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「わたしの時代は終わり」








 睡蓮すいれんという名の彼女は、屋根の上が好きだった。

 とりわけ、宮殿の屋根の上が好きだった。

 と言うのも、宮殿というのは、高い場所にある。民が暮らす場所が下界だとすれば、別の世界のようなくらい高い場所だ。つまり、必ず国を一望出来るような高い場所に建っているということで。

 最近は、ずっと隣の国の宮殿の屋根の上ばかり登っていた。


「相変わらず、調子外れの鼻唄だな」


 名前を呼ばれて、睡蓮は振り向いた。黒い髪が自身の視界の端で揺れ、黄色の瞳を屋根の上に向ける。

 歩いてくる男がいた。

 灰色の髪に、名前に入っている字の通り、紫の目。身長が高いため、立っていても座っていてもけっこう見上げることになる。特に睡蓮は今は座っているから、とても、かなり、見上げることになる。


紫苑(しおん)


 という名の男が近づく度に、男を見上げる首の角度がきつくなってくるばかりだった。


「これ、何の唄か知ってる?」

「元を知っていたとしても、睡蓮を一度通すと原型なんて留めていないんじゃないか?」

「あはは、──首痛いから座りなよ」


 ぐいっと服を引っ張ってやると、屋根で尻を強打すると思ったのに、紫苑は読んでいたようで、タイミングよく座った。

 いつからこれだけ人の息を読めるようになったのか。付き合いの歳月ゆえか。

 笑っている紫の目を見ながら、睡蓮は、まあ首が痛まない位置関係になったからいいかと思った。


「で、何の唄なんだ」

「え? わたしは知らない」

「睡蓮が唄っていたんだろう」

「この国の街を歩いていてしきりに聞いたから、その辺りで流行ってるんじゃないかな?」

「へえ。俺はそういうのは気にならないから、聞き流したんだろうな」


 紫苑も最近街に下りたらしい。視察と称して、しょっちゅう民に紛れるのだ。


「それはそうとな、来たなら来たと知らせろよ」

「そういえば紫苑、わたしが来たってよく気がついたね」

「下手な鼻唄が聞こえたからな」

「紫苑、手が滑って紫苑をここから落としてしまうかも」

「落とされても着地するだけだがな」


 やるならどうぞ、と紫苑は笑い、


「客観的に評価すれば下手なことは事実だろうが、俺はけっこう好きだ」


 と、鼻唄について言ったが、睡蓮は胡散臭いものを見る目で紫苑を見た。


「下手なのに、好き?」

「『けっこう』な」


 その点に注意しろとばかりに言うけれど、下手なことに変わりはない。否定しなかった。なのに好きなんてどういう感性だ。

 大体、鼻唄くらい自由に唄わせてくれたっていいじゃないか。

 睡蓮は内心思う。


「まあ、そもそもの訂正だが、睡蓮が来ていると気がついたのは屋根の上に誰かいると聞いたからだ」


 屋根の上なんている人間は一人しかいない。それで確信したのだと。


「自由にしているな」

「たまたま時間が余ってるの。紫苑は仕事は?」


 ずっと先まで広がる景色を見ながら、睡蓮は話を振り返した。


「もちろんある」


 紫苑は、東の方にある一国に、使者を送ろうと考えているらしい。かの国の、船の技術を持って帰れないかと思っているのだと言う。

 他にも、彼は思案中の政策についていくつか話した。中には、彼が玉座に就いてから続けていた政策の大幅な変更案が含まれていた。


「この国は、まだ成長途中なのね」

「おいおい、四百年経ってるんだぞ。……まあ、睡蓮の国と比べるとそうなるか」


 いいや、わたしの国と比べなくとも成長途中だよ。褒め言葉のつもりだったが、睡蓮はそれは口に出さず、


「我ながら、完璧な国を作った」


 視線の先に、別の国の景色を映しながら、隣の自分の国に思いを馳せた。


「最初は先輩として色々教えたのに、……わたしの国は教科書のように無難な国だから、斜め上の思考回路を持つ紫苑には真似するのは難しいかなぁ」

「微妙に貶すな」

「貶してはない。どちらかと言えば褒めてるの。──わたしは、紫苑が作るこの国が好きよ」


 長き時をかけ、この国の、この景色を作り上げたのは紫苑だ。彼の景色。

 紫苑は、紫の目を細めた。


「それはどうも」


 声音には、嬉しそうな感情が滲んでいた。


「時間が有り余っているなら、睡蓮が気が済むまでいればいい。何日、何週間、何ヵ月でも」


 褒められたのがそんなに嬉しかったのだろうか。

 でも、自分の国が褒められると嬉しいのは、睡蓮も知っていた。そうだったなあ。


「どんなに国が安定しても、一応仕事はあるからね。今日帰る」

「前はよく泊まっていっていたくせに、最近は日帰りだな。少しいなくても、困る仕事は溜まらないだろう」

「まあね」


 睡蓮がいなくても、国はしばらく回るだろう。


「実は宮殿に泊まらないだけで、街に泊まることはある」

「一国の王が無用心だな」

「無用心? わたしは襲われても撃退出来るよ」


 分かっているでしょうに。

 紫苑と勝負したって、睡蓮は彼を負かせるはずだ。


「泊まるなら、宮殿(ここ)に泊まっていけばいいだろ。部屋は有り余ってる。……俺の国にいるのに、どうして俺は会えないんだ」


 紫苑は顔を背けた。


「……まあいい。今日帰るのは、即位千年の記念式典が近いからか?」

「知ってたの?」

「知らせは来ているし、これまでからして日にちは覚えている」


 紫苑は「俺がそっちに行くのは久しぶりだな」と言った。


「来るの?」

「即位記念の式典にはいつも行っているだろ。睡蓮は、俺が即位してから世話になったからな」


 当然のように言い、「待ってろよ」と紫苑は笑ったから。


 ──当時、すでに生きること千年を前に控えていた彼女は目を細め、笑い、そして。




 誰も至ったことのない域、千年の記念日に至る前。


「もう時間切れね。──蛍火(けいか)


 もうすぐ千年の付き合いになる男が、黒い瞳で静かに睡蓮を見返してきた。


「本当に、良いのですか」

「うん、いいの」


 何事も、引き際が大事だと睡蓮は思うのだ。


 いくらやっても万人に美味しいと言われる料理が作れなければ料理人は諦めるべきだと思うし、絵心が壊滅的だったりするのに画家になって生計を立てていくのは止めておく。

 楽器を弾くと、聴く者全てが耳を塞ぐ有り様なら、宮殿仕えの音楽家を目指すのは無謀だろう。

 なお、いずれも自分一人で楽しむ分にはいいと思うし、そもそも個人的な意見だ。


 睡蓮の職は、料理人でもなければ、画家でも、音楽家でも商人でもなかった。

 他に選択肢がなかった職だったが、客観的に評価すれば「向いていた」と十人中十人が言うかもしれない。

 睡蓮自身、よくやったと自分を自身を褒めてやりたかった。

 良いことも、楽しい時間もたくさんあった。普通の人生を送っていれば、まず出会うこともなかった人物にも会えた。


「もうわたしがやれることはないから」


 だから。


「わたしの時代は終わり」


 ──睡蓮、約千年も玉座に就き続けた王は、長き生に幕を閉じた。











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