復讐の協力依頼
視線を集める彼女は立ち上がると、悲しげな顔で訴えかける。
「復讐は何も生み出しません。それに、今は変異種の討伐が優先されるべきです。何よりもシャル、わたくしは――」
「そんな台詞が言えるのは、肉親を誰かに殺されたことがないからだよ」
「え―――?」
シャルが冷たく言い放つと、目を見開いて絶句するメルティナ。
所詮は綺麗事。耳を貸すに値しない。
何しろ、もしもその当事者になったら、相手が生きているという事実に対し強い拒絶が胸を掻き乱し、とても冷静ではいられない。のうのうと生きている様子を見れば反吐が出る想いに襲われ、腹に溜まった心の澱で胸が焼け付く。
「いや、ですが――」
「うんうん。メルティナの憂慮も、もっともだ」
腕を組みしたり顔で頷くのはネフィリアーシャ。
「森竜討伐が滞ると、魔術師たちが不利益を被る。組合は彼らから出資してもらっている手前、色々と小言を言われ立場がなくなるのは目に見えているからねぇ」
森竜の毒は高性能な薬の原料にもなる。そのため需要も大きく、一定量を安定的に市場に流せば多大な利益を得られた。
「そういう問題ではありませんっ わたくしは――」
頭を振りながらネフィリアーシャの推察を否定すると、
「では、何が問題なのでしょう? 冒険者間の私闘を組合は禁止して無い筈では?」
コテンと首を傾げるのはレギナ。その発言にメルティナは絶句し目を瞠る。
「心配しなくとも、組合には迷惑をかけんよ?」
狙いはあくまでも『深緑の賢者』。
しかし、ユクアリアの発言に納得いかないリグナスがいきり立つのを彼女が手で制する。
「復讐に手を貸す条件は二つ。組合には手を出さない。そして『クリュサオル』が培った森竜討伐のノウハウを、三十万ピルクで組合に売ることだ」
その際の報酬は『クリュサオル』と『踏破する者』とで等分。
構わんな? 視線を向けて来る彼女の念押しにシャルは首肯する。
「流石に組合とグルだからって、ギルドマスターまで手に掛けるのは現実的じゃない。組合には精々、たっぷりと煮え湯を飲んでもらおうよ?」
シャルは溜息を零し広げた片手を見せ、ユクアリアが提示した条件で復讐に駆られた少女に提案する。
腕を組み険しい顔で逡巡するリグナス。感触としては悪くない。シャルはそう確信した。
「ちょっと待ってくださいっ!」
メルティナの悲痛な叫びが会話に水を差し、冷え切った空気の中で静寂が沈黙を湛える。
「復讐なんて、絶対に間違ってます。シャルにそんなこと、絶対にさせられません。そんなの、誰も幸せになんかなりませんわっ」
「では、どうするのだ?」
肩を上下させ必死に訴えるメルティナに、冷や水のような台詞を浴びせるのはユクアリア。
「我々が彼女らの手を取らなければ最悪、明日にでも二人は事を起こすぞ?」
復讐の成否はこの際関係ない。むしろ、成功するとは思ってないだろう。ただの自暴自棄。
「ええ、そうよ。協力が期待できそうなのはもう、アンタらで最後」
後が無いの。その悲愴な覚悟にシェルフィアは歯噛みし、裾を力の限り握り潰す。
もし、そうなれば共同戦線に参加するであろう血盟同士で疑心暗鬼が生じ、不信が不和を生み、やがて戦線が作戦を前に瓦解する。
もしそうなった場合。
「メルティナ。お前に責任を問う声が上がるだろう。その時、一体どう責任を取るつもりだ?」
「それは……っ」
作戦の頓挫。それは取りも直さず、変異種の被害が拡大することを意味する。その事実を前に、メルティナは言葉を失う。
「いいか、メルティナ。この場で復讐の助力を確約さえすれば、そんな暴発は食い止めることができるのだ。そうなれば滞りなく作戦が遂行され、また樹海に平和が戻る」
助力を確約さえすれば。ユクアリアは最後にそうやって言葉を切る。
上手い。シャルは仮面の下で感心した。彼女はさりげなく復讐に及ぶ時期を討伐後に限定している。リグナスを盗み見ると、特に不満を態度に表してはいない。暴発を食い止めるという意味では、既に効果が出ていた。もっとも、樹海の平和など詭弁もいいところだが。
「それに。復讐が成って件の血盟が壊滅すれば、癒着の事実も消えます」
それは組合にとっても都合がいいのでは? 金髪を揺らし、邪気なく不思議そうな顔を傾げるのはレギナ。
「確かに。組織の腐敗を食い止める意味でも、この復讐には正当性がありますねえ」
薄い唇に指をあてがいクスリと笑うのはクロア。
「それは詭弁ですっ そもそも復讐に、正当性なんてありませんっ!」
復讐はあくまでも個人的動機、つまりは私怨。メルティナの発言はまさに正論。
「なら、森竜討伐の利益を独占するために。たったそれだけのために他の冒険者を殺すことに、一体どんな正当性があるっていうんだよ?」
気付いたら言葉が口を衝いて出ていた。
「……それは、そうですが……っ」
「ごめん。その、君を困らせたいわけじゃなくて…」
涙を滲ませ悲愴な顔を浮かべて絶句する姿に居た堪れなくなり、シャルは思わず腰を浮かせ顔を背けながら弁明する。
「いえ………」
湿っぽい声音。それでもどこか安堵の感じられる抑揚に内心胸を撫で下ろす。
「というか。そこまで『深緑の賢者』に肩入れするのって、依怙贔屓にならへんの?」
腕を組むコラキがやんわりと疑問を差し挟む。
「復讐を止めるのは人として当然ですっ これは、それ以前の問題ですわ!」
「そうだぞ。もう少し考えて喋れ」
「発言が残念過ぎます」
「バーカ」
「すんまへんでした…」
口々に言い募られて身の置き所がないコラキは肩をすぼめて頭を低くするしかない。
その様子に盛大にため息を吐くのは、誰であろう赤竜の魔女。
「ったく、どいつもこいつも……」
今まで傍観すらせず、嬉々としてディシプルの髪を三つ編みに結んでいたパレンシア立ち上がると、妖艶な笑みを浮かべて足をしならせメルティナへと歩み寄った。
もの珍しい光景に誰もが怪訝に口を閉ざす。
すると彼女は両腕を回し、肉感豊かな胸板を押し付けながら槍玉にあげられていた彼女を抱擁した。
「アンタらね、寄ってたかってメルティナのことイジメ過ぎ。かわいそうだと思わないの?」
ねえ? と、屈託なく微笑みをメルティナに向けながら首を傾げ同意を促す。
そんな彼女の振る舞いに困惑し、おずおずと頷き恐縮するメルティナ。
「とりあえず復讐云々は置いといて。その鋼殻で何をしようっての?」
「いや。そもそも、それが重要――」
「黙りなさい、根暗。誰がしゃべっていいって言ったのよ?」
憮然として俯き再び閉口するコラキ。
「それを標的の追跡に使うには、闇ギルドに行く必要がある。」
「じゃあ早く行きましょ♪」
そうと決まれば話は早い。この場を後にするため、シャルは広げた資料を率先して片付ける。
部屋を出ると、そこには導師のような服に眼鏡の奥に鋭い眼光を光らせる青年が居た。
「知り合いか?」
先頭のユクアリアがメルティナに尋ねると、
「組合の幹部、ヴィルフリートだ。よく覚えておけ、黒雷」
険しい表情でユクアリアを二つ名で呼ぶ。青年の全身から強い警戒心が滲み出ていることから、歓迎されてないのは確かだ。
「そうか。では、先を急ぐのでそこをどけ」
「そうはいかない。先程、復讐がどうとか聞こえて来たがその話。まさか真に受けている訳ではあるまい?」
「なっ―――」
頭に血を昇らせて拳を握るリグナスを、クロアが片手で制する。
「よもや栄えある幹部が立ち聞きとは。よほど暇なのでしょうね?」
「幹部の権限をもって命ずる。黒雷、どうなんだ? 答えろ」
眼光鋭く厳しく問い詰める。チクリと刺した小言が軽くいなされ、憮然とするレギナ。
「聞いていたら解る筈だ。そんな戯言、相手にしていないとな」
「ちょっ―――」
「ほう?」
淡白な呆れ声にリグナスが愕然と瞠目し、ヴィルフリートが眼鏡の奥で目を細める。表情に浮かぶ感情がいまいち判然としない。
「血盟はともかくとして、公明正大な組合がまさか癒着など。目の前の男がギルドマスターに指示されてそれを取り仕切るなど。そんな荒唐無稽な話。一体全体、誰が信じるというのだ?」
ユクアリアは淡々とした口調で不思議そうに首を傾げた。反対に男の表情が僅かに固まる。
怒りを沸騰させていたリグナスはクロアの肩越しに不可解そうな視線を二人の間に行き交わせた。
「フン。分かっているならそれでいい」
捨て台詞を吐き、踵を返して立ち去った。
顔が見えないので何とも言えないが、バタバタとした足取りは焦って精彩を欠いているようでもあった。