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*異世界のパン屋さん*  作者: 河野 晶
最終話 異世界のパン屋さん
32/36


 レンは大股で街中を歩き、ころんと口の中の飴を転がした。

 桃色の花びらが入った飴は、甘酸っぱくて何個でも食べれそうだ。

 レンは肩の鞄をよいしょと掛けなおし、配達に行ったドルクの家で貰った飴を舐めながらコヒへの届け物に向かっていた。

 一時は一人で町を歩く事が怖くて仕方がなかったが、今はもう恐ろしさは感じない。

(暗くなったら怖いけど、そんなの女の子ならそうよね)

 ころころと舐めて小さくした飴を奥歯でがりっと噛んで、口いっぱいに甘い味を広げる。

 最後まで舐めようとも思うが、これが美味しいのだ。

 砕けた飴をじゃりじゃりと舌の上で遊んで溶かす。

 飴の残りはあと二つ。

 家に帰ってから悠馬と分けようと、レンは大事に紙に包んである飴を、体温で溶けないように鞄に入れた。



 コヒの家を訪れる時は、患者の邪魔にならないよう、いつも裏口から出入りしている。

 レンは大きな声で「こんにちは」と挨拶し、まずは台所に足を向けた。

 食卓に重い鞄を置き、肩から紐を外す。

 軽くなった体にほっと息を吐き出して、果実酒の入った瓶を鞄から出す。

 まだ昼前だ。この時間ならコヒは診察中のはずで――。

 どうしようか? と少し悩み、レンは声だけは掛けて帰ろうと診療室に向かった。

 廊下に出て数歩行くと、見覚えのある部屋の前を通る事になる。

 レンはその部屋の前で立ち止まり、指先で扉に触れた。

 もう、何年も前の出来事に思える。

 あの日、悠馬が手を差し伸べてくれた―― あの日。

 まだ半年と経っていないのに、遠い昔のことのようで。

「…………」

 毎日風呂に入り、清潔な服を身に付け、ひもじい思いもしなくなり、あたたかな布団に包まれて眠れる日々。

 優しい人だ。一生懸命な人だ。どんなに辛くとも、微笑む人だ。

「―― 私は」

 私は、悠馬になにを返せるのだろう?

 穏やかな生活は、けっして努力無しで手に入るものではないと、レンは知っている。

 こつんと扉に額を付け、ほう―― と、少女は吐息を零した。



 診察室へと続く扉を指の背で叩くとすぐに扉が開いた。

 レンが見上げると目じりにしわを刻んだ白衣姿のコヒが立っていた。

 コヒは丁度、診察室から出ようとしていた所なのだろう、レンとかち合ったことを少し驚いている様子だった。

「レンか。家の方から声がしたから誰かと思った。どうした、具合が悪いのか?」

 顔色は悪くないがと、コヒはレンの額や首に手を置き体温を確かめてから、診察室に招いた。

 レンは慌てて手をぶんぶんと振り。

「ううん違う。体は平気よ。ユーマから頼まれた果実酒持ってきたの」

「果実酒? ああ、そういえば前に言っていたな」

「台所に置いてるから」

「そうか。今、一段落ついたところだ。レワガの砂糖漬けを貰ったから食べていきなさい」

 ちょっとぶっきら棒に言うコヒにレンは笑う。

 この中年の医者が甘いものを食べないことは知っている。

 男やもめの食事を気にして、よくおすそ分けにやってくる近所の老婦人だって甘味は持ってきたりしない。

 悠馬だってコヒには甘いパンは差し入れしない。

 飴玉や砂糖菓子、果実を蜂蜜で漬けたもの。コヒの家にあるそれらは診察が終わった後、泣き止まない子供の口に放り込まれていくものなのだ。

 そしていつも決まって「ちゃんと歯磨きせんと次はないぞ」と子供らにいうのだ。

「うん。でも、お昼ご飯まだだから……一切れだけ食べていい? お茶淹れるね」

 家に帰ったら悠馬に、今日のおやつは我慢すると言わなければと、レンはそう決めた。



 二人分の茶を用意するだけでなので、竈ではなく小ぶりの火鉢に火をおこす。

 お湯が沸くまでにレワガの砂糖漬けを皿に盛り、配達で余ったパンも並べた。

 香ばしく、さっぱりとした味の茶を注ぎ、医者と少女はお茶を楽しむ。

 砂糖漬けの菓子に少し苦味のある茶はよくあった。

 自宅を出てからほとんど歩き通しだったレンには、ほっこりと休める時間になった。

 コヒは患者が途切れた今のうちに胃に物を入れておこうと、木の実入りのパンを齧る。

「ユーマは、問題なくやってるのか?」

「うん。元気だよ。風邪とかも引いてないし」

 答えてレンは、こくりと茶を飲み、困ったように眦を下げる。

 自分の父親よりもコヒは十才以上は年上のはずだ。

 いつも壮年者の落ち着きを持って接してくれている。

 レンの身元保証人は悠馬ではなくコヒなのだ。

 この国の法律上では、悠馬はレンの代理養育保護者になっている。

 レンはむむーと声が出そうなほど考えて、あのね、先生と口にした。

「あのね、春から学校行かないかって、進められてて、どうしたらいいのか考えまとまらなくって」

 レンの言葉にコヒは数度瞬きし。

「そうか。まあそうだな、行ける環境にあるなら行って学べばいい。ユーマだってそれくらいはさせれるだろう」

 学校は嫌いか? とコヒは聞く。

 レンはふるふると頭を横に振る。

「んー。好き嫌いじゃなくて―― そんな事まで面倒見せちゃ駄目だと思って……」

 衣食住、すべて世話になっているのだ「使わなくてもいい学費まで、迷惑かけたくないから」

 コヒはふむと一人相槌をうち、目を伏せるレンに言う。

「迷惑だとは思わんだろうがな。ユーマは何と言ってる? 行けと?」

「私が、行きたいのならって。でも、わからないこともたくさんあるだろうから、行ったほうがいいよって」

「レン。君自身は学びたいと少しでも思うか?」

「……でも、今以上に」

「迷惑とか、誰も、ユーマも思ってないだろう。あれだって君を引き取ると決めたときから保護者の責任は取るつもりだったろうしな。レンは、学校に行きたいか?」

「―― わからない。ユーマは私にたくさんのことをくれるけど、私は何も返せてない」

 せめて今以上、迷惑をかけたくない。

 うな垂れるレンに、コヒは目を細める。そしてふんっと鼻を鳴らして。

「子供の進学にあれこれ悩むのは、当人だってその親だって何処の家庭でも一緒だ。レンはユーマを他人だと、今でも思うか?」

 言われ、レンはぶんぶんと頭を横に振る。

「家族だと、思ってるよ」

 おこがましく、思わないでいてほしい。血のつながりはなくとも、共に暮らしているのなら、相手を大事に思うなら、それは家族だ。

「そうか」と、コヒは笑い「ユーマにとってもレンは家族だろう。なら家族の将来であれこれ考えるのは普通のことだ。進学すればその分知らなかったことを学べる。学べば将来の選択肢が増える」

「それって大事なこと?」

「大事だ。できなかった事、知らなかった事を身に着けられれば、自分にできる事が増える。知らんままだとそれもできない。知ることで誰かの役に立つ事だって増える」

 コヒは腕を伸ばしてレンの頭を撫でた。

「悩むことは良いことではあるが、迷惑とか面倒とか、自分を卑下しちゃいかん。ユーマが稼いだ金をと思うなら、毎日自分にさぼらず勉強すればいい」

 家に帰ったらユーマと十分に話し合えばいいと、コヒは少女に言う。

「若造が頼りないなら、いつでも来ればいい。関わったんだ。関わってやる」

 コヒの言葉にレンは眉を上げ……ついで口元を綻ばせ「ありがとう」と笑った。



 コヒの家を出る頃には、ずいぶんと陽が高くなっていた。

 ゆっくりし過ぎたかもしれない。

 レンは足早にパン屋へと―― 自宅へと帰る。



***



 昼間、コヒの元から帰ってきてからレンが何か言いたそうに、ちらちらと様子を見ているのがわかった。

 レンが自分から話すのを待ったほうがいいだろうか? と、夕食が終わり、夜の家畜の世話を終え、ざぶんと風呂に入り。

「……。なんなんだろ?」

 それとなく話しかけても、日常会話程度しか返ってこない。

 構ってほしいのだろうか?

「うーん。男の子ならプロレスでもすりゃいいんだろうけど……」

 人形遊び? いや、レンの年ではやらないだろう。

「化粧したり、爪塗ったり? あれ? 化粧道具って必須アイテムなんだよな……? ああ、そっか。そういう日用品もいるのか?」

 もしも、女の子特有のもので必要なものがあるのに言い出せないのだとしたら?

「だめだ。対処できない……」

 同じ年頃の娘がいるシェリに頼んでおいたほいがいいのだろうか?

 両手で湯船の湯をすくい、ばしゃっと顔を洗う。

「っぷ。とりあえず話聞くか。時間たったら余計言いにくくなったりするし」

 まだレンは起きているだろう。

 話してくれたらいいんだけどなと、悠馬は呟いた。



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