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*異世界のパン屋さん*  作者: 河野 晶
第二話 ぼくの名前は
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 悠馬が異世界に来て最初の一週間で覚えた言葉は『バフィ(パン)』『アポヤ(おはよう)』『アエヤ(おやすみ)』それから『オレコタウ(ありがとう)』だった。

 そして分かったことは、時計代わりに日に六回鐘が鳴らされること。

 人への挨拶は右手の甲を向けてすること。

 米に似たものもあるが炊飯するのではく、挽いて粉にして使うということ。

 それから小麦があり、パンを焼いて食べるということだった。


***


 この世界に来てからの悠馬の朝もいつもと変わらず早かった。

 目覚ましがない分ちゃんと起きれるか不安だったが、人間は案外環境になれれば便利な文明の利器はなくてもどうにかなるようだ。

 朝日が昇る前に起き出して、ブルクと共にパンを作る。

 日本の、というより元の世界のように菓子パンや惣菜パンはほとんどなかった。

 まず焼き型を使用しない。丸めるか、平たくするか、棒状にしてねじるかだ。

 生地に入れ込むものも豆程度。

「惣菜パンとか作ったら売れそうだな」

 というのが悠馬が思った事だ。

 売り物のパンを作り終えたら、次は庭で飼っている家畜の世話をする。

 初めてこの家畜を見たとき、悠馬はあんぐりと口を開いて固まった。

 そこには多分鶏と多分ヤギか牛と思われる動物がいたのだ。

 人間が人間だからといって、存在する動植物全てが地球と同じだということはないらしい。

 もう見慣れた悠馬は怖がる事無く、スーパーで売っているエルサイズ二つ分の卵を産む鶏と、ヤギと牛の中間の様な乳を搾れる牛(ややこしいので悠馬は牛と呼ぶことにした)の餌やりをして卵と乳を採る。

 そしてブルクと共に朝食を摂り、店番―― 客とのやり取りは悠馬にはできなかったが、掃除やパンを並べたりの手伝いをしながらの生活が一月ほど続いた。


「ユーマ。これを合わせてみてくれ。わたしの若いときの服だが仕立て直せばどうだろう?」

「ブルク?」

 夕方、店の片付けをしている時にブルクから手渡された服を見て悠馬は数度瞬きをする。

 ブルクは手渡した服の肩を取り、悠馬の両肩に合わせて頷いた。

「うん。肩幅は大丈夫だな。袖と襟を直してもらおう」

「えっと、おれこたう、ブルク」

 にこにこと笑うブルクを悠馬は不思議な気持ちで見る。

 どこの誰かもわからない自分の衣食住を世話を、なぜ、この老人はしてくれているのだろう?

 尋ねたくとも言葉がわからなかった。今はただ感謝を言葉の代わりに態度で示すしかなかった。

 言葉のわからない悠馬の仕草や目線で、ブルクは一生懸命に悠馬が何を伝えたがっているのかを知ろうとする。

 なぜ、そうしてくれるのか、生活に少しづつ慣れてきた悠馬の、今一番知りたいことがそれだった。

(早く言葉を覚えよう。いつまでもこのままじゃ駄目だろうし、話せるようになれば俺みたいな奴が他にいるのかも聞ける)

 そうなれば、もしかすれば帰れる方法も分かるかもしれない。

「・・・・・・・・・・・・」

「ユーマ?」

「あ、なんでもないよ。掃除ええっとなんだっけ?しぇ、シェゼする」

 帰れるわけがないと、頭のどこかで告げている。

 悠馬は時折、衝動的に心を襲う恐怖を飲み込んで、この世界で生きる術を探すために体を動かした。

 自分には、パンを作るしか能がない。

 そんな自分がなぜ異世界などにやってきたのか、わからないまま悠馬は毎日パンを焼いた。


***


 店番をしている時は、とにかくブルクと客の会話をヒヤリングしてる。何を言っているのかさっぱりだが。

「いらっしゃいませ」は言えるようになった。

 悠馬が焼いたパンも概ね好評のようで常連客からはブルクの弟子だと思われていた。


 その日は昼から悠馬一人で店番をしていた。

 来た客が常連ばかりだったので会計なども客が自分でしてくれたので助かった。

「ユーマ。あんたの作るパンは美味しいけど、言葉何とかならないの?ブルクも大変だろうね。なんでユーマを引き取って弟子にしたんだか」

「ブルク?ええと、ありがとう。ぱんはすきだからたべるします。ブルクは、も?ぱんがすき、やく」

「あはは!相変わらず何言ってんのか分かんないよユーマ。で、ブルクは?ブルク」

 半分も聞き取れない常連客である女性の言葉に首を傾げつつ、何度もブルクと言われたので悠馬はどうにか単語を繋げて答えた。

「ブルク、おやすみ」そう言って悠馬は咳をする真似をした。

「え?ブルク風邪でも引いたの?」

「コジ?ごほんごほん。コジ?」

 頷く女性になるほど、コジは咳か風邪のことかと、悠馬は紙に片仮名でコジ=咳・風邪、と書き込んだ。

 そして自作の辞書を見ながら悠馬は続けた。

「ブルクは風邪。おやすみ。あ、ねえおばさん。医者っているの?診せたいんだけど分かる?」

 後半は日本語で言い。頭をフル回転させた。そして脈をとる仕草をしたり聴診器をあてる仕草をしたが、分かってもらえずに悠馬は唸った。

「まあとにかくブルクは寝かせておいて、熱が出てるようなら薬飲ませてあげて。分かる?薬」

「キセ?」

「そう薬」

 キセって何?と悠馬は眉を寄せた。

 何にせよ、このまま客を引き止めておくわけにはいかず、悠馬は礼を言い女性を見送った。

 勝手をすることになるが今日は早めに店を閉めよう。

 ブルクなら身振り手振りである程度分かってくれる。

 午後二回目の鐘が聞こえ、悠馬は閉店の準備をし始めた。

「晩飯どうしよう?おかゆ…・・・はこっちの米じゃ無理かな?牛乳でパン粥作るか」

 ブルクも年だ、七十は越えているらしい。胃腸に負担がかからない消化に良いものがいいだろうと、悠馬はあれこれ献立を考えた。


 悠馬が作ったパン粥をブルクは嬉しそうな顔をして食べた。

 薬はあったようで食事の後に飲んでいた。

 キセとは薬を意味する単語だとその時分かった。

 ブルクはその日は早く寝て、次の日にはいつもと同じ時間に起きて悠馬とパン作りをした。

 変わらないその様子に悠馬はほっとして、竈の火を見ながら紙を手にブルクにあれこれと指差しながら物の名前を聞いて書きとめていった。


***


「ユーマ。ちょっと頼まれてくれ」

「なに?ブルク」

 家畜小屋の掃除をしている時に呼ばれ、悠馬は道具を適当に脇に置いてブルクの傍へ行った。

 そこには同じ年くらいの少女、年齢的にはもう女性と言ったほうがいいだろう茶色がかった黒髪の女性がいた。

 店で何度か見たことがある。常連客の一人だ。

 ブルクは女性をさして。

「ハンナだ。ハンナ。彼女の店に鉄鍋を注文しとったんだがな、案内してもらって引き取ってきてほしい」

 ゆっくりと、話すブルクに悠馬は困った顔をしそうになりながらも「ハンナ」を指差し「いきます。おなじ。てつだうことが、おわるれば、かえる?」とブルクに首を傾げて見せる。

 頷くブルクに悠馬は了解したと自身の胸を叩いた。

 とにかく彼女についていって何かが終われば帰ってくればいいのだろう。お使いだ。

 悠馬はハンナを振り返り。

「悠馬です。よろしくします」と挨拶をした。そして悠馬の予想通り。

「よろしくユーマ」

 と言われ、もう最初から悠馬ではなくユーマと自己紹介するか悩んだ。



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