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*異世界のパン屋さん*  作者: 河野 晶
第三話 また、おいていかれるのか
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3

 役場からの帰り、散歩に行こうと言うブルクに悠馬は頷き、高台へと足を向けた。

 海がないこの国は、小さい山に囲まれ緑の多い国だった。

 木で出来たベンチがあるだけの、公園とも呼べない見晴台まで来て悠馬は感嘆の息をついた。

 沈み出した太陽の光が町を照らし、寒くはあったが、冬の凛とした空気が心地よかった。

「俺の住んでる所って、今はここなんだよな」

 日本語の呟きに、ブルクがきょとんとした顔を向けた。悠馬は笑って言い直した。

「おれのすむする国ここ。きれい」

「ここで、住んでくれるか?」

「すむしています」

 悠馬の答えにブルクは目を閉じた。

 赤く色を変えていく太陽は、一日の終わりを知らせる合図だ。それを受けて、ブルクは隣に立つ悠馬を見た。

 そしてゆっくりと、悠馬に聞き取れるように、話し出した。

「ある町に、年老いてから子供が出来た夫婦がいた。五十になってやっと授かった子供だった。嬉しかった。手に入れた宝だった。しかし、な。その妻は出産に耐え切れず、子を産み落として亡くなった。男は妻との宝である子を大切に育てた」

 悠馬は、語りだされた言葉を聞き逃すまいと、真剣に耳を傾けた。分からない単語も覚えておこうと、ブルクの声に集中した。

 ブルクは一度言いよどみ、唾を飲み込んで話を続けた。

「―― 息子が、ユングが五歳になった時だ。裏庭で遊んでいたはずなのに、どこにも、居なくなっていた。見つかったのは翌日だった。川で、おぼれて」

「ブルク――」

「一人で川まで遊びに行って、足を滑らしたのか深みにはまったのか、―― 死んでしまった」

 深呼吸のあと、ブルクの独白は続いた。消化した想いと未消化の想いを言葉にしていく。

「世界が終わったと思ったよ。妻も息子も亡くして、なぜ自分一人が生きているかと、絶望した」

「ブルク、いたい? もういたいはいい」

「ユーマ。生きていればユーマよりは五歳ほど年上だった。アダルはユングの友達だった、幼すぎてよくは覚えていないようだがな。ユングは妻と同じ黒い髪をしていた」

 ユーマと同じ黒髪だったと、ブルクは目を細めた。

 あの雨の日、ずぶ濡れの悠馬を見つけたとき、川から助けられたユングを思い出した。暖かい肌の色は失われずぶ濡れのまま手足を投げ出して、死んでいた、息子を、思い出した。

 助けなければと思った。川で溺れていた息子が帰って来たと思った。思おうとした。

「ユーマはユーマだというのに。ユーマとユングを重ねている。家族にしようとしている。わたしは、浅ましいのだろう。言葉も字もまだ良く分かっていないユーマにわたしの家族を押し付けたっ……」

 今にも、崩れ落ちそうなブルクの肩を悠馬は支えた。言われていることの半分も理解できなかったけれど、ブルクが苦しんでいることは分かった。

 何度も何度も感じた、言葉の分からないもどかしさ。それでも悠馬は覚えた言葉でブルクに伝える。

「ブルクはやさしいです。おれとユングおなじしても、ブルクいたいきもちしない。ブルクは、やさしいのです。だから」


 ―― だから、あなたは悪くない。

 

 やさしいのはユーマだと、ブルクは泣いて、笑った。


***


 朝の冷え込みが本格的になってきた。

 悠馬は気合を入れてベッドから起きだし、服を着替えて厨房へと向かう。

 早めに竈に火を入れようか悩むが、それだと焼き始めの時間も調節しなければならない。

「暖炉しか暖房器具ないって結構寒いな」

 一度温まればとても快適なのだが、それまでが寒い。

 ぼやきながら悠馬は台所兼居間の暖炉に薪をくべて火を熾した。

 少ししてブルクも厨房へとやってきて、二人で熱いお茶を飲んでから、パンの仕込みを始める。

 使う器具も日本の物とは違ったので、最初はかなり手間取ったが、今では問題なく扱える。悠馬は天秤の様なもので粉の重さを測り必要分を分けていく。

 パン生地を捏ねるのは中々に力がいる作業だ。

 寒かった体も直ぐに熱が篭り始める。パン焼き窯に火が入れられると厨房内は夏のように暑くある。

 昨夜仕込んでおいた豆を生地に練りこんで、ナンのように平たくしていく。その作業を終えたら竈の温度の確認をして、悠馬は丸パンを作っているブルクを振り返り言う。

「ブルク。豆パンさきに焼きする?」

「ん? ああ、そうだな」

「わかりました。焼きます」

 ブルクの返答に悠馬は豆パンを焼き窯に並べていく。鉄の蓋を閉めて一息つき、ブルクの作業を手伝おうと作業台へ足を向け、その姿勢で目を見開いた。

 白いパン生地に飛び散った、赤い染み。石床に崩れ落ちたブルクの体。

 咳なのか嘔吐の音なのか判別が付かない耳障りなごぼっというブルクの喉。

「ブルクっ!?」

 悠馬はブルクに駆け寄り叫んだ。

 ブルクはごぼりと血を吐いて、ユーマの名をか細く呼んで、意識を手放した。



 自分が熱を出したときに、医者がどこに居るのかは知っていたので、悠馬は迷わず医者を呼びに行き、引きずる様にその腕を掴んで走った。

 息を切らしながらも白髪の医者の男はベッドに寝かされたブルクを診て、ぼそりと何かを呟いた。

 医者の言葉が分からずに、悠馬は混乱する頭をどうにか落ち着けようと、何度も深く息を吸い、冷えた指先を握り締めた。

「君は確か、言葉が不自由だったね。多少は分かるようになったのか? 他に親しい人はいないのかね?」

 視線をブルクから離さずに言う医者に、悠馬は首を振って答える。

「ひたしい人はいません。ともだちいる。呼ぶがいいですか?」

「少しは話せるようになったんだな」

 男はふうと息を吐き、硬い眼差しで悠馬を振り仰いだ。

「ブルクがずっと咳をしていたのはしっているか?」

「……しるしてる。としのため、言うしてたです」

 答えた悠馬に医者はそうかと言い。紙にさっと人の絵を書いて悠馬に見せた。そして胸の辺りを黒く塗りつぶして、紙をくしゃりと潰してこう言った。

「友達でもいい。言葉がちゃんと分かるなら君よりは役に立つ。ブルクの、最後の話をしなくてはならん。誰か人を呼びなさい」

 瞬きを、忘れた。苦しくなるまで、息を吸うのも忘れた。

 人の絵が描かれた紙。塗りつぶされた心臓。握りつぶされた、その紙の意味。

 理解した瞬間。悠馬はぺたりと床に座り込んだ。

(こいつ、何言ってんだ?)

 青白い顔をしてベッドで横たわるブルク。ぴくりとも動かない瞼。

「ブルク」

 いなくなるというのか?

「ブルク」

 また自分の傍から家族がいなくなるというのか?



 座り込んだ悠馬を見かねたのか、医者が悠馬の前で片膝を付き、項垂れるその両肩を掴んだ。

 はっとして悠馬は意識を引き戻す。

 唾を飲み込み、ひり付いた声を搾り出す。

「ブルクたすける」

 医者は目を瞑り、首を横へ振る。

「ブルクはずっと胸を患っていた。もう、ここまで頑張ったんだ。さあ、その友達でいい呼んできなさい。言葉のよく分からない君に構っている時間はない」

「意味わんねえよ! あんた医者だろ! 何とかしろ助けろよ!」

「どこの国の言葉だ。話にならん。確か若い警官に知り合いがいたな、彼のほうが君などより身元が確かだ」

 役場に人をやって来て貰おうと言い、医者が立ち上がり部屋を出ようとドアに手を掛けた。

 悠馬も立ち上がり、横たわるブルクへと近づいた。

 医者は動かすんじゃないぞと言い残し、部屋から消えた。

 腐った血の臭いを呼気に混ぜ、ブルクは浅い呼吸を繰り返していた。

「ブルク?」

 薄く開いている目はただ閉じれないだけなのだろう。いつもやさしい黄土色の瞳の色はどこにもなかった。

「ブルク?」

 ピクリと瞼が動いた。ゆっくりとその目が開かれる。

「!ブルク」

「……ユ……マ。ああ、おどろかせた、な。話しておけばよかった」

 ブルクのか細い声に悠馬は不安を募らせる。

「ユーマ。わたしは幸せなんだろう、こうして家族に看取られて最期を迎えられる」

「ブルクなに? いたい? はなすへいき?」

「ユーマ。コジクド・アマチエユヤ」

「なに? ブルクなに?」

 震えながらブルクは腕を上げて、悠馬の頭を撫でた。

「ユーマはやさしい子だ。もう少し、居てやりたかったな」

 ふっと瞼を閉じるブルクに、悠馬は唇を振るわせる。

「ユーマ。息子と一緒にパンを焼く夢をかなえてくれて、ありがとう」

「ブルク?」

 浅い息を繰り返して眠りに落ちたブルクになにも出来ずに、悠馬はベッドの横で立ち尽くした。


 また、いなくなるのか? と、悠馬は悲鳴を上げる。

 

 生まれる前に、祖母を亡くした。

 三歳の時に、両親を亡くした。

 唯一の肉親である祖父を、この世界へ来ることで失くした。

 そして。

「ブルク?」

 名を呼んでも、もう浅い呼吸しか聞こえない。


 この世界での家族を。


 また、俺は、おいていかれるのか?


 また家族を失えというのか…………!



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