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*異世界のパン屋さん*  作者: 河野 晶
最終話 異世界のパン屋さん
33/36


 悠馬が濡れた髪を拭きながら台所兼居間に行くと、暖炉の前でレンがぽつんと一人、膝を抱えて座っていた。

 その、小さな背中に悠馬は微苦笑する。「レン」と声を掛けると少女は振り返り見上げてきた。

 その傍に置かれた盆に乗せられた小ぶりのやかんとコップを見て。

「お茶?」

「うん飲む? まだ熱いわよ?」

「うん。もらう」

 答えて悠馬はレンの隣に腰を下ろした。

 レンが注ぎ分けた茶を一口飲み、ふうと息をつき。

「レン。ちゃんと髪かわかさないと」

 まだ濡れたままレンの髪を、肩に掛けられていた軟らかい麻の布で拭いてやる。

 大人しく髪を拭かれるレンの顔を覗き込み。

「どうした?」と悠馬は小さく微笑む。

 短いレンの髪を手で梳いて、毛先に溜まる水気を布に吸わせる。

 それを何度か繰り返し、湿った布を適当に床に置いた。

 悠馬は、何か言おうと口を開けて閉じたレンの頬を撫で、レンの体をひょいと持ち上げて胡坐をかいている自身の膝の上に乗せた。

 近くなった距離のまま、悠馬はレンに笑いかける。

「なに? すごくかまってオーラ出てるよ?」

「おーら?」

「あー。こっちの言葉でなんて言うんだろう?」

 首をかしげる悠馬を、膝の上で横抱きに抱えられたまま、レンは不思議そうに見つめる。

「ユーマの国の言葉って多いよね。文字だって三種類あるんでしょ?」

「多いのかな?」

 平仮名と仮名かなに漢字。言われてみれば三種類は多いのかも知れない。

「学校で習うの?」

「うん」

「料理も?」

「そうだよ。あと字とか、けいさんとか、むかし何があったとか、ほかの国の言葉とかもね」

 そう聞いてレンは少し考えて、じゃあと続けた。

「ユーマの国の人はみんな、ユーマみたいに料理ができるの?」

「や、たぶんむり。あ、おれは料理をおしえる学校行ってたから」

「そうなんだ」

 レンは答えてなにをどう言おうか迷う。

 逡巡しているレンを見て、悠馬は話す。

「学校に行けるのってみんなじゃないけど、行けるなら行ったほうがいいと思うよ?」

「―――― おかね、かかるよ?」

「あー、そうだね。おれも、料理の学校行くって決めたとき気になったな」

 でもね? と悠馬はレンの髪を梳く。

「いいんだよ。途中でやめずに最後までがんばったらね」

 お金のこと気になる? と聞くと、無言で頷かれ、悠馬は苦笑する。

 たしかに贅沢な暮らしはさせられないけれど、金の心配よりももっと、友達のことや将来やりたいこと、おしゃれや遊び、レンにはそんな子供らしいことに気をかければいいだけにしてやりたい。

 行き過ぎたら困るけれど、レンはもっと――。

「やりたいと思うことがんばるのは、わがままじゃないよ。レン?」

 名を呼ぶと見上げてくる少女に、悠馬は柔らかい笑みを浮かべる。

「いっぱい考えてるのって、学校行きたいからでしょ?」

 身じろぐ小さな体に、そんな事ぐらいでとも思うし、そんな事ぐらいのことをこんなに悩ませていることを反省もする。

 レンが決めればいいなんて、道を示してもいないのに無責任だったと、悠馬は思った。

 素直な我が侭すら言ってはいけないと、そんなふうに思わせていたのなら。

「―― パン、作る人になりたいんでしょ?」

 収穫祭の日。二人だけで行った星祭の願いかけ。そっと教えてもらった夢。

「なりたい」

「じゃあ、おれが作るパンだけじゃなくて、ほかのもべんきょうしなきゃね。おれもそう思ったから学校行かせてもらったんだ」

「……役に立つ?」

「レンががんばれば、むだになんかならないよ」

 学校行くぐらいおれに甘えてよと、言って悠馬は笑う。

 レンは悠馬の肩に額を押し当てる。

「――。ユーマみたいな、パン屋さんになりたい。学校での勉強が役に立つなら、行きたい、です」

「うん」

 悠馬はレンの前に右手の小指を差し出した。

 レンは一瞬きょとんと首をかしげ、小指で交わす約束の合図だと思い出して、悠馬の小指に自分の小指をかけ「なにへの約束?」と、レンは尋ねた。

 にっこりと黒い目を細め悠馬は言う。

「いっしょに、おいしいパン作くろうね」

 微笑む悠馬をレンは見つめる。そして、きゅっと絡めた小指に力を入れた。

「約束。一緒においしいパンを作れるようにがんばる」



 パンを作ろう、毎日の糧を。やさしさをそっと混ぜ込んで、おいしいねって笑みがこぼれるパンを作ろう。

 



***




 その日は朝からてんてこ舞いの忙しさだった。

 庭で飼っている鶏が小屋から逃げ出して、薪を運ぶために開けていた裏口から家の中に入ってしまい、暴れに暴れられたのだ。

 店と作業場に入り込まれなかったのが唯一の救いだと思えるほど、廊下も台所も抜けた羽根だらけになった。

 そちらの片付けは後回しにして、開店時間ぎりぎりにパンを並べ終えると、やれやれと一息つくひまもなく客がやってきた。

 嬉しい悲鳴ではあるのだが、この春に十四になったレンは、料理を専門に教える場所がないこともあり家政学校に通いだしており、店には悠馬一人なのだ。

 見かねた常連客が会計を手伝ってくれて、朝の忙しい時間はどうにか越えられた。

 それからすぐに、近所の工場のまかない用のパンを焼き始める。

 これは焼き上がりに合わせて取りに来てくれるので、時間が来るのを待つだけだ。

 昼から店に出すパンの仕度も済ませ、店番をしながら昼食をかき込む。

 接客をし、時間が空けば小まめに店内の掃除を行い、新しいパンの構想を練る。

 そうこうしている内に。

「ただいま」

 と、元気よくレンが学校から帰ってくる時間になった。

 夏に短く切り落とした黒とび色のくせのない髪は、今では肩を少し越すくらいの長さになっていた。

「おかえり、レン」

「着替えたら店番手伝うね」

「すぐはいいよ。おやつ食べといで」

 今日はババロアですと、レンに言うと。

「ばばりょあ? すぐ食べて、すぐ来るね」

「帰って来たばかりなんだから、ゆっくり食べといで」

「はーい」と、ぱたぱたと台所へ消えていく軽い足音を聞き、すぐにばたばたと戻ってきた足音に悠馬はきょとんとした目をした。

 店に戻ってきたレンは、慌てたそぶりそのままで言った。

「ユーマ! 大変! 廊下も台所もにわとり?! 羽根だらけになってる!」

「……わすれてた」

 頬にたらりと汗が流れるのを感じ、悠馬は顔を手で被った。



 夕刻、悠馬は店の扉を全開にして、その日最後の客を見送る。

 表に掛けてある営業中と書かれた札を外して、がらんとした店内に戻る。

 中ではレンが残ったパンを籠に入れ、陳列棚の拭き掃除をしていた。

「ありがとう、レン。帰ってきてから掃除ばっかさせてるな」

 結局あの飛び散らかった羽根の掃除をしたのはレンだった。

 レンは掃除の手を止めずに、くすりと笑う。

「朝から災難だったね」

「にわとりにやられたよ」

 一瞬、料理してやろうかと思ったのは内緒だ。

 悠馬も布巾を取りレンと一緒に棚を拭く。パンくずが残っていれば蟻や害虫が湧いてしまう。だから店内はいつも清潔にしている。

 床の掃除が終わると、パン屋の一日の仕事は終了だ。

 今日はなんだが無駄に疲れたと、悠馬はカウンターの内側に置いている丸いすに腰を下ろした。

 悠馬はカウンターに肘を置き頬杖を付く。

 布巾を片しているレンに、ありがとうと声を掛ける。

「二人でやると早いね」

「掃除は得意だからまかせて」

 と握りこぶしを見せるレン。

「うん。お願いします。食べ物扱ってる所は清潔にしないとね」

 言う悠馬に、そうだねとレンは頷いた。

「あれ?」悠馬は窓の外に視線を向け「雨?」

 ぱらぱらと窓に水滴が付きはじめていた。

「降りそうになかったのにね」

 明日まで降るかな?と、レンは窓から外を覗く。

 レンはじっと空から落ちる雨を見つめ―― 雨の中で出逢った青年に、群青色と二藍色の瞳を向けた。


「ユーマの国の・・・・・・世界の雨もここと同じなの?」

 え? っと、悠馬はレンを見やる。

 だた、ふと疑問に感じて口にしただけのことのようで、聞いたレンは何をそんなに驚いているのか? と首を傾いだ。

 雨、この世界の雨。土砂降りの雨。

「―― 同じだよ。変わらない」

 原理が一緒かはわからないけど、と付け足し答える。

 そっかとレンは言い、少し考えてじゃあと続けた。

「ユーマは考えた事ある?」

「なにを?」

「ユーマ以外にも、ユーマの世界からここに来た人いるかも、とか」

 それは、ある。悠馬自身が生き証人なのだ。

 自分の他にも何かのいたずらや気まぐれで、この世界にやってきた者がいるかもしれないと。

 それが過去なのか、それとも未来になるのかはわからないけれど。

「いるんじゃないかな? とは思うよ」

「もし、もしね?」

「うん?」

「ユーマと同じような人が来たらどうする?」

「へ? 来たらって、ここに?」

 こくんと頭を縦に振るレンに、悠馬は目をぱちぱちと瞬いた。

 悠馬は頬杖を崩して胸の前で腕を組んだ。

 迷い込んできた人がこの店に来る。そういえば、そんなことは想像もしなかった。

 ううん? と目をつぶって唸る。そして『もしも』のことを考える。



 もしも、誰かがやってくる。そうしたらきっと、言葉もわからず途方にくれているはずだ。

 歩き回ってへとへとになっているかもしれない。

 とても心細くて、お腹も空いているだろう。

「そう、だな……」

 土砂降りの雨の中で差し出された傘、やさしい手と眼差し、あたたかなパン。

 けして忘れる事のない出来事。

「言うことは、決まってるかな?」

「なんて言うの?」

 聞き返すレンに、悠馬は目を細めた。

 それはもちろんと、微笑んでこう言った。


「ようこそ。異世界のパン屋へ――!」




Fin

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