増加にまでつながることに。
もはや、ブロード・スヴェートという名の魔石職人にして魔剣鍛造者は、国家の要人が、否、国家の要人として、匿わなければならないほどに、その地位を回復せしめたのだ。
彼は、『市民生活の向上に貢献し、魔術の発展に寄与した』功績を認められ、さらに、国の第一王位継承権を持つ王女“呪われていた姫君”モーネ・レグンボーゲの《解呪》に成功したことにより、元の侯爵位よりも位階を進めた“公爵”の座についた。
より、王座に近い貴族として、彼はそれほどの業績を堅持してみせたのだ。誰からも異論の出るはずもない。
しかし、彼は送られてくる大量の使用人を即日、王室に送り返した。
曰く、「仕事の邪魔になるから」と言って。
当然、王派閥の貴族たちにはおもしろくない事件ではあったが、王は彼の意思を汲み、その領地を守護する兵権を彼に与え、半ば放置した。
曰く、「ブロード・スヴェート自身が、兵力として申し分ない存在である以上、無用な使用人は領土運営の邪魔になるだけなのだろう」と判を下した。
事実、ブロード・スヴェートは魔石によって生み出された大量のゴーレムに囲まれ、身の世話や領地の警護なども、それで十分であるかのように思われた。
何より、彼の保有する魔石の量と、鍛造される魔剣の量。それは、公爵の身辺を安寧せしめる絶対的な要因たりえた。
王へと献上した“天上五剣”と呼ばれる傑作群についても、管理は鍛造者本人に任せようという王の差配もあった。
いま。彼の屋敷には食客を含め、四人の魔剣使用者がいる。
ひとりは女中、イェッタ・イェーン。
ひとりは執事、ノルシェーン。
ひとりは食客、モーネ・レグンボーゲ。
そして、ブロード・スヴェート公爵自身
午前六時ごろ、イェッタが朝食に呼んでくれた。いつもどおり台所で。
朝食を平らげると、ブロードは用意された正装に袖を通し、身支度を整える。
王宮のある直轄領までは馬車の旅だ。気ままなお出かけならば時間など気にする必要などないが、余裕をもって行動しなければ。
「いってきます、父さん、母さん、お師匠さま」
玄関の古く大きな肖像画にそう言い添えたブロードは、王宮のある王直轄領レグンボーゲを目指し、ゴーレムの馬車に乗り込む。
供回りを務めるのは、メイド姿のイェッタのみ。留守はノルの手にゆだねられる。
「そういえば、うちの食客────モーネ殿下は?」
「先にお発ちになられました、早馬で……いろいろと準備があるとかで」
「準、備?」
さて何の準備だろう?
そう思考を巡らせる正装姿のブロードに対し、イェッタは胸中穏やかではなかった。
「どうかした、イェッタさん?」
「いえ、なんでもございません」
イェッタは主人からの問いに答えられぬまま、御者のゴーレムに出発を命じた。
丸眼鏡の奥の瞳には、窓外の移り行く光景がよく見てとれる──安らかで緑豊かな大地を目にしながら、イェッタ・イェーンは自分がここへ──ここにいる彼のもとへ来た日のことを思い出す。
(もう五年が経つのですね……ブロードさま)
手を添えた胸元では、彼からいただいた《心臓》の魔石が、トクントクンと脈打っていた。