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19.逃げ道

 勇気は何処から出てきたのだろう。

 これまでずっとわたしだけの王子様でいてくれた蝙蝠の女。黒い髪も、黒い目も、端麗な顔立ちも、全部、わたしだけのもの。そんな醜い独占欲から来たのだろうか。

 食虫花が彼女を捕まえてぱっくりと食べてしまうのではないかと思ったその瞬間、わたしの心には火が付いた。この女性ひとはわたしの王子様。わたしだけの王子様。自分でも不気味なほど感情が暴走し、気付けばわたしは剣をとり、食虫花を背後から襲っていた。

 血が流れ、蹲る魔女の姿を見て、我に返ったのだ。

 まさか、わたしに……守られるだけのお姫様であったはずのわたしに、こんなことが出来たの?

「出口……出口は何処だ……」

 蝙蝠の女が焦りながら走る。その手に引っ張られ続けつつも、わたしは混乱の中にいた。そこまで長くはないはずの廊下が延々と続いているかのようだった。古ぼけた絨毯の上を走っているのに、足音が妙に響いて聞こえる。そして、何よりも恐ろしいのは、背後より迫りくる蔓だった。

 食虫花を怒らせてしまった。他でもないわたしが怒らせたのだ。

 捕まれば、どうなるのか。

「開かない……どうして……!」

 蝙蝠の女に引っ張られ続けている内に、いつの間にか閉ざされた正面玄関の大扉の前に居る事に気付いた。全てを委ねてしまっているうちに、新たな絶望がわたし達の行く手を阻んでいるようだ。

 ――開かない。

 その言葉に動かされ、わたしもまた蝙蝠の女と共に扉に手をかけた。押しても、引いても、駄目だった。鍵がかかっている。それでも、どうにか開けられないか。そう思ったものの、食虫花の蔓が忍び寄っていることに気付いて、蝙蝠の女がわたしの手を掴んだ。

「逃げよう、こっちだ」

 その言葉に従わざるを得ない。

 追いかけてきているのは蔓だけではない。はっきりとその姿は見えた。蝙蝠の男だ。食虫花の忠実な僕である彼が、血走った目で蔓と共にわたし達を追いかけてきているのが見えたのだ。

 逃げなければ。何処かへ隠れなければ。

 でも何処へ。何処へ行けばわたし達は逃げられるの?

 迷路のような屋敷の中で、蝙蝠の女とわたしは手当たり次第に逃げ道を探った。部屋の中には鍵がかかっている場所も多い。開いている場所を思い出すならば、二階のわたしの部屋とされていた客間くらいだろう。しかし、あの場所に向かおうと西側の階段を上がったとしても、中央階段より先回りする蔓と、背後より追いかけてくる蝙蝠の男とが、その目的地までの距離を絶望的なほどに遠ざけてしまう。

 ――挟まれる。

「窓だ。窓を割るしかない」

 痺れを切らしたように蝙蝠の女が言った。屋敷の廊下の端には頑丈そうな窓がある。わたしだけの力では無理でも、蝙蝠の女と一緒ならばきっと大丈夫なはず。そう信じて、わたしは彼女に付き従った。

 二階から飛び降りようとするのは二度目だ。まだ地面はぬかるんでいるのだろうか。

 階段横の窓を割ろうと二人で飛び込もうとしたその時、階段下より声が響いた。

「無駄な抵抗は御止めなさい」

 蝙蝠の男だ。すぐそこまで来ている。

 わたし達の背後には先回りしていた蔓が迫ってきている。逃げ道はもうこの窓しかない。

「行きましょう、王子様……」

 王子様は頷くと、廊下の放置されていた古い椅子を倒し、その脚を折った。そして手に入れた木の棒で思い切り窓を叩いた。しかし――。

「そんな……」

 思わず嘆いてしまった。

 蝙蝠の女の力はとても強かったはずだ。わたしなんかでは到底出せないほどだっただろう。それでも、窓は傷一つつかなかったのだ。それだけじゃない。叩いた衝撃に反応して、窓の外側が一気に蔓で覆われてしまったのだ。

 結局、あの時と一緒。共に逃げようとして失敗したあの時と――。

「無駄だと言ったでしょう」

 階段下から蝙蝠男の声がする。だんだんと上がってきているのが分かった。

 逃げようにも唯一の逃げ道はすでに蔓で覆われてしまっている。

「此処はただの人間の屋敷じゃない。我らが主人、食虫花様の城。この場所は主様のお身体に等しい。神でも何でもないお前たちに抗うことなど不可能なのだよ」

 澄ました顔が目に見えるようだった。

 木の棒を握りしめて、王子様が呟く。

「戦うしかない……」

 ――蔓か、蝙蝠男か。

 その判断は非常に素早いものだった。蔓は食虫花の手。蝙蝠男は食虫花の使い。どちらが厄介なのか、すでに彼女は理解していた。

「蔓に気を付けて、私から離れないように」

 わたしに囁くようにそう言うと、蝙蝠の女は手を離れていってしまった。まるで剣でも持っているかのように勇まく、木の棒を携えて階段を駆け下りていく。

 追いかけながらわたしが見たのは、階段を降りるその力をそのまま利用して、蝙蝠の男の頭上めがけて木の棒を振りおろしている王子様の姿だった。

 蝙蝠の男はそれをどうにか受け止めようとした。

 しかし、彼は王子様を見くびっていたのだろう。もしくは、この森の何処かにいる月の女神様がわたしたちをお守りしてくれたのだろか。

 蝙蝠男の悲痛な呻き声が小さく響き、そのまま力を失ってその場に蹲ってしまう。それをしばし冷たく見降ろすと、王子様はわたしを振り返った。

「来るんだ。早く」

 命令口調なのは焦っているからだろう。その黒い目に浮かぶ不安に気付いて、わたしは慌てて階段を飛び降りた。着地とほぼ同時に受け止められ、彼女の香りにふわりと包まれる。

 手をしっかりと握られて共に走ると、さっきよりも少し足が軽いような気がした。振り返っても、蔓は階段を下りてきたばかり。蝙蝠男もまだ蹲ったままだ。その彼に気を取られているのか、蔓の動きは鈍っている。

 追手は振り切れるかもしれない。けれど、それだけでは逃げられない。

 ――この屋敷は食虫花の身体に等しい。

 じゃあ、どうやって逃げろと言うのだろう。

「ねえ……王子様……」

 不安が声に漏れだした。蝙蝠の女はわたしの声を無視して走り続ける。正面玄関を横切り、さきほどとは反対――東側の廊下へ。この上がわたしの部屋とされていた客間だ。けれど、もう一度階段を登るより先に、わたしの手を引く王子様は一つ一つ部屋の扉を開けようと確かめた。

 当然ながら、何処も固く閉ざされている。

 それでも、彼女はめげなかった。

 そして、廊下の突き当り。二階へと続く階段と、その横には屋敷の北側へと続く廊下が伸びている。どちらに向かうかと一瞬だけ王子様が迷った時、ふと階段の裏側に人影があるのに気付いて鳥肌がたった。

 食虫花の隷属は蝙蝠男だけではない。蠢きながら力が無いなりにわたし達を捕えようとしている者たちも幾らかいるのだ。その一人かと思って、わたしも王子様も警戒したのだ。

 しかし、目が慣れると、今度は別の驚きが生まれた。

「鳳……?」

 わたしが呟くと、鳳は肯定するように目を細めた。

 近寄ろうとして、王子様にそれを阻まれる。見れば、彼女はまだ鳳を警戒しているようだった。鋭い眼差しで鳳の顔を見つめ、首を傾げる。

「――食虫花の妾め。私らを差し出す気か?」

「そうしたいところですけれど、ただの胡蝶であるわたくしでは貴女に敵いません、王子様」

 鳳は淡々と言った。

「北側へ行っても無駄です。わたくしの主様に敵いはしないやしないでしょう。貴女がたはわたくし共の仲間になるしかないのですよ」

 そして妖しげに笑ったけれど、わたしは何処か引っかかった。

 何か裏がある。そう思った時、蝙蝠の女が木の棒で鳳に殴りかかった。思わず止めそうになったけれど、鳳は軽々とそれをかわしてそのまま後退する。どうやら彼女の後ろに別の通路があるらしい。

「もしかして、食虫花様に一矢報いたいと?」

 通路に半分隠れながら、鳳はくすりと笑った。

「それなら、わたくしを殺して御覧なさい。そうしたら、あの方はきっと狂ってしまうわ。それが隷属を持つと言うこと。隷属は魔女の武器であると同時に、弱点でもあるの。わたしを殺せば、きっとあの人には隙が生まれる……かもね」

 とても小さな声だった。まるで、蜜を吸いながらわたしに詫びたあの時のよう。

 わたしははっとした。王子様が何処か残酷に笑っている気がした。

「弱点か……良い事をきいたな……」

 まさか本当にやるつもりだろうか。

「王子様、待って――」

 言いかけるわたしの口を、王子様は手で塞いだ。

「お望みならば殺してやろう。それが嫌ならとっとと逃げるがいい」

 その言葉に含まれているもの。わたしはよく分からないままだった。それでも、王子様を演じるこの蝙蝠の女と、鳳の間では、何かが交わされたらしかった。

 わたしにはよく分からない。けれど、鳳は静かに笑みを浮かべると、そのまま通路へと引っ込んでいった。わたしの口を塞いだまま、王子様はそれに続く。共に進んでみれば、その通路の先にあったのは階段だった。

 王子様が囚われていたあの恐ろしい場所に繋がっているのだろうか。それでも、王子様は迷わずに鳳の後を追う。その力には抗えず、わたしもそれに続くことしか出来なかった。

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