通りにて
天険の地、リザヴェルク。
主要な都市が揃って高山帯に位置する頂上国家。
その首都エディシエルの最下層よりも更に下。山の麓に位置するカサノヴァの街並みを郊外に向かって武装した一団が通りの右側を歩いていた。
『踏破する者』。方々で問題を起こす冒険者たちが集う極悪血盟。
二列縦隊の最後尾に付ける小柄な少年、シャルディムは赤鬼の半面で素顔を隠す。
白銀の短髪から直立する同色の獣耳と長い和毛の大きな尻尾は獣人のソレ。
純白の狩衣に紫紺の袴姿は小柄な身体に比して大きく、いかにも着られている風情が抜け切らない。
寒空に昇りきった太陽が傾き始めた昼下がり。寒風が吹き抜ける通りのまばらな往来は寂寥とこの土地の冷然とした空気を掻き立てる。
「で、今日の招集は何だったかしら?」
妖艶に微笑みながら首を傾げ、薄紅色のショートボブを揺らす女性はパレンシア。
黒い鏃のような細長い尻尾と頭に生える内巻きの小角は彼女が淫魔族であることを示す。
「討伐任務の依頼だ」
手短に答えるのは身の丈ほどの巨剣を担ぎ、頭から爪先まで漆黒の鎧で体を覆う女騎士。
名はユクアリア。先頭を往く彼女は首を回し、兜の下で後ろを横目に見る。
視線の先のパレンシアは黒のフリルに彩られた煽情的な紫紺の法衣に身を包み、大きく空いた背中に描かれた複雑精緻な魔術式から二頭の赤竜が長い鎌首を覗かせる。
この世ならざる獣、幻獣を呼び出してくつろぐように足を組み、浮遊しながら隊列の真ん中を進んでいた。
際どいスリットから覗く生足は艶めかしく、多くはない往来の中で男たちが横目でチラチラと盗み見ていた。その様子に満足げな彼女は時折足を組み替え、それを尻目に除く男たちの視線を感じると妖艶に微笑む口角をさらに吊り上げる。
「ねえ、何か聞いてないの?」
その問いかけは最後尾のシャルに向けられたもの。知らない、と偽りなく答える。
「な~んだ。ひょっとして、信用されてないんじゃない?」
「黙れよ、淫売」
口端を釣り上げどこか小馬鹿にした台詞に言葉少なく、唸る獣声のように反論した。
「我々に依頼する辺り、さぞや強敵なのでしょう。腕が鳴りますね」
二人の会話に口を挟むのは、藍鉄の甲冑で長身痩躯を鎧い、銀狐の半面を被る侍。
身の丈を超える大太刀を背負い、ユクアリアの隣を歩く彼はクロア。
まだ見ぬ強敵との闘争を夢想し、狂気をはらむ愉悦を浮かべ薄い唇に指をあてがいクスリと笑う。
「なんにせよ、油断は禁物やね」
黒衣に身を包み、嘴の付いた漆黒の半面姿の青年はコラキ。シャルの隣を歩く彼が忠言を呈する。
「それは一々言わなくてもいいでしょう。油断して死んだら、所詮それまでなんですから」
慇懃無礼にもコラキの忠言を切り捨てる少女はレギナ。背中に掛かる金髪をツインテールにして漆黒の法衣を翻し、純白のミニスカートを揺らして道を往く。
死霊術師である彼女は味方を癒して献身する回復役でもあるのだが、とてもそうとは思えない放埓な冷言を投げかけた。
「そうよ。うるさいわよ、根暗」
「だから、根暗は風評被害なんやけど…」
レギナに同調する赤竜の魔女の放言を彼は漆黒の仮面の下で憮然としながら否定する。
「なんにせよ、だ。さっさと終わらせて、また研究に勤しみたいねぇ」
苦笑し嘆息するのは波打つ亜麻色の長髪にサイズの合わない丸眼鏡をかけた女性。
フードの付いた緋色の法衣を羽織る彼女は依頼に対して消極的だった。興味がない事柄には酷薄なまでに無関心な彼女らしい。
「………………」
ネフィリアーシャの前を無言で歩くのは、淡い翠碧の髪を腰まで垂らし、紅玉の双眸で前方を見据える小柄な少女。白磁の肌の端正な容貌に表情を映すことなく、背中の空いた濃紺のドレスの裾を揺らし、身の丈を超える斧槍を担ぐ。
彼女はディシプル。竜の骨肉を素材に造られた生体型の傀儡で今は自律行動に入っている。
傀儡師であるネフィリアーシャリアーシャに創造された彼女の所有物。
およそ統一感のない彼らの偉容に目を見張る者はなく、まばらな雑踏はただ関わるまいとして直視と遮蔽を避ける。
「……………」
そんな中、殺意を孕んだ視線が建物の陰からシャルの背後を突き刺す。それをあえて無視を決め込みながら歩きつつ、紙縒り状にした呪符を地面に落とし魔力による遠隔操作で視線の発生源へと密かに飛ばす。
その間にも、数人の武装した旅装、冒険者たちが前方から一行に近づいてくる。
男たちの纏う雰囲気は友好的とは言い難く、むしろ剣呑で殺伐としている。
そして往来の中、無言で対峙する冒険者の一団が二つ。まばらな雑踏は訝し気な視線を遠巻きに向けるだけで干渉はしない。予想される騒動に巻き込まれたくないから。
ふてぶてしく睨みつける屈強な彼らの中でリーダー格と思しき男がおい、と呼びかけ、
「後ろにくっついてるガキを寄越せ」
顎をしゃくって不躾な口を叩く。
「人に物を頼むのなら、最低限の礼儀くらいは尽くしたらどうだ?」
肩をすくめ漆黒の兜を傾げながら正論で諭すユクアリア。庇い立てする気がないのはいつもの事。
「るせぇよ、女。テメェなんざ、眼中にねえんだよ」
「大の男が粗相を働くのは無様で見るに堪えんな。これ以上私を怒らせるな」
悪態に対し遠雷のような声と共に殺気を孕んだ魔力を周囲に放ち、埃を舞い上げ流れる空気を白刃へと変えた。温度を無くした周囲の大気が冷たく張り詰めていく。
終わったな。先頭に立つ黒騎士の様子に赤鬼の半面の下でシャルはたじろぐ男の終焉を確信した。
「―――っんの、クソアマっ こっちが下手に出―――」
閃く斬撃が荒げた声と抜剣を遮り、天高く片手で抜き放たれた漆黒の巨剣が男を真っ二つに討ち捨てる。渇いた地面が一転、血溜まりを湧出させた。
「怒らせるな。と、言ったんだ」
斬撃の姿勢から隙なく身を起こし、剣先を振り鮮血を払う。
通りに悲鳴が上がる。それが合図となった。
クロアが腰差しの鞘から抜刀、一瞬で鎧姿の男の首を刎ね飛ばす。
神官と思しき男はコラキが背後から組み付き、関節技で頸椎を破壊し絶命させた。
二頭の赤竜が空を斬り裂く鞭のように鎌首を伸ばし、二人の男を頭から食らった。
レギナは『黒い心臓』が脈打つ刀から斬撃を飛ばすと、斬られた相手二人は膝から頽れる。全身に負った裂傷から鮮血を噴き出して。
糸で繰られたディシプルは担いだ斧槍を瞬時に薙ぎ、まとめて二人の敵を屠り去った。
「唵」
術式の起動鍵語。紙縒り状の呪符『起爆符』が目標に到達した瞬間、爆発で首から上を吹き飛ばす。
建物の陰から渇いた破裂音が響くと、その周辺でも悲鳴が上がった。
鎧袖一触。全ては数秒足らずの出来事。辺り一帯に静寂と鮮血の臭いが立ち込めた。
「行くぞ」
黒騎士が冷淡な声で促すと屍に目もくれず、血溜まりを踏み付けながらその場を後にする。その背中に続く『踏破する者』の誰もがそれを一顧だにせず、むしろ彼女に倣い広がる血の沼を横切る。最後尾を歩くシャルも含めて。
なぜならこれは、いつも通りの光景だから。
血煙薫り殺伐たる修羅の巷こそ、冒険者の進む地平。それは今も昔も変わらない。
非難めいた囁きが遠巻きに聞こえるが耳に入れない。ろくに加勢せず傍観するだけの有象無象など、相手にするだけ無駄だから。
「まったく。数で優れば勝てるとでも思ったのでしょうか?」
浅はかですね。振り返ることなく目を伏せ冷たく言い放つ。
「それが分かれば、そもそもけしかけてなど来ないだろうがな」
呆れるユクアリアの言葉にそうですね、と少女は金髪を揺らして首肯する。
「にしても、本当に人気者ですね。流石は『血霧』。当代随一の悪名なだけはありますね」
称賛を送る銀狐の仮面が薄い唇に指をあてがいクスリと笑う。シャルとしては全く嬉しくないので黙して無視を決め込む。
『血霧』。血煙を纏い血塗れの修羅道を突き進む者を指す、畏怖と侮蔑が綯い交ぜになった二つ名。そう呼ばれるに相応しい経歴を歩んで来たシャルだからこそ、付けられた仇名。
多くの人間から恨みを買い、嫌悪し否定しても呼ばれる異名は呪いにすら感じられた。
「にしても、徽章は回収せんでよかったん?」
冒険者は協会に登録する際、意匠を象った徽章を賜る。
出自の問われない冒険者にとっての身分証は、時として命よりも重い。
悪用を避けるため、組合では回収した者に報奨金を渡していた。
「約束が優先だ」
寄り道などする暇もないと一蹴する黒騎士。律儀な彼女らしい。
シャルたちを尻目に、後方では我先にと血溜まりに身を浸し醜く奪い合う冒険者たちの姿があった。
「魔獣級なんて、端金じゃない。みみっちいわね、根暗」
「だから根暗は―――」
「うるさい黙れ」
余りにも雑な扱いに黒鳥の仮面は閉口した。これも不人気職である暗殺者の運命。
冒険者は実力と実績に応じて格付けされている。駆け出しの小獣、見習いの蛮族、半人前の野獣、そして一人前と目される魔獣。
そして一流の証である飛竜のさらに上、在野で最高位の竜級であるシャルたちにとって魔獣級でもらえる金額は端金でしかなかった。
なにせ、一度の任務で何十倍もの報酬を得ることができるから。
「それにしても、醜悪極まりないですね」
「ええ、本当に。いっそ、微笑ましいですね」
遠くなる血溜まりからは、未だに徽章や売却できそうな装備品をめぐる諍いが絶えない。
レギナはその醜態を冷たく切り捨て、クロアは喉を鳴らしてクツリと嗤った。
「涙ぐましいわねえ。ホント、バッカみたい♪」
唇に小指を添えて妖艶に微笑む赤竜の魔女が嘲弄した。美貌の口元には侮蔑が浮かぶ。
「そう言ってやるな。稼ぎの悪い連中は、それだけ必死ということだ」
その後も互いに軽口を叩き合いながら往来の中を進み、そして目的地を前に立ち止まる。
冒険者組合の事務所兼酒場。宿泊施設も整っているので郊外でも一際大きなその建物は否が応にも人目を引いた。
扉をくぐり、足を踏み入れた。
目に飛び込んで来るのは酒精と紫煙が立ち込める酒場。数人掛けのテーブルが並べ立てられ、それが吹き抜けの二階にまで及ぶ。
彼らは武装も解かずに白昼堂々と酒杯を片手に女を侍らせ注がれた酒を呷ったり、
卓を囲んで騒がしく談笑に興じたり、或いは受注した任務の作戦会議に声を潜めていたり、
もしくは愛を囁き異性を口説くのに精を出していた。
そして『踏破する者』の姿を見つけるや否や、一斉に視線を突き刺して来る。
好奇や羨望に侮蔑、或いは畏怖。そして害意と敵意。それぞれの想いを乗せた眼差しは不穏な空気を醸し出し、シャルたちの一挙手一投足に至るまでもを睨め付けた。
しかしそれもすぐに収まり、彼らはテーブルの方へと向き直ると思い思いに再開した。
シャルたちはそれらに目もくれずに事務所のカウンターまで進むと受付に用件を伝える。
「メルティナと会う約束をしている」
血盟の名前を出すと、それまで愛想がよかった女性職員の顔が強張った。
「そう心配せずとも、殺したりはしないさ」
黒騎士は巨剣を担いだ肩をすくめ兜の下で苦笑する。それは、血の匂いを染み付かせて言う台詞ではない。シャルはそう思っていても敢えて口には出さなかった。
「……少々お待ちください」
職員は立ち上がり隣の同僚に席を外す旨を伝えるとカウンターから出て、こちらになりますと差し出す手の先、事務所の奥へと案内する。
チラチラと背後を警戒する彼女に一行が通されたのは応接室の一つ。
窓際に重厚な執務机、部屋の中央は長方形のテーブルを囲むように複数人で掛けるソファが並んでいた。
武器を部屋の脇に置き、彼らは上座も下座もなく思い思いの場所に腰を下ろし招集した相手を待つ。
パレンシアはディシプルを抱えながら寝そべってソファを一つ占拠し、兜を脱いだユクアリアとレギナが並んで腰かけ二つ目を占有。三つ目はネフィリアーシャとシャル、男二人はユクアリアの背後に控え最後の一つは空けておいた。
換気のためにコラキが開けた窓から風が入って来る。部屋の中を舞う木枯らしは微かに冬の匂いを運んで来ていた。
リザヴェルクの冬は雪深く、寒くて長い。氷水の匂いに、本格的な冬の到来を予感させた。