ずーっと以前に書いた創作怪談シリーズとショートショートシリーズ
民宿の話
夏の終わりごろ、大学生の3人組で、
「もう夏休みも終わるし、最後に旅行にでも行こうよ」
って、女の子3人で計画を立ててね。
でも、そんなに金持ちじゃないし、そのためにアルバイトしていたわけでもないから、安い宿を探してね。都合良く、そのうち一人が車を持っていたから、ツアーじゃない安上がりの旅行をね、しようって。
出かけたのは長野の山の方、と言っても、長野は山ばっかりなんだけど、つまり松本とか塩尻とか街の方じゃない田舎のっていう意味でね。
民宿なんだ。
車でドライブをしながら、高速道路を降りて、気持ちのいい景色を見て、夕方についた。大きな屋敷なんだけど、母屋と離れがあってね。泊まるのは離れのほう。母屋には、老夫婦が二人だけで住んでいる。でも、それだけじゃ人手が足りないっていうんで、お客がある日は、お手伝いの女性が一人やってくる。
本当に山の中でね。細い山道を挟んで向こう側は谷川が流れている。
もう夏も終わりかけの時期だったし、それも山の中だから、夕方には涼しいっていうより肌寒いってくらいで、車を降りて、挨拶やら手続きやら荷物やらを終えてね、部屋の中に入った。
で、楽しく話をしたり食事をしたり。魚や山菜のおいしい料理だったって。どうやって作っているのかわからないけれど、母屋のほうで用意してくれた料理は期待以上に豪華でね。それで料金は随分と安いものだから、3人とも喜んでね。
「得だよね」とか「おいしいね」とか言いながら、すっかりいい気分で部屋に引き上げてね。それから、お風呂に入ったりして、くつろいでいたんだけど、テレビは無くて。でもそんなことはどうでもいいってくらい。3人でいろんな話をして、盛り上がった。買ってきていたビールなんかを少し飲みながら、でも、昼間に長距離のドライブしたり歩き回ったりしているから、わりと早い時間に布団に入った。
真夜中ごろに、3人のうちの1人がね、目を覚ました。
いつの間にか電気が消えていてね。
「ああ、誰か、電気消してくれたのかな」
なんて思いながら、じっと布団の中で天井を見ていた。虫の鳴き声がする。遠くで谷川の音もする。ふと見ると、縁側は開けてある。網戸だけが閉めてあって、庭の様子が見える。月明りが明るくて、庭の石とかね、いくつかの木と、その向こうの垣根が見える。それから、母屋。そっちの電気も消えていてね。
「やっぱり田舎の人たちって寝るの早いな」
とか思ってね。
「今、何時なんだろう」
そう思って、枕元の荷物を手探りで探し始めた。時計かケータイか、何か・・・
サアーって風の音がして、庭の木が揺れる。
虫の声がする。
荷物の中から時計を出してバックライトのスイッチを押すと、午前2時。
「まだ寝てなくちゃ」
そう思ったのだけど、妙に目が冴えてね。だって、疲れていたといえ、いつもより随分と早い時間に寝てしまったし。でね、そんなことをしているうちに、トイレに行きたくなった。
でも、一人で行くの、ちょっと怖かった。だから隣で寝ていた、由美ちゃんっていう女の子を見たんだけど気持ち良さそうに眠っている。もう一人は、というと、こっちも布団を蹴っ飛ばして豪快に寝ている。ふっと、笑ってね。
「けいちゃん、寝相悪いなあ」
って。で、仕方ないから一人で起き出すと、トイレに行った。
民宿だから、部屋ごとにトイレがあったりしないんだ。まずは縁側に出て、そこから、ずっと歩いて行って、突き当たりまでね。パチンと電気をつけると裸電球が一個。薄暗いんだ。
「やだなあ。なんか怖いなあ」
そう思うんだけど、今さら引き返すのも、と思ってぐっと我慢してね。そこでトイレを済ませて、来た廊下をずうっと戻っていくんだ。
その廊下の途中にはね、いくつかの部屋があって、そこには障子が入っている。どこの部屋にも明りはついていないのだけど、自分達が寝ている部屋は障子が開けっぱなしになっているから間違えっこないんだ。
でね、ずっと歩いていく。
ひたひたひた・・・自分の足音が響く。
ひたひたひた・・・ぼそぼそ・・・
「あれ?」
ふと気がつくと、何処かで誰かが話をしている。
「由美ちゃん達、起きたのかな」
そう思ったのだけど、どうも違う。というのも、仲間の女の子達が話をしているのなら、いま自分が歩いている先のほうからしなくちゃいけない。それなのに、話し声は、自分が今、戻って来た廊下のほうからしているんだ。
「他のお客さんかな」
そう最初は思った。でもね、そんなはずないんだ。というのもね、部屋に入る時にね、民宿の老夫婦が言ったんだ。
「今日のお泊まりは皆さんだけですから、ゆっくりくつろいでもらえますよ」
って。だからっていうこともあって、縁側の障子を開けっぱなしにして寝ていたんだ。他に客がいないならいいだろうって。
「じゃあ、お手伝いの人か」
でも、それもおかしい。だって、その人、夜の間は帰ってしまうんだから。その民宿にいるのは、母屋に寝ているはずの老夫婦と自分達3人だけ。もしもお手伝いの人が残っているとしても、一人で何か言っているなんてはずもない。
で、彼女、立ち止まった。
話し声じゃないとすれば、なんなのか気になって。
虫の声がする。
遠くで谷川の流れる音がする。
サアーって風が吹いて、彼女はぶるっとした。夜の空気は冷たくて、すっかり秋を感じさせる。暗い廊下は良く見えない。自分の足元は月明りで見えているけれど、さっき行ったトイレも、自分達が寝ている部屋の方も見えない。
「気のせいだったか」
そう思って、歩きかけようとした。
ぼそぼそぼそ・・・・
やっぱり話し声がする。
もうそうなると気になって仕方がない。
怖いんだよ、彼女。でも、気になって仕方がない。で、歩いて来たほうに、また引き返していった。
ぼそぼそ・・・・
声はちゃんと聞こえる。でも、何を言っているのかはよくわからない。
ぼそぼそぼそ・・・
声がしている部屋っていうのは、すぐにわかった。
障子が、ぴたっと閉めてある。
ぼそぼそ・・・
「すみません。誰かいるんですか」
彼女、自分が怖がっているっていうのを認めたくない気持ちもあって、そう声に出した。怖がっているっていうことは、それが幽霊か何か、そういう得体の知れないものだって認めるようなことだからね。怖くない、怖いことなんてないんだ。
「すみません、誰かいますか」
返事がない。それどころか、ぼそぼそという話し声も止んでいる。聞こえるのは、谷川の流れる音と虫の鳴く声。やけに耳につく。
彼女、思いっ切って、そこの障子に手をかけた。
ぼそぼそ・・・
声がした。ちょっと、びくっとしたけれど、彼女、さっと障子を開いた。
がらーんとして、誰もいない。いや、何もない。
人が隠れる場所さえない。何も置かれていない部屋。
でも、何か変なんだ。
どうしてだろう・・・と彼女、思ったのだけど、すぐにわかった。だって、その部屋、布団もなければ、机もない。それどころか、天井には電器さえないんだから。
ただ、すうっと冷たい空気だけが足元に流れ出してきて、彼女、ぱっと後ずさった。
そうしたら、なんにも無いと思っていた部屋の中に、一本だけロープが垂れ下がっている。下の方にワッカがついたロープ。
「うわ・・・」
なんだか、見てはいけないものを見たような気がして、彼女、さっと障子を閉めると、早足になって自分達の部屋に戻って、気持ち良さそうに寝ている二人の間の布団に潜り込むと、頭まで潜り込んだ。
でも、それでも気が収まらなくて、再び布団を抜け出すと、自分達の部屋の障子を、ぱっぱっと閉めた。
「うーん、なにやっているの?」
そう言われて、振り返ると、豪快に布団を蹴っ飛ばしていた子が眠そうに目をこすりながら、こっちを見ている。
「ううん、なんでもない。寒くなってきたから閉めたの」
そう言って、自分の布団に戻ろうとした。そうしたら、その座って見上げていた友達の子、こう言ったんだ。
「でも、外に、由美がいるじゃない」
ってね。
でも、そうじゃないんだ。だって、由美っていう女の子は布団で寝ているんだ。ちゃんとね。でも、月明りが明るくて、障子には誰かの人影が写っている。振り向けば、彼女にも、それが見えてしまうかもしれない。誰もいないはずの、だって、自分は知っているんだ。そこには誰もいないってこと。すぐ前までそこを歩いて来た。誰かがいるはずがない。
「そう・・・」
足音を立てないように、彼女は自分の布団の方へ戻る。寝ぼけ半分の友達の方は、外に由美がいるとか言っているのに、再び横になって寝ようとしている。自分も、布団に入って、障子のほうは見ないようにして布団にくるまって、ぎゅっと目を閉じた。
次の日は、寝不足で民宿を後にした。
でね、彼女、夜中に「由美が外にいる」って言った女の子にね、覚えているかって聞いたんだ。車の中で。そうしたらね、
「うん。あれから眠れなかった」
って。
「どうして?」
「だって、由美、ちゃんと寝ているじゃない。あんたは不気味だし、他に誰もいないのに姿が写っているし。あれ、幽霊かな・・・」
「気がついていたんだ」
「うん。そういえばね、あの人、形が変だったよ。なんだか首をね、横に曲げていて・・・」