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4.食虫花

 豪勢な屋敷の牢獄という絶望的な場所の中で、私は一人唇を噛んでいた。

 私を捕えたのは月の森に住む異質な魔女。虫どころか同じ魔女を狙って喰うと噂されている異様に美しい花の魔女だ。

 食虫花という名の魔女。彼女の噂は聞いたことがある。かつてこの屋敷は胡蝶の墓場と呼ばれていた。捕まるのはいつだって胡蝶ばかり。その頃は、虫を食らう者にありがちな胡蝶フェチなのだとしか思っていなかった。蝙蝠である私には関係ない場所だと、他人事として片づけていた。

 そんな場所の、そんな女主人に、私は囚われてしまっている。

 降伏か、死か。考えてもみなかった選択を迫られ、私は情けなさなんて一切顧みずに言葉を並べてどうにかその場をやり過ごした。とても醜い姿だっただろうし、私を王子様だと信じている花の少女が見たらもしかしたら失望するかもしれない。でも、私は私で必死だった。

 ここで死んだら少女を迎えに行けなくなる。隷属になっても同じだ。隷属になればこれまでの私は死んでしまう。きっと自ら花の少女の存在を食虫花に喋ってしまうだろう。そうなれば、少女は私のものではなくなる。そんな思いが頭を巡り、私は食虫花の誘いを断り続けたのだ。

 今はまだいい。蜜を飲まされ、少し肌を傷つけられただけだ。しかし、この先どうなるのだろう。早い所決心をつけた方がいいとあの女は言っていたし、彼女の隷属を名乗る同族の男も同じように言っていた。

 この屋敷には他にも無数の力無き者が閉じ込められているらしい。皆、あの女に囚われて拷問の末に隷属に下った者ばかりだ。中には暴行の傷が癒えず、苦しみ続けている者もいるようだ。

 ああはなりたくない。なってしまう前に逃げ出さなくては。しかし、牢獄の中の私を捕える蔓は生きていて、蝙蝠の姿になったとしても逃がしてはくれない。きっとこれも食虫花の身体の一部なのだろう。

 ああ、いっそ少女と一緒に隷属に下ってしまった方がいいのだろうか。

 しかしそれはこの月の大地に対する反逆行為でもある。

 食虫花。彼女はあろうことかこの大地の女神の命を狙っているらしい。手駒を集め、増やし、少しずつ月の森の秩序を崩している。ほんの二、三年前より森に隠れ住んでいた力ある魔女があちらこちらで消え始め、不穏な噂は流れだした。食虫花は力を集めている。他の魔女を捕まえて、配下に置くか、食べてしまうかして、この大地の命たる月の女神を捕えるべく動き始めているのだ。

 ここでもしも隷属になれば、私も月の女神を害す存在に成り果ててしまう。

 これは、一生取り消せない契約。魔女の隷属になるということは、魔女に破滅まで添い遂げるということ。もしも月の女神に食虫花が断罪されるのならば、隷属となっている者たちもまた同じようにこの世を去る事になるだろう。

 駄目だ。隷属になんてなってはいけない。花の少女を巻き込むなんてもってのほかだ。

 けれど、食虫花は何処までも残酷な女だった。

「もう知っているのよ、私」

 牢獄へと様子を見に来た食虫花は、私を見るなり真っ先に口を開いた。

「貴女の奇妙な生活の事、私の忠実な僕の一人がよく見ていたんですって」

 その時点で、思わず顔を上げてしまった。

 彼女が何を言わんとしているのか、分かってしまったのだ。

「月の流れを汲む花。私が二十年以上追い求めてきた人を讃える花。真っ白な髪と肌。可愛らしい紅色の目。控えめで大人しい性格。そして悩ましいほどに味わい深い蜜の味」

「やめて……」

「貴女って人は、そんな花の――しかも独り立ちしたばかりの無垢な少女を、お城に見立てた草花の鳥かごに閉じ込めて自分だけのお姫様に仕立て上げていたそうね。それも、三ヶ月間、蜜にも手をつけずに」

「あの子は……」

「貴女は蜜を吸わなかった。どうしてかしら? 熟成させるため? 後で美味しい思いをしたかったの? なにか特別な日にその命ごと全て吸い取ってしまうつもりだったの?」

「違う、私は――!」

 思わず叫んでしまい、すぐに怖気づいた。

 食虫花の赤い目が私の心の底までを見つめている。震えと寒気が後からどんどんとこの身を襲いはじめ、惨めな想いに駆られた。

「おかしな人。でも、そこが他の蝙蝠女よりもずっと魅力的。貴女も花の少女に心を奪われていたのかしら。純白の子の純潔さに惹かれて、蜜を吸って穢すのを恐れたの? でも、残酷ね。三か月も蜜を吸われずに放っておかれた花の疼きなんて、貴女には想像も出来ないのでしょう? あの子はね、蜜を吸われたくて――」

「もうやめて。あの子の話は……」

 きっと私の反応は彼女を楽しませてしまっているだろう。

 それでも、堪えられなかった。

 分かっていた。分かっていたのだ。これではいけないって。だってあの子は年頃の花なのだ。実を結ばせるのは早かったとしても、溜まり続ける蜜を吸ってやることくらいは出来たはずだ。欲望に負けてしまうのが怖いなんて言い訳に過ぎない。対策するならば、外で雌花だけを誘って蜜吸いし、その後であの子の蜜を少しだけ吸い取ってやることだって出来たはずなのだ。それが出来なかったのは何故か。面倒くさかったわけではない。あの子に手を出すのが勿体ないと思ってしまったからだ。

 これではいけないって分かっていた。しかし、分かっているだけで、何もしないまま時間だけが過ぎ去った。

 日に日に蜜を溜めるあの子が身体の疼きを感じているのは気付けた。その度に、手を出そうか迷ったけれど、結局は出せなかった。一度は穢して意識まで混濁させたというのに、その一度だけで懲りてしまったのだ。怖かった。まだ幼さの残るあの子の蜜を吸うのが。だから、もう少し大人になって、女性らしくなるのを待つつもりだった。

 でもこれは全て言い訳に過ぎないのだ。

「貴女が来なくなったら、あの子はどうなるかしら」

 食虫花がぽつりと言った。

「悲しがる? 寂しがる? いいえ、その前に、美しくも野蛮な胡蝶あたりが意気揚々と迎えに行くでしょうね。貴女という保護者がいなくなって、清々していることでしょうね」

 その光景が嫌でも頭に広がる。

「そして、幸運なその胡蝶を待っているのは何かしら。三カ月放置された蜜を秘めた何も知らないお姫様? ああ、もう欲望に溺れやすい胡蝶なら、一時間もしない内に哀れな花を枯らしてしまうでしょうね」

 美しくも残酷な胡蝶。蝙蝠ほどの力はなくとも、白い花の一族には絶対的捕食者でもある。一度捕まれば、その命は全て胡蝶の側に委ねられる。あの子はどうなるだろう。私は罪深い事をしてきた。三カ月も放置し、濃くて危険な蜜を溜めてしまったのだ。あの子を守り続けた私でさえ揺るがされる味へと。

 枯れた花の姿なんて何人も見てきた。

 あの少女と同じ白い花の一族の死に顔を、当り前のように見てきた。

 それでも、あの子の死に顔なんて想像したくもない。

「お願い、此処から出して。あの子のところに行かせて……!」

 涙声になりながら私は必死に食虫花に訴えた。

「馬鹿な人。そんな訴え聞いてあげられるわけないでしょう?」

 座る私に視線を合わせ、食虫花は語りかける。

「でも、可哀そうだから少しは考えてあげるわ。たとえば、此処にあの子を連れて来てしまうのは?」

「え……?」

「私はね、何も貴女を虐めるために捕まえたわけじゃないの。貴女に期待しているのは良き隷属となってくれること。頼れる蝙蝠は確かにいるけれど、幾ら居ても足りないくらいだもの。貴女がもしも決断してくれるのなら、花の子共々大事にしてあげる。二人まとめて我が屋敷の一員として守ってあげる」

 その目に偽りなんてないのだろう。きっと彼女は本当にその約束を守るだろう。

 隷属を持つという魔術はそういうもの。どんなに酷い魔女でも、女神の命を奪おうなどという悪しき者であっても、その決まりを破る事なんてあり得ない。

 どうしたらいい。

 誇りを守れば、あの白い花の少女には二度と会えないだろう。そうしたらあの子はどうなる? この女の忠実なしもべも蝙蝠の男。ひょんなことから手に入れた拾い物として喰われてしまうのだろうか。ああ、そうでなくたって、私が守ってやらねばお姫様を害すものは絶望するほどに多い。

 私は馬鹿だった。

 自分が守ればいいと思って、あの子に何も教えてこなかった。

 初対面で私があの子にしたことの実態を知られるのは怖かった。あの子がもしも私に失望したら、軽蔑したら、嫌悪したらと思うと、怖くて教えられなかったのだ。

 その結果がどうだろう。

 無知な御人形さんは私がいなくては何も出来ない。誰が危険で、誰が危険でないのかすらも分からない。そんな状態で三カ月も生き延びた。しかし、私がいなくなれば、たった一日で運命が分かれるだろう。

 もしもこの女があの子に何かをしでかさなくたって、あの子に未来はないも同じだ。

「お願い……」

 こうするしか、私にはなかった。

「あの子を連れて来て……」

 情けないという言葉では飽き足らない。

 ――なんで、捕まってしまったのだろう。

 私は、自分を責め続けた。

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