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*異世界のパン屋さん*  作者: 河野 晶
第三話 また、おいていかれるのか
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 今どきこんなのドラマでも見ないよなと、赤みの引かない左頬に手を当てて、悠馬はうんざりすればいいのか、それとも怒ればいいのかと、台所のテーブルに座っているアダルベルトを一瞥し、ため息をついた。

 悠馬の赤くなった頬を見て、アダルは流石に気が咎めたのか。

「悪かったって。本当に言うとは思わなかったんだよ」

 と、侘びの言葉を口にして「ゆるして?」と笑った。

 悠馬はその、あまり反省しているとは思えないアダルの様子に半眼になり、異世界語―― ケマセン語で答えた。

「ことばおほえる大変。女の女性おこることば、おしえるはだめ」

「いっやあ、まさか平手打ちくらうとはな。その場に居たかったな」

「いまから行くして、痛い手をされるする」

 悠馬はあまりではなく、まったく反省していなかったアダルに剣呑な声で返し、睨もうとしたが「勘弁して?」と豆パンを齧りながらへらりと笑うアダルの陽気さに呆れてしまい。

「またおこることば、おしえたら、おれがおこるだす」

 と、凄みのない片言で言うにとどまった。

 まったくもうとため息をつき、悠馬は全粒の小麦を炒り始める。



 自宅から、この世界へと飛ばされて、もう三ヶ月は過ぎている。

 最初は挨拶すら出来なかったが、今ではどうにか、多少の日常会話は理解できるようになった。

 留学したほうが外国語は話せるようになるというのは本当だったんだなと、悠馬は肌身に沁みながら学んでいるところだ。

 そんな悠馬の会話の勉強相手はブルクやハンナ、そしてアダルだった。

 単語を繋げてたどたどしく話す悠馬に『女性に感謝の気持ちを伝える言葉』を教えたのは、アダルだった。

 悠馬は素直にそれを書きとめ、根気良く悠馬の言葉の勉強に付き合い、生活習慣も風習も違うことに戸惑う悠馬をそれとなく助けて励ましてくれるハンナに、自作のクッキーとともに「ありがとう」のつもりで伝えた。

 しかし、直後に綺麗な平手打ちをくらい、アダルに騙されたと知った。

 何を言わされたのは聞いていない。

 首筋まで真っ赤になっていたハンナを見るに、ろくでもない猥談系の言葉だったのだろう。

 どこまでの事を言わされたのかと考えると頭が痛くなる。とりあえず。

「こういう時は謝罪あるのみ、か。そういや、女に殴られたの初めてだな」

 と日本語で呟き、アダルに「何だって?」と言われた為、小麦を炒りながら視線だけをアダルに向け、ケマセン語に直して答えた。

「はじめて女のじゅ、女性にたたくされた」

「修羅場ねえの? あー、女と、喧嘩したことない?」

「けんか? ああ、喧嘩のことか?―― たたくする、けんかない大きくなるは、ありません。ちいさき人間のころはともだちとある」

 悠馬はそう答え、火が通りだした小麦に意識を集中させた。少し焦げ始めたかもしれないという位で鍋を火から下ろし、炒った小麦を冷ましだした。

 そして八時間ほど煮込んだ大豆の煮上がり具合を確かめる。

 ここからは勘が頼りだ。

(大豆全体が四十度以下になったら勝負だな。麦の様子はっと)

 悠馬は一人頷き小麦の冷め具合を確かめて、すり鉢代わりの容器に入れて手早く砕いていく。

 アダルは悠馬の手元を見ながら不思議そうに聞いた。

「なに作ってんだ。パンじゃないよな?」

「作るするは『醤油』を作るしてる」

「ひょーう?」

「しょ・う・ゆ」

 一字づつ区切って言い直したが、アダルは「まあ、ユーマが作るの美味いから出来たら食わせてくれよ」と醤油と言うのを止めて言った。

 悠馬は微苦笑して、首を横に振った。

「おいしいわからない。こめ、おれが住むしてた国ちがう、ので『麹』がきちんとしてるわからない。『麹』ははじめて作るした。できるはまだ先、ながく時間がたくさんだす」

「んー。長い言葉だとまだ聞き取り難いな。発音がユーマの国とかなり違うんだな。で?」

「りょうりに使うもの作るしてる」

「じゃなくて、女と喧嘩もないって、お前十九? 二十歳だっけ? こういう経験もねえの?」

 と言いながらアダルは抱く仕草をして唇を尖らせて、両手をわしわしと動かして見せた。

 分かりやすいジェスチャーに、そういう意味合いでの女の話はしていなかったはずだがと、悠馬はこめかみを掻いた。

「まあ、ある。あ、ともだちちがう男と女の女性はなにいう?」

「友達じゃない? ああ、友達以上が情婦」

「ちがうばたたく」

「ごめん。嘘。好き、は分かるよな? 好きな者同士は恋人。こいびと、な。あと、女と女性は意味一緒だから」

「ことばがながいです。書くのでまつしてほしい」

 悠馬は手を洗い、自作の辞書を広げて単語を片仮名で書き綴っていく。

 アダルは悠馬が分かりやすいように身振り手振りを入れながら言葉の説明をしていった。

「おりゃあ! 邪魔だどけ女ぁ。女のくせに生意気な! んで、親切な女性。そこの女性に道を尋ねる。とかな。あ~違いわかるか?」

「な、なんとか?」

 たまに、というかしょっちゅう隠語を教えようとするアダルだが、何だかんだと言いつつ仕事が休みの日はこうして悠馬に付き合っているのだ。

 アダルは悠馬のこの世界での始めての友達と言える存在になっていた。


 いくつかの単語を書き込んだあと、悠馬は真剣な表情で大豆の温度を確かめる。

 そして炒って砕いた小麦を少量取り、三日かけて作った麹と合わせていく。

 授業で醤油と味噌の作り方を習い自宅で試した時は、麹菌は市販の物を使っていたが今回は一からの手作りだ。納豆菌になっていない事を祈るばかりである。

 黙々と作業を始めた悠馬にアダルは肩を竦めてテーブルに戻り、食べかけの豆パンを口に放り込んだ。


「ただいま」と言うブルクの声が聞こえてきたのは、一時間ほど経ってからだった。ブルクはいつも通りの微笑で、悠馬とアダルにもう一度ただいまと言った。その後ろに決まり悪げに立っていたのは、黒茶の髪を一つに纏めたハンナだった。

 今日は休んでいるパン屋の前でうろうろしている所をブルクが見つけ、家に連れてきたのだ。

 ハンナは両手の指を絡めながら悠馬に言った。

「今朝は叩いてごめんなさい。ユーマがあんな言葉知ってる訳ないないのにね、全部そこの不良警官が悪いのよね?! あなたね! ユーマに妙な言葉教えるの止めてちょうだい!」

 ハンナは途中まで神妙に悠馬に謝り、後半、アダルに噛み付いた。

「妙なって、何言われたの?」

 と、アダルはにやにやと言ってみせ、ハンナは真っ赤になって本気で怒り出した。

 悠馬はアダルたち二人を見て。

「はやいことば、きくがたいへん。けんかゆくりする。いうなれいみがわかるませんだす」

 言った悠馬にアダルとハンナは顔を向け。

「あ? 一音一音はっきりしゃべってくれ、意味がわからん」

「ごめん、ユーマ。もう一回言って?」

「いみがわかるないないので、ゆくり、けんかする」

 真剣な顔で自作の辞書を取り出して、片言で話す悠馬に二人は気が殺がれ、テーブルに突っ伏した。

 そんな様子を見ていたブルクは、はははと笑い。

「アダル、あまりユーマに妙な言葉を教えてハンナに言わせるんじゃない」

「ええ?! 面白いのに! 今の内じゃないと言わせらんねぇし?」

「言わせなくていいの!」

 テーブルをぱんぱん叩きながらハンナは言い返す。そんな彼女にアダルもまた言い返し、悠馬は首を捻った。

「ことばはやい。ゆくり言うがいい」 

「ははは。三人とも仲がいい」

 とブルクは笑い、咳を一つして、茶葉を置いている棚に足を向けた。ブルクにとっては子供のような存在の三人に目を向けて、また笑って言う。

「ほら、蜂蜜を買ってきたんだ。それでカチュの煮出し茶を入れよう。待ってなさい」

 茶の仕度をしだしたブルクを見て悠馬は、昨夜焼いていたスコーンを竈で温め直した。



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