未熟な冒険者
リザヴェルク外縁部の南に位置する、外界の森林。
健脚を誇る大柄の陸鳥、雲鳥に跨り半日の場所。
魔獣や竜が跋扈し、人の法定ではなく野生の摂理が支配する外界。
苔生した根上がりや陥没で起伏に富んだ地面と林立した種々の樹木。伸びた末梢が日差しを翳らせ、辺りは鬱蒼としている。
暮れなずむ夕暮れ時、その端緒。森の中は一足先に夜の闇が帳を落としていた。
ほの暗い暗闇の中、鈍く光る白刃の武器を携えた少女たちは魔物と対峙する。
蹄で落葉を巻き上げ土を掻き、鼻息を荒げて周囲を鋭く睨め付けるのは大猪。全身の体毛を逆立てて威嚇の咆哮を上げる。
少女たちはそれに怯むことなく武器を構え、声を張り上げる半森人の少女が指示を飛ばして皆で取り囲み、合図を契機に朽ち葉を踏み鳴らして二人が突貫。
「やああああっ」
「ガルルゥァアッ!」
槍を突き出す軽装でオッドアイの少女と刀を振り上げる具足姿で獣人の少女が正面から攻撃。
槍と大きく湾曲した牙がは火花を散らす中、躍りかかった白刃が額を斬り付けた。
まるで鋼を殴りつけている手応え。痺れる手指に魔力を込めて握力を補助。振るわれる三日月の大牙と槍の穂先で渡り合う。力加減を間違えて間合いを詰めないよう慎重に。
恐怖に浮き立ちそうになる胃の腑を、胆力でグッと抑え付ける 。
世界にあまねく根源たる力―――《アニマ》。
火の《アニマ》を収束させ、術式を描き込むと球体となって燃え上がる炎が現出。
「爆裂!」
正面攻撃の直後、法衣を纏う少女が突き出す杖の先から火球が放たれ、見上げるほどの巨躯を横合いから爆撃。剛毛と厚い皮膚に阻まれ致命傷にはならない。
側面攻撃の爆発で身を凝らせ怯んだ隙に、前衛二人が更なる攻撃を加える。
堪らず唸り身をよじって乱暴に牙を振り回す大猪。二人の少女が容易く吹っ飛ばされた。
「きゃああああっ」
「がはっ!」
牙に殴られた少女たちは地面に激突。落ち葉の絨毯が衝撃を和らげてなお、身体に走る痛みに苦悶を浮かべた。
それと入れ替わるように左側面から戦斧を振り上げた双角の鬼の少女が迫る。
「どおりゃあああああっ!」
不意を衝いての一撃は横っ腹に食い込み、苦悶に顔を歪ませその場に踏み止まる大猪。
鬼の少女が戦斧で大牙と火花散らして殴り合う中、白と青の聖衣姿の半森人の少女が負傷した二人に駆け寄り治癒を行う。
「しっかり」
「うん。大、丈夫……っ」
オッドアイの少女は痛みに耐え空元気で微笑む。やがて回復し痛みが引くとすぐさま立ち上がり、横っ腹を向けている大猪の元へと駆けた。だが、
「しまっ――」
攻撃の直前、陥没した地面に足を取られ転倒、落ち葉の上を一回転しその余勢で大猪に激突。少女が立ち上がるよりも早く、根上がりに躓いた鬼の少女を牙で吹き飛ばした猪が振り返る。
「あ…………」
ギョロリ、怒りに爛々と燃える眼差しと目が合う。それだけで恐怖に身体が固まった。
標的になるのを恐れた魔術師の少女は火球を放てない。
正対し吹き掛けられた荒い鼻息。醜悪な獣臭が鼻腔を衝く。
後肢を踏み締め直立し、前肢を高々と振り上げて強力な一撃を食らわせようとした時、
「うおおおおおおおおおおっっ!」
疾駆し弾丸と化した獣人の少女が刀を突き出し、無防備になった胸を串刺しにした。
戦慄く甲高い絶叫。振りほどこうとするも深々と突き立てられた刀身は抜けず、バランスを崩してそのまま横転。
唸ってもがく巨体に火球の砲撃が再開し、戦斧とメイスが剛毛の上から激しく襲い掛かる。
振りほどかれまいと必死にしがみついていた少女も刀を引き抜き、再起した槍の少女も攻撃に加わった。
しばらくすると大猪は生命活動を止め動かぬ屍と化し、戦いの狂熱がやがて冷めて霧散していく。訪れた静寂が勝利を告げる。
「か、勝った……」
息も絶え絶えに、刀をだらりと下げた少女が呟いた。放心して肩を上下に揺らす少女たちが互いの疲労した顔を見合わせていると、
「何とか、無傷で倒せたみたいね」
近づいてくるのは動きやすそうな緋色の法衣に身を包む獣人の女性。
腕章には一羽の黒い鷹が留まる。それは冒険者組合リザヴェルク支部の職員であることを示す意匠。
剣帯に双剣を差し、腕を組む彼女の名はルヴィア。現在、少女たちの指南役を務めていた。
絹糸のような黒髪を靡かせ、同色の獣耳とフサフサな尻尾を膝下で揺らす彼女の顔付きは厳しく、とても勝利を寿ぐ様子ではない。
深紅の双眸で彼女たちを見回すと、呆れ顔でため息を吐く。
「エルティシア、それとフェレス。地面の起伏には注意しなさいって、いつも言ってるでしょう?」
「はぁい…」
ぶっきらぼうに答えるのは鬼の少女、フェレス。
「スミマセン……」
肩を落として項垂れるのはオッドアイのエルティシア。
藍と琥珀のオッドアイ、紫と銀色の双色の髪は光彩人の証。
あのまま踏み潰されていれば間違いなく致命傷、もしくは圧壊による即死は免れなかっただろう。遠くから見ていて、本当に肝を潰した。
戦闘に熟練すれば、ほとんど無意識に足場の起伏に適応できる。が、彼女たちはまだその域に達していない、自分とは違って。そこがもどかしい。
「でも、オレ様は問題なかったけどなっ」
獣人の少女、ミーカは胸を反らして自信満々だ。
「何言ってるの、ミーカ。アレはたまたま上手く行っただけでしょう? 何も考えずに突っ込んで」
もし、穿った刃が肺腑ではなく心臓に達して即死させていれば、そのまま蹄に圧殺されていてもおかしくはなかった。攻撃する余裕があるならあの状況、エルティシアを救助するのが先決だった。全員の生還はあくまで紙一重。危険な賭けだったことを諭す。
「だって……」
「だってじゃありません。だってじゃ」
しおれる少女の気持ちは分かる。が、ダメなものはダメ。勝負の綾がある以上、賭けに勝ち続けることは誰にもできない。
いつか賭けに負けた時。それは仲間の犠牲で贖うことになるのだから。
「というか、リュスカ。あそこはあなたが注意を引き付けて時間を稼ぐ所よ?」
「………ごめんなさい」
眠たげな少女はたどたどしい口調で答える。標的になるのが怖いなら、注意が向いた瞬間に木陰に隠れればいい。その咄嗟の機転が利かないのが欠点。
「あなたの臆病な性格は知ってるわ。でもね、怖いのはみんなも一緒よ?」
勇気を出して。自身の厚い胸板の前で両拳を握りしめて発破をかける。
「はぁい……」
少女は間延びした返事で答えた。瞼の下がった双眸が何を映しているのか、今一判然としない。ちゃんと理解しているのか不安になった。
目の前の少女からはやる気というものが感じられない。
しゃんとしなさい。その言葉を繰り返し口にして注意をするも、返事は茫洋としていて聞き入れられた試しがない。
「じゃあ、クリシスは?」
不貞腐れたミーカの声につられ、半森人の少女に視線が集まる。
聖衣の少女クリシスはしゃんと背筋を伸ばして緊張の面持ち。
「そうね。指示も的確だったし、回復もそつがなかったわね」
ルヴィアは先程の先頭を思い返してみても、特に欠点らしいものは見受けられなかった。
特に問題なし。そう伝えると、
「ありがとうございます」
恭しく頭を下げると、踵を返し背中越しによし、と拳を握った。
「えーっ? なんで、一人だけ怒られてないんだよ。おかしいよ、ゼッタイっ」
「当然の結果よ」
悪態を付くミーカに対し、気を良くしたクリシスは控えめな胸を反らして自慢げだ。その様子に獣人の少女は歯噛みして悔しさを露わにする。
見かねたルヴィアがはいはい、となだめながら手を叩く。
「まずは、危なげない勝利を目指しなさい。危険な賭けに出なくても良いように」
分かったかしら? 確認を取ると、皆が一斉にハイ、と返事をした。
その様子にルヴィアは満足し目を細めて頷く。