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ブルクから幾ばくかの金を受け取り、悠馬はハンナについて町へ出た。
ブルクと共に何度か町を散策したことはあった。どこもかしこも見覚えのない景色。それでもだんだんとブルクのパン屋の周りは見知った景色になってきていたのだが。
「このまま、この町が知った町になんのかな?」
呟いた悠馬にハンナは怪訝に瞬きをした。
悠馬は軽く笑って、メモを見ながら会話の練習をした。
「いくはどこ?」
「何見ながら話してるの? なにこれ? もしかしてこれが字なの? へんな字ね」
「みぬしかしちぇ?」
「・・・・・・もしかして、これが字なの」
「もる―― もしかしちゃ、これがじなの」
「・・・・・・ほんとにソシューさんどうして貴方を引き取ったのかしらね。東大陸からの亡命者なんでしょ? あっちの国の字って変わってるわね」
さっぱり意味が分からなかった。
困惑している悠馬にハンナは苦笑しつつ、悠馬へと会話を続けた。
「ソシューさん、やさしい人だから、放って置けなかったんでしょうね。わかる?」
「わかるいい。わからない。ことばおおい。いま、いくはとこ?」
「今から行くところは、私の家。雑貨屋」
「ハンナのいえいく」
「そう、お店。私の家のお店」
ハンナは悠馬との、まどろっこしい会話を根気よく続けながら、パン屋から徒歩で十分ほど離れたところにある自宅である雑貨屋へと悠馬を案内した。
店へとやって来てようやく悠馬は自分がどこに来たのかが分かった。
店内には鍋やおたま等の調理器具に麻の布袋や箒など日用品が所狭しと並べられていた。棚には瓶が並べられていて、中には飴玉のような物が詰められていた。
針や糸なども扱っているようだ。
「用品店? 雑貨屋ってほうがあってんのかな?」
「ユーマはここで待っててね。注文分の鍋は奥にあるのよ。待ってて。待つ」
「まつ、わかる」
頷く悠馬にハンナはにっこり笑って店の奥へと入っていった。
悠馬は店内を見て周り「人が使う道具ってどこでも結局似た形になるんだな」と妙に納得した。
そしてここまで自分を案内したハンナという女性の態度に感心する。
ブルクがどういう風に自分のことを伝えているのかは知らないが、言葉の覚束ない自分に対しても、言っている意味が通じないからといって苛立つこともなく普通に接してくれていた。顔立ちも違う人間に対しての物珍しさも、悠馬が不快に感じてしまうような出し方はしなかった。
「面倒見の良い人の周りには、そういう人が集まるんだろな。なんだろなこれ?」
陶器で出来た丸くて穴の開いた物を手に取りながら、悠馬は首を捻った。
ぱたぱたと軽い足音が近づいてきて、店の置くからハンナが両手で商品を抱えて戻ってきた。
「お待たせユーマ」
「あ、ああ、寸胴買いに来てたのか」
自分が何をしているのかその時にならないと分からないのは、かなりストレスが溜まりそうだが、悠馬はもう流れに任せるようにしている。
不安はそんなことではないから、現状確認など出来れば便利、程度でしかなかった。
悠馬はブルクから預かった金をハンナに渡し、釣りを受け取った。
ハンナは人好きのする笑顔で悠馬に店内を指し示しながら。
「他にほしいものはある? ブルクは買ってもいいって言ってたわよ。買う?」
ハンナの仕草に商品を勧めているのだろうと中りをつけ、悠馬は首を横に振った。
お釣りで買っていいのか分からないし、通貨が、金の価値がいまいち良くわからない為に買い物が出来ない。
丸パン一つが三ペリ。豆入りのパンが五ペリ半。日本円でいくらなのかが分からない。一ペリが百円でないことは確かだろう。手の平サイズのパン一つ三百円なんてインフレか?と思ってしまう。
(インフレじゃなくて単に物価が高いのか?いや、俺がそう思ってるだけでこっちは本当はデフレかもしれない。そもそも単に小麦が高いとか? でも原価が高いんならパンが主食にはなんねえよな。なんにしても)
「日本円に換算しても意味ねえよな……」
「ん? 何がほしいの?」
なんとなくだがハンナが言うには、ブルクが欲しい物があれば買っても良いと言ってたらしいと分かり、悠馬はどうしようかと考えながら改めて店内を見る。
そして瓶に詰まっている飴に目をやって。
「ハンナ。あれは? えっと、せきに、のどのやさしい、ほしい」
「飴、がほしいの? んっと咳に効くやつ? そうね。薬草入りのがあるからそれにする? 喉すっとするわよ」
「のどのやさしい?」
「そうそう。喉に優しい飴ね。あ・め。一ペリで四個は買えるわよ。気に入ったらまた買いに来てね」
ハンナは天秤を使い一ペリ分の飴の重さを量り紙袋に「おまけしてあげる」と言い六個の薬草飴を入れて悠馬に渡した。
道に慣れていない悠馬をハンナはブルクのパン屋まで送った。
ありがとうと、たどたどしく言う悠馬にハンナは「どういたしまして」と笑って返した。
悠馬は住居用の出入り口から「ただいま」と日本語て言ってブルクを探した。
午後から焼いたパンの荒熱をとっていたブルクは悠馬の声で帰宅を知り、工房から顔を出した。
「おかえりユーマ。ありがとう。鍋はそこに置いててくれ」
指し示された棚に悠馬は寸胴鍋を置き、ブルクに薬草飴の紙袋を差し出した。
「ブルクこれ。あめ。のどにやさしいです。せきが、せきにあめがいいです」
悠馬の言葉に、ブルクはくしゃりと顔を歪めて笑った。
「なんだ自分の物は買わなかったのかね?」
「ブルク?」
「いや、ありがとう。一つ貰おう」
飴をほお張り笑うブルクに悠馬は釣りを返して「パン並べる」と言い、焼きたてのパンを乗せた盆を店内に運んだ。
ブルクは悠馬の後姿を見送って、吐息に紛れて呟きをもらした。
聞き取りにくい小さな声を、悠馬は聞こえないふりをした。
ブルクは確かに、自分ではない人の名を口にした。それだけは勘で分かったから悠馬は聞こえなかったふりをした。
哀傷や寂しさや懇願。
時折見せるブルクの涙を堪えた瞳。
(ブルクはきっと、俺と誰かを重ねてる)
それでも良い。彼に拾われなければ自分はあのまま、雨の中できっと死んでいた。
(俺だってブルクをじいさんと重ねてる)
甘えていると言われようが、今はこうしないと生きていけないのだから。
(だから、出来ることもっと見つけて、がんばんないと)
悠馬は柔らかいパンを棚に並べていると、木で出来た店の扉が開き、若い男性客が並べたばかりのパンを止める間もなく口にした。
流れるような動作で食べられてしまい悠馬は反応が遅れた。
何なんだこいつと、悠馬は非難の眼差しを男に向けた。
「やっぱ焼きたてのパンは美味いな。ほい代金」
「あ、はい。ありがとうぎょさいましゅ」
三ペリきっちり手渡され、悠馬は「買う前にパンを食べるな」という言葉が分からずとりあえず男を見た。
かっちりした身なりの男だ。
腰も布で縛っているのではなく、金具を使ってベルトのようにしっかりと留めている。その腰には一本の剣が差されており悠馬はそれに気づいて後ずさった。
「じゅ、銃刀法違反っ! 強盗!? てか本物? は?」
大声を出した悠馬を男はきょとんと見やる。そして奥からブルクが顔をだした。
「ユーマ。明日の」
「うっわ! ブルク来るな! 逃げろ強盗!」
「ん? アダルか久しいな。いつ帰ってきたんだ?」
「おう。久しぶり。さっき帰ってきたんだけど。こいつ誰?」
見知った仲の様子のブルクたちに悠馬は眉を寄せながらアダルの剣を凝視した。
銃刀法がこの世界にはないのだろうか?
ユーマとブルクに呼ばれ、悠馬は剣から目を離した。
「初めて会うな。アダルベルトだ。アダルと呼ばせても構わないかね?」
「まあいいけど。引き取ったってブルク本気か?移民の永住手続き大丈夫かよ?」
「何とかしているところだ。口添えしてくれるかね。お偉い行政警察官殿の口添えがあれば審査が通りやすいと聞いたぞ?」
「俺ひらだぜ?」
「はは。頑張って出世してくれ」
と笑うブルクにアダルベルトは肩を竦めて見せた。
悠馬は仲が良さそうな二人の会話に、何のことかと首を傾げてつつ聞き取りの練習のために耳を向けた。
「アダル。時間はあるかのね。茶でも淹れよう」
「おう。茶よか温めた牛乳ある?」
「分かった。待ってなさい」
何事か言ってまた奥へと足を向けたブルクに悠馬は声を掛けそびれ、男からというよりも剣から距離を取って店内を移動した。
防御のつもりでカウンターの内側に立ち、先ほど受け取った代金を籠へと入れる。
ブルクの知り合いなら黙ったままという訳にはいかないだろうと悠馬は片言での挨拶をした。
「おはようだす。悠馬いいます。よろしくします」
「だすってなんだよ。ほんとに話せないんだな」
呆れ顔で返されて悠馬は何か間違えたか?と首を傾げた。
アダルベルトはじっと悠馬の顔を見て、大仰に溜息をついた。
「ま、しゃあないか。手続きの口添えはしてやるよ。ブルクには世話になってるしな」
「?」
「アダルベルトだ。言い難かったらアダルでいい」
「あだる。アダルよろしくする」
「へいへい、ま、よろしくなユーマ」
そう言って右手の甲同士をぽんっと軽く叩きあった。
悠馬はそれに、もう次からは自己紹介はユーマにしようかとまた考えた。
アダルベルトは苦笑して呟いた。
「ユング・ネチリュ・コメ・ドウ」
分からない言葉に、悠馬は困った笑顔を向けた。
時間をおかずにブルクが湯気の立つカップを持って戻ってきた。
アダルベルトはそれを受け取り冷ましながら飲み始める。
理解できる言葉はほとんどないけれども、短時間の内に繰り返して聞けば単語だけなら耳に残る。
悠馬は誰にも聞けずに心中で呟いた。
(ユングって誰ですか?)
哀傷や寂しさや懇願。
時折見せるブルクの涙を堪えた瞳。
(ブルクはきっと、俺と誰かを重ねてる)
今は穏やかに微笑む老人を、悠馬はそっと見つめた。