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*異世界のパン屋さん*  作者: 河野 晶
第七話 はらはらさせないで
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 レンと暮らし初めてから会話力が一気に上がったなと、悠馬は夕食時に少女がする話に頷きながら思った。

 客との会話も仕入れ業者との会話も限られているし、アダルやハンナとも毎日会って話していたわけではなかったのだ。

 こうやって顔をつき合わせて毎日会話をすることで、一人暮らしの時よりも聞き取り能力や発音が正しく身につけられている。

 そろそろ文字も真面目に覚えなければと、新しい課題に悠馬は口をへの字に曲げた。

 みみずがのたくった様な字は、いまだにまったく理解出来ない。

 昔テレビ番組で見た速記文字に似ている気もするが、どちらにせよ読み書きできないのだから似ているというだけで役に立たない。

 ま、ぼちぼちやってくかと、悠馬は独り語ちる。

 食事が終わると二人で後片付けをする。その後はレンが風呂の仕度をして、悠馬は翌日用のパン生地の仕込みに入るのだが、今晩は寄り合いがある為外出の準備をし戸締りを確認してから、レンに留守番を頼んで町会館へと出かけた。



 会館内は普段の寄り合い時よりも人が多く集まっていた。

 祭り前ということと、次の役員決めがある為だろう。

 いつもは余っている椅子には、すでに空きが無かった。

 悠馬は壁際に立って開始の時間が来るのを待った。しばらくして回されてきた蝋を引いた板に書かれた文字を見て「英語の方が簡単な気がしてきた」と口をすぼめた。

 今日の会合の内容が書かれているか、別のなにかが書かれているのか……。

 悠馬のぼやき気が耳に入ったのか、近くにいた男が顔を向けてきた。

「なんだパン屋、まだ読めないのか?」

「さっぱりむり。なに書いてるのこれ?」

「祭りの担当者決めだな。自分の名前書いて、ほら、前にある箱に入れて適当に引いて決めるんだ」

 ようはくじ引きかと悠馬は「名前なら書ける」と頷いた。

 そうこうしている内に大工のアルゲがやってきて、はりのある声を上げた。

「だいたい集まったか? では一人づつ名前を書いた紙を持ってきてくれ。居ない者の名はこちらで書いてから引いていく」

 言って四苦八苦しながら名前を書いていた悠馬をにっと見やり。

「今回の引き手はポンク通りのパン屋のユーマにやってもらおうか」

 いきなり名を出され悠馬は「へ?」と間の抜けた声を出した。

 疑問を口にする前にアルゲに腕を取られて壁から離される。

「ちょ、アルゲ、ひきてってなに?!」

「そんなに焦ることないだろう? 役毎に名前を引いていくから、ユーマがそれをやってくれ」

「あ? ああ」くじ引き係ねと納得し、悠馬は皆の前に出た。



 祭りの役員決めは一時間ほどかかって終わった。

 終わってから悠馬は、みみずの這ったような自身の字をため息を付きながらくしゃりと潰した。

「……俺、くじ運悪かったっけ?」

 自分で引き当ててしまったのだから誰にも文句は言えない。

 くじに当たらなかった者たちは、後日来年の夜警などの担当決めを行うとの事で各々会館を後にし、今残っているのは悠馬と同じくじに当たった者たちで、地元の祭りを盛り上げようとやる気満々になっている者と面倒くさそうにしている者と半々といった面子になっている。

 その中で悠馬が知った顔は町会長のアルゲぐらいだ。

 そのアルゲが役員を見渡して口を開く。

「さて、まあ今日は顔見せだな。自己紹介でもしていくか?」

 じゃあユーマからいくか? と目を向けられて、悠馬はしょうがないかと左手の甲を向けて。

「じゃあおれから、ユーマ・ソシューです。まつりは初めてなので、よろしくお願いします」

 言った瞬間聞こえた舌打ちに悠馬は微かに眉を寄せた。

 剣呑な眼差しを向ける男を見つけ、悠馬は内心苦笑する。

 『移民族の自分』が町の人たち全員に受け入れられているなどと、おめでたい考えは持っていない。

 その上、人の本能として異分子を嫌悪しているのなら、なおさら事この男の反応は健全ともいえる。

 だから。

「こんな奴に実行委員長任せて祭りが無事に終わるのか不安だな」

 吐き捨てるように言われた言葉も仕方がないのかもしれないけれど、実行委員長の意味が分からなかった悠馬には意味の分からない不快感しか伝わってこなかった。

 アルゲが片手を挙げて男の言を止めた。

「初参加だからな、戸惑う事もあるだろうが俺がしっかり支援する。初参加の者が役員になるのは初めての事でもないしな」

 問題はなかろう? と落ち着いた声音でアダルは男を諭す。

 苛立った気配そのままに男が立ち上がり。

「ミニュス・ダンクヴァーだ」怒気を堪えた様な口調で名乗る。そしてそのまま椅子に座る事無く会館を出て行ってしまった。

 気まずい空気が会館内に漂う。居心地の悪さからか、誰かが空咳をした。

 やけに大きく聞こえたその音に、悠馬は申し訳ない気持ちになる。役員は代わってもらったほうがいいのだろうか?と口を開きかけたときニュミスが去った玄関から、悠馬が良く知った人物が二人入ってきた。

 アダルとコヒの姿にほっとしたがすぐにレンに何かあったのかと、悠馬は焦って立ち上がる。

「なにかあったの?」尋ねる悠馬にアダルは集まった町の住民を見渡して「なんだ静まり返って。なにかあったのか?」と同じ言葉を返した。

 アルゲがいやなと、ちらりと悠馬を見て話す。

「役員に不満があるもんがいてな、怒って一人帰っちまったんだ」

 困りもんだと苦笑する。

 アダルは肩を竦めて。

「くじで決まった事なんだから大人の対応しろってな。ほっとけほっとけ。で、今年は代表誰?」

「ユーマだ」

「あらら。代表ユーマなわけね」

「だいひょ?」

 は? と悠馬は口を挟む。なんとなく聞き覚えのある単語なのだが、はてなんだ? と首を捻る。

「祭りの町内会の代表。責任者。店主」

 わかる言葉が出てきて、悠馬はぽかんとした。祭りの店主、という事は責任者という事かと理解し。

「おれ、初めてなんだけど。なにするかもわかってないよ? 帰った人おこったのそのせいもある?」

「見てないから知らね」

「……だよね」

 くじ引きが公平過ぎると言葉に出さずにぼやき、ぐっと腹に力を入れた。

 ぐずっていても仕方がない。

「言葉もこんなで不安はあると思うけど、まつりが楽しくなるようにがんばるので、よろしく」

 と、悠馬は改めてあいさつをした。

「そういう事だ」とアルゲは言い「例年通り皆で祭りを成功させよう。アダルは警察からの警備の話をしてもらう為に来てもらったが、先に自己紹介を済ませてしまおう」と全員の顔を見渡した。



 各自の紹介が終わった後、アダルから警察側の警備の話があり、コヒからは準備中と本番時の救護場所などの話が出た。

 その話を聞いている間中、悠馬は不透明な遣り切れなさを感じていた。


***


 アダルたちと会館を後にし、飲みに誘われた悠馬は。

「今日はやめとく。遅くなったし、家にレン一人だから」

「そっか。あの子大分馴れたか?」

「うん。まあ、なんとか。あ、コヒ、レンの頭にぬる薬まだほしい」

 それにコヒは頷いて。

「明日にでも連れて来い。診察してから薬の強さを決める」

 はいと悠馬は短く答える。

 三人それぞれで角灯を持っているので周囲は結構明るかった。深夜まで営業している店が立ち並ぶ界隈を抜けたところで、ぽつりと悠馬は力のない言葉で呟いた。

「―― おれ、まつりのやくいん、やめたほうがいいのかな?」

 この土地で、何十年続いている祭事かは知らないが、歴史あるものであれば軽く百年以上昔から人々に根付いてきたものだろう。

 そのことを考えれば確かに、本当に余所者の自分が責任者など、不満が出て当たり前だ。

「毎年決まった役員嫌がるやつは一人はいるな」

 平坦な声音で返すのはコヒ。

「ユーマが来てもうすぐ一年か? もう一年経ってみろ。知った祭りになる。一番最初に努力せんでどうする。ユーマ一人が入ったくらいで祭りが上手くいかないなどありえんだろ」

 まあ面倒だろうが祭りが終わるまで頑張れと、気楽な調子で言ったコヒの声に、澱のように沈んでしまいそうだった思考が少し、浮上した気がした。

 大まかな祭りの内容は教えられたが、後日、日を改めて詳しい行程の説明をアルゲから受ける約束をした悠馬は、やれることはやろうと思う。



 アダルたちと別れ一人夜の町を行く。

 二人分減った灯りでは自身の足元程度しか照らせない。

 固められた土の地面に視線をやって時折、夜を彩る美しい更紗の様な星空を見上げた。

 これから先の人生で、今日のような衝突は、きっといくらでもあるに違いない。

 あきらめて認めてしまえば誰ともいざこざなど起こらないのだろうけど、自分は人とは違うからと他者の主張だけを正しいものとして、己を引くことが大人になる事ではないはずだ。

「……。どこで生きてたって、そういうのは変わんないよな」

 ほうと吐いた息は、澱を吐き出すためのもの。

 悠馬は意識して気持ちを切り替えた


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