魔石卿の日常
◆ ◆ ◆
【魔石】とは。
魔術界においては魔力のこもった鉱石であり、魔術師たちの触媒のひとつ。
一般的に流通や交易がされることは少なく、魔力のこもった石ゆえにドワーフの手にも余るという。
そんな魔石を練成し、鍛造し、【魔剣】に変えてしまう天才ドワーフがいた。
人呼んで「魔工老」シェーン・クラフト。
彼の技術は複雑難解を極め、同業者であるはずのドワーフや魔術師たちにも解読不能な工程で【魔石】を錬成し、あまつさえ、それを【魔剣】へと鍛造してしまう。
彼は一種の鬼才であり、彼の後継は育たたなかった。彼の手によって鍛造された【魔剣】は100丁の限定品として珍重され、高値で売買がされ続けている。
そしてシェーンの晩年、彼は一人の少年を弟子にとった。
ドワーフの才児でもなくば、魔術の大家でもない、ただの遺児。
それも、やんごとなき事故から両親を喪い、侯爵位を返上した、元貴族。
当時七歳そこそこの少年は、師の教えを学び取り、魔石から魔剣を鍛造する術や、魔石そのものを加工し生活の道具とする理を、己のものとした。8歳にして「魔石錬成」を、9歳にして「魔剣鍛造」を成功させる──
彼の名はブロード・スヴェード。
後に「魔石卿」とまで呼ばれることになった、ただの人間の子供である。
◆ ◆ ◆
星暦3107年。
春の日差しに朝露が草花を濡らす時刻。
地下工房から大量の火の臭いを噴き上げ、鉱石を打つ音色が連鎖する。
弾け飛ぶ火花。
炉に大火のともる地下工房内に、孤独な大槌の音が響く。黒と白──黒曜石と白曜石が交互に混じったような姿を「若白髪」と揶揄するものもいるが、少年は一切気にしない。
市場に赴き自らの眼で見て、買い付け、搬入させた魔石を加工し、それを魔剣の基部とする作業を、彼は自分一人でこなしてみせる。相槌役も必要としない、簡単な作業だと自負している。
ガキン、ゴキンと響く金属音は、まるで一種の楽奏のごとく、一定のリズムを刻んでいる。この音律こそが要だと、彼の師匠は口をすっぱくして幼き日の彼に語ったものだ。それでも、空隙を抜かれ芯鉄をいれる作業を折り返し繰り返すことで強化された魔石は、確実に成形され、圧縮され、元の魔石の形を“剣”の形に変貌させている。
そんな作業が、すでに十時間以上。
驚異的な体力と集中力がなせる業だ。
常人であれば既に気を失って眠りの世界に旅立つところであるが、彼、大陸唯一の魔剣職人となった少年は、朝が来たことも忘れて鎚を入れる。壁の張り紙には現地語でこう記されていた。『注意一秒、怪我一生』──これも、彼の師匠たる魔工老からの教えである。
「う~ん──うん、できた」
水入れをし、充分に熱をひかせた新たな魔剣の出来を確認して、少年はひとつ納得の首肯を落とす。既にエルフが製作していた、銀樹の鞘に蒼黒い刀身を収め、発注元であるヴェン・スカープ辺境伯への奏上箱の中に楚々と収め、魔石製のゴーレム馬車によって発送させる。一仕事終えた彼はひとっ風呂浴びて、尋常でない量の汗と煤と魔晶片を丁寧に洗い落とした。
師が亡くなった七年後の今。
ブロードは17歳になっていた。
「イェッタさーん」
地下工房の魔石炉の火を落とし、彼は作業服一式を脱ぎ始める。
主人の大声に呼ばれた黒髪褐色肌のメイドは、散らかった工房内を慎重に渡り歩きつつ、この家の主のもとへ。屋敷の中、とくに工房内は対侵入者用の罠で溢れている。決められた道筋をたどらないと、いろいろと面倒が増える。
黒髪褐色のメイド──彼女の挙措には無駄がない。足運びも体捌きも、メイドというよりも武人めいている。褐色の肌というのは、この大陸ではあまり見ない人種の色だ。
彼女は大きな丸眼鏡をかけ、黒い腰まである長髪と共に、開いた工房の扉の前に立つ。嗅ぎなれた火の匂い、据えた香りが空間を満たしていた。
「何かご入用ですか、坊ちゃま? 魔石運搬でしょうか? それとも工房内の清掃を?」
「うん。そっちは僕がやりますので。朝ごはんが、食べたいです」
「あら。もうすでに昼餉の時刻ですが?」
「うん。おねがいしますっ」
「かしこまりました」
のんびり屋な緩い声で主人にお願いされたメイドは、見事な一礼を送ると、その場を後にする。
廊下にまで積まれた煌びやかな魔石の在庫には目もくれず、一階の台所へ。専用の台所女中や洗い場女中がいるわけでもない。この屋敷でほぼ唯一のメイドである彼女自身が料理人、その代行を務める。
「よし」
耳まで覆うフリル付きのメイド帽子の位置を直し、材料を揃え、小麦のパンを焼き、卵と野菜のソテーも用意する。
──その調理道具はすべてが魔剣であるところを見れば、魔術師たちなどは気を失うところだろう。
イェッタに与えられた(本人は“借りて”いる認識の)魔剣は、数十本にもなる。
メイド服の背中に帯びた大剣が一振りと、現在、調理に使っている四本。が、それはほんの一部。
そのいずれもが、彼女の属性と相性ぴったりな炎の魔剣“赤”という銘が刻印されている。
彼女は大小そろったそれをフライパンや火を出すコンロの魔石よろしく調理器具に利用し、分厚い干し肉を焼き切り、最後に湯を沸かせてコーヒーとホットミルクの用意も整える。
「……よーし」
心浮き立つようなメイドの声。
かぐわしい香りが一階から立ちのぼり始めた頃。
「ふぁああ──おそよう、イェッタさん」
「はい、坊ちゃま。おそようございます」
地下工房を閉め、軽くシャワーを浴びてきた家の主人が、あくびを噛み殺すこともなく、悠然と姿を現す。
「あれ、……ノルは?」
「ノル殿でございましたら、領地からの徴税経理中です。昼餉の時刻ですので、しばらくこちらにはおいでにならないかと」
テーブルに昼餉を並べている最中、地下工房から芳醇な匂いにつられてやってきた主人が台所にやってくる。
イェッタは彼の容姿を熱っぽい視線で見る。
髪は黒曜石と白曜石を交互に砕いたような髪色で、太陽の反射光によって輝きが増して見える。瞳は黒金剛石の色。目鼻立ちは整い、睫毛も長い。肌艶も良く、一見すると女性とも勘違いされそうな美貌の持ち主だが、彼こそがまさに、当代において唯一の魔剣鍛造者にして加工職人──「魔石卿」──「魔石公爵」の異名を与えられ、ドワーフの鬼才「魔工老」の技術のすべてを受け継いだ人物──イェッタ・イェーンの“命の恩人”でもある、この世にただ一人の御主人様であった。
「もうじき“朝餉”の準備が整います。しばしお待ちを」
「うん……ありがと……イェッタさん」
眠気のまま舟をこぐ少年が答える。
長卓に運ばれる料理は、公爵の朝餉というより、平素かつ凡百な、一般人の朝食というありさまだ。
「……イェッタさんが来てくれたおかげで、朝ごはんが豪勢になって、助かります」
「とんでもございません」
大きな丸眼鏡をかけた黑髪の長い褐色肌のメイドは、白銀の瞳を伏せて一礼する。そして何食わぬ顔で自分の分の食事とホットミルクを添えた席に着く。
「じゃあ、いただきま」
二人で食事を愉しもうというまさにそのとき。
玄関ベルではなく、警告音をならす魔石が真っ赤にともって、けたたましい音量が屋敷中に響く。。
イェッタは苛立ち席を立ったが、主人は眠気眼でもそもそとパンをちぎり始めている。クリームシチューに着けて食べるのが好きなのだ、彼は。
「少々席を外します、ブロード坊ちゃま」
「……うん……がんばって」
丸眼鏡を外して現れたのは、凶相。
傷痕の残る目元をギンと睨む形に変え、戦闘用魔剣を背に席を立ったメイドを、ブロード・スヴェードは「いってらっさい」と手を振って見送った。
イェッタはメイド帽子を乱雑に脱ぎ外し、長い黒髪を露わにして、警告音を発している邸内の監視管理室──ノルの持ち場に向かう。
「何事ですか?」
「イェッタ殿」
青い髪に胸が少々膨らんで見える同僚──男装の麗人──執事姿の家令は、凶悪な面構えのイェッタに淡々と報告をあげる。
「徴税吏からの経理作業中でしたが、どうやら侵入者のようです」
「侵入者ぁ?」
粗雑な口調で魔石のモニターを睨むメイドは、広大な屋敷全域に散らされている《監視》用の魔石ゴーレムたちを通じて、侵入してきた者たちの影を瞳の中に捕らえる。
「まったく。油断も隙もあったんもんじゃない。ノル殿はここで待機を。実戦闘には、オレが対応します」
「よろしくお願いします、ですがイェッタ殿、口調が」
「おっと、失礼」
ノルシェーンは全幅の信頼を寄せた氷雪のごとき眼差しで、彼女を戦地に送り出す構えだ。
──ブロード公爵は「魔石卿」とまで勇名を馳せた“職人”だ。
モーナルキー王国の重要人物であり、王族の第一継承者たる王女を《解呪》の魔石で救った英雄だ。
その魔石錬成・魔剣鍛造の技術の粋を、彼ごと持ち逃げしようとする野蛮の徒は後を絶たない。
装備品は北方蛮領の傭兵か、それに準じるものだと一目で看取するイェッタ。
『警告します』
《拡声》の魔石を通話状態にし、スピーカーになる魔石から、不遜極まる侵入者どもへ勧告する。
『それ以上、スヴェート卿の屋敷に近づくものは、死をもって罪を購うこととなります。二度は言いません。とっとと失せろ、……野蛮人の走狗共がッ! オレの機嫌を損ねるやつは容赦せんぞ!』
最後はキレ気味の警告であったが、完全武装の侵入者たちは覚悟を決めたように──あるいは覚悟すら持たぬ愚か者の所業を見せる。
ブロード・スヴェートの屋敷領内に足を踏み入れた。
極刑に対する。
「そうかい。では」
イェッタは背にある魔剣を抜き払い、もう片方の腕を振るう。
それだけで、空間に穴が開き、褐色の肌のメイドはメイド装備に十数本の魔剣を纏い、敵陣のど真ん中へ。
「──死刑執行だ」
麗雅な白銀の瞳で数十人の敵を捕捉し、腰まで届く黒髪を風になびかせ、褐色の肌と長すぎる耳を大きくさらした、彼女の専用戦闘服。フリルの多い白エプロンに、黒地の布がよく映える。短いスカートの隙間から覗く絶対領域は、騎士のサーコートめいた薄布と足甲に覆われ、彼女の戦闘速度を上げる効果をもたらしてくれる。そういう装備品・魔石を、主人に特注してもらって久しい。
数ある魔剣を収めた鞘と共に、彼女は蛮徒共の殺戮を執行する。
大恩あるブロードのために、彼の生活の安寧を損なう輩は、彼女の手で抹殺される運命──それから逃れられたものは一人として存在しない。。
彼女の名はイェッタ・イェーン。
スヴェート卿の“懐剣”であり、戦闘に長けたダークエルフ、──その混血。
治外法権たる彼の領内を荒らす“害獣を狩る”免状を与えられた、最強の庇護者であった。
「狗どもが」
侮蔑の言葉を吐きながら、彼女は戦闘を終えた。
血しぶきひとつ浴びることのない剣技の冴え。血振りした魔剣レードを背負い直し、彼女は死屍累々たる惨状をテキパキと“清掃”していく。
さて。
彼女の主はと言えば──
「ふぅ。ごちそうさまでした」
イェッタが外で“狩り”を終える数分の間に、ブロードは食事を終え、用意されていたコーヒーでひなたぼっこと昼寝をたのしんでいた。
数分後。
台所に戻ったイェッタが丸眼鏡をかけ、メイド帽子をかぶって耳を隠す。
「ただいま戻りました。スヴェート卿……坊ちゃま?」
「すぅ……すぅ……」
「ふふ、あらあら」
黒と白の頭を撫で梳きながら、丸眼鏡をかけたメイドは主人の行いを笑顔でたしなめる。
「台所で昼寝する公爵さまなんて、坊ちゃまだけでしょうね。……うふふふふ」
彼女は冷めてしまった自分の昼餉を温めなおし平らげると、何食わぬ顔でブロードを抱えあげ、彼の寝室へと運んだ。
「必ずやお守りいたします────あなた様のすべてを」
黒髪褐色メイドはそう宣告して、主人のベッドを離れた。
彼女の胸には、彼から頂いた《心臓》の魔石が、脈打っていた。
・登場人物
〇ブロード・スヴェート 「魔石卿」主人公
〇イェッタ・イェーン 「魔石卿、唯一の女中」種族・ダークエルフの混血
〇ノルシェーン 「魔石卿、唯一の執事」種族・?????