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西大陸北東内陸部にある小国、ナガセ国。
国境の四方を大国に囲まれたこの国の主な産業は、小麦やライ麦の栽培と酪農だった。
大国に挟まれたナガセ国が侵略・攻略戦争に巻き込まれずにいられるのは、中立国として他国から認められる要因の一つである、世界機関である知識者の研究機関があるからだ。
小国の怯えを持ちつつも、そこに住まう国民は自国を愛して暮らしを営んでいた。
ナガセ国の首都より北へ進んだ地方にあるカウーラ市でもその暮らしは変わらない。
カウーラ市郊外にあるポンク通りは、自宅兼店舗になっている建物が多い。
悠馬が住む家の造りもその例にもれず、通りに面した店舗、その奥に居住空間がある。
店用の大きな竈と作業室、台所兼居間と寝室が二部屋。裏庭に鶏数羽と牛一頭。そして井戸と薪置き場。
二人で住むには十分な広さだった。
悠馬は袖を巻くり、鉈を持って裏庭に出た。
丸太で作った作業台近くに適当に積んでいる薪を放り投げ、小山ができたところで鉈を使って程よい大きさに切っていく。
祖父の薪割りを手伝っていた悠馬には馴れた作業だ。
一定の調子で腕を動かし、時折肩をほぐす。
祖父の石釜は、今も薪で火を入れているだろうか?
住宅街から離れていたから薪を使って煙を出せていたけれど、ガスに変えなくては駄目かもしれないと話していたのだ。
時代の流れなのだろうが、祖父は少し寂しそうだった。それでも続けられるだけ薪窯でパンを焼こうと決めていた。
「そういや、俺がいなくなって薪割りどうしてんだろ?」
斧を振り上げた途端ぎっくり腰になっているかもと思い、悠馬は一人苦い気持ちになる。
どうにかできる事ではない。悠馬は黙々と手を動かして、焚付け用の細割の薪を作っていく。
小一時間ほど作業を続け、運びやすいように荒縄で適当な量を束ねて、薪割りを終える。
出た木屑をさっと集めてから悠馬は抱えられるだけ薪を抱えて室内に戻った。
悠馬は台所と作業室の竈の傍に薪を分けて置き、手を洗いエプロンを変えてからパン屋に顔を出す。
小ぢんまりした店内では店番を任せていたレンがなにやら木の板を持って真面目な顔付きをして読んでいた。
「店番ありがとうレン。なにそれ?」
「あ、ユーマ。回覧板来てるよ」
言われ悠馬は眉尻を下げる。
レンはそんな悠馬に首を傾げ。
「これ、共通語だから読めるけど、読もうか?」
「レン文字読めるの? えらい!」
がしがしとレンの短い髪を撫でまわして言う悠馬に、レンは「やーめーてー」と嫌々をする。でもその顔は笑っているから、頭を撫でられること自体は嫌ではないのだろう。
悠馬は「なんて書いてるの?」と聞きながら、手櫛でぐちゃぐちゃにしたレンの髪を梳いた。
レンと暮らし始めて二ヶ月ほどが経つ。
汚れてかさぶただらけだった頭皮は今は少しかさ付いてる程度だ。
塗り薬はまだいるなと思い、悠馬は読めないけれどレンが持つ回覧板に目を向けた。
レンは「えっとね」と、悠馬が分かり易い様に字を指でなぞりながら「収穫祭の役員決めをジンの歴クヤの二十目の夕刻に行います」
「ちょ、待って」
悠馬は慌てて自作の辞書を取り出して、言われた日付を確認する。
こちらのこよみは三六十日と、日付として数えない夏至と冬至合わせて三六二日ある。
そしてさらに百二十日づつに分け、シンの歴、ヒナの歴、ジンの歴とあり、そこからまたエテ、ネニ、ソロ、クヤが三十日づつある。
月の数え方を最近覚えたばかりの悠馬は言われても直ぐにはぴんとこない。
悠馬は店のカウンターに置いているこよみ表と辞書を見比べて。
「あさって?」
「正解。で、んと、くじで担当決めるって。あと、来年の夜警の担当も」
「セウコソエって?」
「秋のお祭り。えっと小麦とか色々採れるから、えーと、感謝して、んと、ありがとうって飲んだり食べたりするの」
四苦八苦しつつも説明するレンの単語を拾って、悠馬はなんとか「五穀豊穣お祈りするってやつね」と理解した。
そして手書きのカレンダーを見て悠馬は「ああ」と声を出す。
「意味の分からない言葉あったの?」
「いや、かいらんばんのは大丈夫」
じゃあなに? と聞くレンに悠馬はちょっと考えながら。
「たぶんおれ、シンのネニの真ん中あたりで生まれた日がくる」
「たぶん? そういえばユーマいくつなの?」
「次で、にじゅういち」
最後の日本での月は七月。こちらに来た時の気候は、秋と言ってもいいような肌寒さだった。悠馬の勘では三ヶ月ほど気候がずれている。
よって十月生まれの悠馬は、十代最後の三ヶ月を満喫する事無く二十歳になっていた。
いまさら誕生日を三ヶ月ずらして年を数えても、さして変わりはしないから、悠馬は似た気候だろう月日に誕生日を決めてみた。
悠馬の手元を覗き込みながらレンはきょとんと首を捻る。
「ユーマの国ってこよみの数え方も違うの?」
不思議そうに聞かれ、悠馬はどっと強く心臓を打つ。
「おかしい?」なるべく平坦な声で悠馬は返す。
「こよみは共通だと思ってたから。東大陸は違うんだね」
「―― レンが生まれた日はいつ?」
「私の?ヒナ歴ソロの、十二目」
答えたレンの声には元気はなく、子供の姿で、どこか悟ったような眼差しを落としていた。
続いた言葉は懐かしむように、あきらめを含んでいた。
「毎年ね―― 家族でお祝いしてたの。お母さん、すごく張り切ってご馳走作ってくれてた……」
「レンの好きなごはんはなに?」
「え、スプランっていう鶏肉使ったの」
「とり? じゃあ覚える。しゅぷらんと、とっておきのケーキをつけよう」
レンの髪を指で梳きながら、微笑む悠馬に、レンは一瞬言葉を詰まらせて、笑い返した。
「うん。ユーマの誕生日には私ががんばってスプラン作るね」
「楽しみにしておくよ。で、しゅぷらんってどんなごはんなの?」
うんとねと、料理の説明を始めるレンを悠馬は目を細めて見つめた。
壊さないように、潰れないように、失くさないように。ごっこ遊びと言われようが、その虚構は孤独を癒すのだから。
臆病な勇気が、欲しかった。
「それで、油で揚げた香辛料と一緒に焼くの」
美味しいのよと言うレンに「そうぞうしたらお腹がすいてきた」と、悠馬は腹に手を当てておどけて見せた。
あははとレンは声を出す。お昼食べたところだよ?と言って笑った。
悠馬はその笑顔に居た堪れなさを自覚する。
レンにとってここは、やっと手に入れた安息地なのかもしれない。だとすれば、もう、それだけで良いとも思う。
レンの話を聞きながら、悠馬は一人、思考に沈む。




