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*異世界のパン屋さん*  作者: 河野 晶
第八話 なんでもない休日
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 軽い掛け声ひとつで、悠馬は竈の中に身を滑り込ませた。汚れても構わない服を着て、頭にはタオルを巻いて。

 立ち上がれるような広さはないので、腹ばいのまま竈の外にいるレンに。

「レン、あかりかして」と、角灯を受け取った。

 内側のレンガを見落としのないよう丹念に見て回る。

 左側の奥に二十センチほどの亀裂が一箇所入っていた。

 最近パンの焼き加減がおかしいと見てみればこれだ。応急処置はするとしてと、悠馬は竈の中で腕を組んだ。

 騙し騙し使って完全に壊れてから修繕するよりも、今の内に専門業者に直してもらったほうがいいのかもしれない。

「見積もりだけ先に取っとくか。ってか、業者、いんのかな……」

 ぼそりと言って、ついでに竈の内部を掃除してから悠馬は外に出た。



「どうだったの? 壊れてた?」

 と、濡れたタオルを手渡しながら首を傾げて聞くレンに、悠馬は礼を言ってタオルを受け取り煤で汚れた顔を拭いた。

「ひどくはなかったけど、しゅうりはしてもらわないとだめだな。まあ、まだ大丈夫だよ」

「そっか。お店のパン、焼けなくなったら大変だもんね」

 うんうんと頷く大人びたレンの仕草に悠馬はふと笑った。

 そして、悠馬は少し屈んでレンに目線を合わせて言う。

「かまど、しゅうりしたら二日か三日は使えないから、ちょっと遠くにでかけようか? おべんとう作って、おやつももって行かない?」

 ぱちくりとレンは瞬きをして、ぱあっと顔を輝かせた。

 元気よく首を立てにふり「行く! 行きたい!」と悠馬に抱きついて喜んだ。

 はしゃぐ少女の短い髪を撫で、パン屋の青年は微笑んだ。

 楽しそうにしている今言うのはなんとなく卑怯な気はしたが、レンにも言っておかなければならないことを思い出し、少し言い難そうに悠馬は口を開く。

「あと、あさっての夜、おれでかけるから」

 ぴたりとレンは体を強張らせて悠馬を見上げた。

「お祭りの準備?」

「ん。コヒとあと一人とおれとでね。会って話ししてくる」

 誰と、とは言われなくともわかった。レンを攫った、ミニュスとだ。

 レンはぐっと下唇を噛む。それからじっと悠馬を見て言った。

「私も行きたい」

「だめだ。会わせたくない」

 悠馬の反論に、レンは瞳を閉じて首を横に振る。

「どうしても、直接、言いたい事があるの」

「おれが変わりに言う」

「おねがい」

「だめだ」

「…………」

「…………」

「……ユーマ」

 しばらく無言でお互いの目を見つめ、ため息と共に先に折れたのは悠馬だった。

 子供の意志は尊重すべきことだろうが、この件に関しては大人の言う事を聞いて欲しい。が、レンは悠馬に対してのミニュスの嫌悪のとばっちりを受けた当事者だ。言いたい事のひとつ、あるだろう。

 あんな男に二度と会わせたくはないけれど――。

「なら、絶対におれのそばから、はなれないこと」

「うん。はい、約束する」

 真面目な顔付きで答えた。



***



 本当は、直接会わせることも、近づける事もしたくはない。

 どうすればいいのか、正直、わからない。

 今もこうして、テーブルの下でぎゅっと手を握り締めてくる、レンの小さな手から怯えが伝わってくるようだった。

 そっと、レンの手を握り返す。

 座っているテーブルは、大人が端と端から手を伸ばしても届かない幅広のものだ。

 そのテーブルを挟んで悠馬とレンの前に座っているのは、ミニュス・ダンクヴァー。立会い人のコヒと民間の懲戒役員のトスパという男性。

 本来ならば、不当な行為を行った者に対してどのような制裁を与えるかを決する立場であるトスパは、今件に関しては友人のコヒからの依頼で示談交渉人としての役割を果たす事になっている。

 唇を引き結んだまま黙しているミニュス。表情を変えずミニュスを見据える悠馬と、そこが唯一の拠り所であるかの用に悠馬の手を握りじっとテーブルの見つめているレン。

 気遣わしげにレンに視線を向けるコヒは、トスパが読み上げる示談書に耳を傾ける。

 まったくと、コヒは内心嘆息する。

 こんなにこの青年に関わるとは思ってもいなかった。

 長年診てきた患者が庇護した難儀な青年。その青年が連れてきた少女。

 やっかいな事になると散々言ったつもりだったが、結果はこれだ。

 こんな事になれば、警察官であるアダルベルトは立場上関われないし、ハンナには荷が勝ちすぎる。

 まったく難儀な男だなと、コヒは「ふん」と鼻を鳴らして腕を組み、言葉を正確に理解仕切れていない悠馬の変わりに、示談の内容に悠馬たちに不利が無いかを漏らすまいと聞いていた。



 悠馬の示談への条件は、レンに今後一切関わらない事。他者を用いての接触もしない事。それに尽きた。金銭での解決は望んでいない。そんな事はどうでも良かった。

 トスパが読みきった書類を悠馬とミニュスの間に差し出した。

 双方、相違はないかと問う。

 小さく頷いたコヒを見て、レンに不利はないと判断し、悠馬は顎を引いた。

「レンが安全なら、それでいい」

 ミニュスを見据えたまま言う悠馬に、ミニュスは眉を寄せる。

「よく善人面ができるな。素性もわからない異国民が。どうせあの家と店を乗っ取った時のように」

「あんたが!」ミニュスの言葉を遮り悠馬は硬い声を出す「移民を嫌うのはかってにすればいい。でもそれは、おれに向けることだろう? 子供を、レンを傷つけたことを、おれは一生だってゆるさない」

 二度とレンに近づくなと、言いつける悠馬にミニュスは気色ばむ。

「それが不当な言い分だと何故誰もわからない?! 君も、衣食住を提供されて騙されている事に気付いていないだけだ。良く考えるんだ。得たいの知れない男の元にいて、この先どんな酷い目に合うか」

「あわせたのは、あんただろう。レンに話しかけるな」

「交渉の場に子供を引っ張り出して、正しい庇護者を演じて信じ込ませようとする遣り口が気に入らない」

 ぱん! と、コヒが手を打った。視線が医者の男に集まる。

「口論するための場ではないだろう。示談の交渉ならトスパを通せ」

「レンが安全なら、それでいい」

「……っ」

 繰り返された言葉にミニュスはぎりっと歯噛みする。

 悠馬は示談書を引き寄せ、この世界での名を書いた。

 それを見てミニュスが何か言おうとした時、先に声を出したのは、今までじっと目を伏せていた、レンだった。

 座っていても見上げる位置にあるミニュスを見つめる。

 怒りも怯えも無いような、でも、どこか悲しそうな瞳で、自分を攫った男に言う。

「あなたの、考えが全部間違ってるとは言わない。ユーマに関して以外ならだけど。―― あなたはユーマに意地悪された? されてないよね?」

 レンはぎゅっと膝の上で両手を握り締める。

「誰かと、理解し合う気持ちもなくて、受け入れようとしないままじゃ、友達になんかなれないよ」

「レン?」

 悠馬は隣に座るレンの横顔を見る。

 しっかりと、自分の言葉を伝えようと背中を伸ばしている少女。

 レンは視線を感じて小さく笑う。

「友達が言ってたの。まずは相手を受け入れる。それができなきゃ、どれだけ話しても良くならないわ。―― 私はユーマが好き。コヒも好きだし、ハンナも好き」

 でもと、苦笑して続ける。

「あなたはまだ怖い。相手を受け入れる優しさが無いあなたは怖い。そんなんじゃ無理、あなたの正義はユーマを傷つける。私はそれが許せない」

「…………」

「―― レン。ひどいことされたのレンなんだよ?」

「うん。怖かった。けど、ユーマがしんどい思いするほうが嫌だもん。だからお願い。ユーマにもう酷い事しないで」

 レンが、言いたかったことは、それが全部だった。


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