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日の当たる明るい部屋に通されたレンは扉の横で立ったまま、てきぱきと敷布を換えるハンナを見ていた。
どこに何があるのか分かっているその様子に、レンは居辛さを感じて俯いた。
ユーマの、恋人だろうか? ふと思ったことにそうかもしれないと、レンは本当に気詰まりになり妙に緊張した。
背を向けて寝具を整えていたハンナはレンの表情には気付けずに、いたって普通に声を掛けた。
「いらっしゃいレン。眠れなくても横になっていたほうが良いわ」
レンは俯いたまま視線だけをハンナに向けた。どうしたの? という風に首を傾げるハンナにレンはユーマに対したものとは違う不思議さを感じて、それはなんだろうとじっとハンナを見た。
「私の目、怖くないの?」
思うと同時に口にした言葉。
ユーマは初めて見たとき驚いていた。コヒは医者らしく、事務的に視力があるかの確認をしてきた。
では、ハンナどうだろう? ただレンが居たことに驚いていただけに思う。
レンはこの後のハンナとのやり取りに、ああこの人も怖くないと、肩の力が抜けるのを感じた。
ハンナの言葉は彼女にとってごく当たり前のことだった。
「珍しいとは思うけど、居ないわけじゃないでしょ?」
「恋人の家に私が居て嫌じゃないの?」
きょとんとしたハンナにレンは違うの? と続けた。
え? とハンナは慌てて手をぶんぶんと勢いよく振って。
「違うわよっ?! ほんと友達ってだけだから。えっと、ユーマとはどこまで話したの?」
「東大陸からの移民だって聞いた。だから言葉が変だって」
「そうそう。初めて会ったとき挨拶すら覚束なかったのよ? なんというか、目が離せない弟って感じね」
おいでと手招きするハンナに、レンは中々前に出ない脚をどうにか進めてハンナの横に立った。
横になるよう促され、レンは陽の香りのする敷布に体を休めた。
レンはほうっと息を付く。そしてまた質問した。
「どうして私を嫌わないの?」
「嫌ってしまうことを私はレンにされてないもの。意地悪いこと言われたわけでもないのに会ったばかりで嫌うなんて変よ」
ハンナはレンに掛布を掛けてやりがら柔らかく笑う。
「私の父の自論がね『まずは相手を受け入れる』なのよね。考えや行動理念が自分と違ってもまずは相手を受け入れる。だってそうしないと良い方向に進まないでしょ?」
「……受け入れられなかったら?」
「そういう時は残念だけども、それまでの関係なんじゃないかしら? 人同士の付き合いだもの、この人とは無理ってことも当然あるわよ」
人間だものしょうがないわと、ハンナは笑う。
「だから、そうね、まずはレンの良いところを知ろうと思うわ」
レンは掛布に顔を埋めて言う。
「ユーマが、分かってるのかわからないけど、私、移民じゃなくて難民だったの」
売られて物乞いやすりをさせられて、娼館に売られそうになったところを逃げて来た。そのことまでは言えなかったけれども、レンはぽつりと零した。
「怖くて、嫌で、逃げたの。どこ行けばいいのかわかんなくて、雨が降ってきて、気付いたらユーマが助けてくれて、た……」
眠くはないと思っていたのに、横になると今までの疲れが押し寄せてきて、レンはゆっくり瞼を閉じる。
家を焼かれてからどれだけの月日がたったのか――。
夢うつつの中、あたたかい手が頬に触れるのを感じ、レンは家族を亡くしてから初めて、安堵の寝息を立てた。
***
焼きたてのパンを陳列棚に並べ、つり銭の確認をしてから悠馬は店の外に出てぐっと一つ伸びをした。
昨夜の雨のせいで空気はじめついていたが、夏の緑の濃い風が気持ち良くはあった。
準備中の札を裏返し営業中に変えて、悠馬は小麦の香りの中に戻る。
日本の実家のパン屋と同じくらい年季の入った店内は、ほんのりとどこか懐かしさが漂う。
毎日磨いて清潔にしている木製のカウンター。その奥に、今は遠い人の面影を見る。
「……頑張れ俺」
そう呟いて、悠馬は限界まで息を吐き切った。
そして、物心付く前から自分の側にあって当たり前だったパンの匂い。それを肺いっぱいに吸い込んで、両頬をぱしっと叩いた。
「よし! 仕事!」
問題事、考え事はたくさんあるけれど、まずは日々日常を頑張ること、それがこの世界に来てから悠馬が決めたことの一つだった。
ハンナからレンは眠ったと聞き、起きるまで休ませておこうと客が途切れた合間を見て様子の確認だけをした。
レンが何日まともに食事をしていなかったのか分からないが、二、三日は自宅療養させていたほうがいいだろう。その間に引き取るのに必要な書類などをどうにか都合出来るだろうか? と考え、自身の時のことを思い出し、二ヶ月はかかるかと当たりをつける。
ブルクの様に名前を書くだけで事が済むように取り計らえたらいいのだが、遣りようがまったくわからない。
取り合えず明日一度役所に行って移民手続きについて教えてもらおうと、悠馬は明日の段取りを組み始めた。




