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悠馬は帰るとすぐに家畜の様子を見て、それから家の中に入った。
玄関の横手は物入れになっていて、その隣に並んでレンの部屋と悠馬の部屋がある。
悠馬は時間的にもう寝ているだろうレンを起さないように、足音に気をつけながら廊下を行き、台所へと向かった。
手にした角灯の火は消さずに、柱にある金具に引っ掛けて吊るす。
水を飲もうとコップを取ろうとした時に、まだ当分は使う予定のない暖炉の前に小さい塊を見つけて、悠馬はびくりと体を振るわせた。
なんだ? と思い目を凝らす。薄暗がりでもそれがなんの影なのかがわかり、ほっとしたと同時に心配と呆れがやってきた。
「レン」
軽く体を揺すってもぴくりともしない少女に、悠馬はやれやれと頭をかいた。
しっとりと湿っているレンの髪は、水気をきちんと拭き取らず風呂上りにそのまま転寝したためだろう。
拭いてやらなければならないほど濡れているわけではなかったので、悠馬は枕代わりになっていたタオルはそのままして、レンの背を起して腿に腕を回して抱き上げた。
一度寝たら起きそうにない子供の寝方。もごもごと口を動かしてにぽっと笑ったレンに悠馬もつられて笑った。
レンは食事の時はいつも真剣な顔をして食べる。好みの味や好物が出たときは嬉しそうに笑う。
「夢の中まで何食べてんだか」
すやすやと寝息をたてる腕の中の少女を起さないように部屋まで運び、そっとベッドに下ろした。
暑いだろうが風邪をひくといけないから、腹にだけ掛布をかけてやる。
安心しきったその様子に、悠馬は、居た堪れなくなる。
悠馬は軽く頭を振って、音を立てないように部屋を出た。
歩くと板張りの廊下がぎしぎしと軋んだ。
台所に戻り水を飲む。冷蔵庫で冷やされた物とは違い、少し生ぬるかった。
ぼうと掛けたままだった角灯の灯りが大きく揺らいで、消えた。
ロウソクが無くなったのかと、ぼんやり思う。
灯りもなく、風の音すらない。耳鳴りがするほど静まり返った室内で、悠馬は一人、目を閉じた。
***
「ユーマ? こんな時間から寄合いなの?」
とろんとした目を擦りながらレンは靴を履き替えている悠馬に聞いた。
「大変じゃない? 大丈夫?」
と言うレンの頭を悠馬はぽんぽんと撫でた。気遣われた寄合いの内容の半分は、祭りにかこつけたおやじ連中の飲み会なのだ。
「遅くなると思うからちゃんと寝とくように。あと誰か来ても、ハンナとコヒとアダル以外は開けないように」
小さな子供に聞かせるような忠言をする悠馬に、レンは苦笑しながら頷いた。
「わかった。いってらっしゃい、気をつけてね」
「うん。いってきます」
秋祭りの準備といっても、本番までまだ二ヶ月以上はある。催し物の順番や祭り中にのみたつ露店の場所決めなど、下準備を主に片付けていっている。
聞いた話では毎年、露店の場所決めは揉めているらしかった。
人通りが多いところになるか、大通りからも離れてしまうかは、こちらもくじ引きなのだ。
出店希望だけを出し、くじで人気のある場所が当たると欲しがっている露店主に正規の出店料以上の値で売る不正者もでてきたりと、一番厄介な仕事になる。
また、出店料の一割は自治会側に寄付され、残りが市の収益となる。その為に役所からも庶務と経理が派遣されることになっている。
悠馬はそれらを取りまとめなければならない。アルゲや他の役員をしなれた者たちが随分手助けしてくれているが、事ある毎に絡んでくる男が一人いるせいで、すんなりと事が終わったためしがない。
顔を見るたびに睨んでくる、揚げ足は取る、もういっそ気持ちが良いほど嫌われている。
「みにゅすもなあ、無視してくれたらいいのに。なんか犬が嫌いな相手にうなってる感じだよな」
などと、ミニュス本人が耳にすれば怒り狂いそうな事を呟いて、悠馬は頭をかいた。
開け放している酒場の出入り口から中を覗き込み「げっ!?」と、悠馬は頬を引き攣らせた。
他の役員はまだ来ておらず、件のミニュスが一人で酒と肴を口にしていた。
正々堂々と回れ右をしたくなったが、見なかったことにする前に見つかってしまい、悠馬は取り合えず無表情を決め込んでミニュスがいるテーブルに進んだ。
途中店員に果実酒を頼み、憮然とした顔のミニュスに「こんばんは、まだほかの人は来てないの」と声をかけ、なんとなく斜め向かいに座った。
「見ればわかるだろう」とぐいっと酒を飲み、ミニュスはむっとしたまま悠馬を見据える。
無視すりゃいいのに返事はするもんなと日本語でぼそっと呟いた悠馬を、目を細めてミニュスは睨み「何だって?」と不機嫌な声を返す。
「食べ物たのもうか思って、ただのひとり言」と悠馬は適当に答え、丁度運ばれてきた果実酒を一口飲んだ。
酒場は夕食を摂りにだけ来ている客もいるようで、ミニュスが座っていたテーブル以外はうまっていた。
常連だろう者たちは進んで同じテーブルに着き、話に花を咲かせている様だ。
そんな喧騒の中で。
「…………」
「…………」
(うん。無言もきつい)
悠馬は思わず、じと目で横を向いた。
なんとなく。
(合コンで同じ子狙ってお互いアウトくらって、別の合コンでまた会った時みたいだ。―― や、違うか)
とにかく、誰でも良いから早く来てくれと、ちびちび酒を飲みながら思った。
結局三十分ほど無言が続き、アルゲの姿が見えた途端お互いほっと息を付き、お互いちょっとむっとした。
数名が集まってから悠馬は、露店場所を提供する市側の担当職員との顔合わせの為にアルゲと共に別行動となった。
連れて行かれたのは別の飲み屋だった。相手側はすでに来ており、資料か何か紙の束をテーブルにどんと置いていた。
その紙全てではないにしても、これから話す内容がその量であればすぐには帰れないだろう。
一人で留守番しているレンを思い、防犯対策を何かしておくべきかと考えた。
玄関や窓の鍵も金具を引っ掛けて回して止める程度で、今まで気にしていなかったが、頼りなく思える。
女性や子供に持たせるような防犯グッズがこちらにもあるのかは分からないが、一度ハンナの雑貨屋にでも見に行くかと考えていたら。
「と、いうわけだ」
急に話を振られ悠馬は慌てて意識を戻した。
「あ、ああ。わかった。場所決め用のくじ作るのはお願いします」
「ええ」
悠馬ににっこりと笑って返すのは市の女性職員だ。
「出店料から自治会への寄付金は例年通り一割ですから、会計時に役員の方二名来てくださいね」
「わかりました」
さてでは、とにこにこしている職員は、お仕事はお仕舞いですと言い、勢いよく酒を頼みだした。
多少は付き合ったほうが良いのだろうが、まだ明日の仕込が残っている悠馬はその事を伝えて席を立った。
家に帰るとまた、暖炉の前でレンがうずくまる様にして眠っていた。
寄合いなどで夜遅くに帰ってくる日はいつもこうだった。
悠馬はその都度そっと抱きかかえて部屋に運んでいる。
ベッドに寝かせるときに薄っすらと目を開けたレンに、悠馬は微笑して「ただいま」と言った。
レンはその姿に安心して口元を綻ばせて、またすうっと眠りだす。
その様子に、一人が怖いと零すことのない少女に、悠馬は苦味を覚える。
ここは安全だと、レンは自分に甘えてくれている。その事は素直に嬉しく思う。
そして、レンの選択肢を悠馬は考える。そうしなければいけない。でなければ。
「―― 最低だろ、卑怯過ぎる」
守ると言った言葉に、嘘はないのに――。




