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18.偽の剣

 王子様とお姫様ごっこ。

 初めは汚らしい欲望を満たすためだけに始めたことだったはず。それでも、私は、本気でこの魔女から自分のお姫様を取り戻そうと必死だった。

 私の武器なんて牙しかない。その上、相手はただの花ではなく魔女。おそらく武器は蔓だけではないのだろう。それでも、ずっと守ってきた少女を奪われた私は、その時ばかりは冷静でいられなかった。

 我ら蝙蝠の一族が誇りにしてきた黒い翼を広げ、決して強いわけではない牙を食虫花に向けてとびかかる。そして食虫花もまた、そんな私を非常にさり気ない笑みと共に迎え、鞭のような蔓を向けてきた。私の目には食虫花の異様に白い肌しか見えない。

 ――八つ裂きにしてやる。

 そう叫んだ自分の声がまだ頭にこだましていた。

 少女は怯えているのだろうか。私か、食虫花か、どちらかが無残な姿になるかもしれないこの瞬間の訪れを。飛び出してからぶつかり合うその瞬間までが、嫌に長く感じられた。永遠に訪れないとさえ思われるほどだったが、ついにその時は訪れた。

 甘ったるい蜜の匂いに抗いつつ、私は食虫花の鼻筋に噛みつこうとした。しかし、食虫花は冷静にそれを避け、蔓を伸ばしてくる。その動きは異様に速い。けれど、めげずにそれらを避けて、床に転がり落ちると同時に誇り高い獣の姿を解いた。

 この部屋はきっと拷問のためだけに存在しているのだろう。その証拠に、部屋のいたるところには怪しげな器具が置いてある。

 血に飢えていることだろう。悲鳴にも飢えていることだろう。私が此処へ連れこまれたその瞬間から、美しき女主人の手に握られて獲物の血肉を味わうその時を待ち焦がれていただろう。

 冷徹に蔓を伸ばす食虫花の手から転がるように逃れ、立ち上がると同時に手にしたのは冷たいままの焼きごて。熱する力など私にはないけれど、使い道は別に一つとは限らない。哀れな者に烙印を押す部分は尖っていて、勢いをつければ別の効果を成すだろう。まるで剣のように振るって鋭利な先端を向けてやると、食虫花は冷たい眼差しのまま笑みを浮かべた。

「いい度胸ね」

 私がどんなに殺気を向けても、彼女は恐れたりしない。

 だが、これが通用せずとも、此処には武器が沢山ある。人間たちの持ってきたであろう多種多様な剣も置いてある。そのどれもが淀んだ空気の中で血に飢え、肉を求めている。

 ならば、その望みを叶えてやろう。

 これまでずっとお前たちを支配していた女主人の植物の身体で。

「王子様……」

 引き留めるかのような花の少女の声が微かに聞こえた。だが、血の滾る私を制止させるには力不足のものだった。全てを打ち破るためにも、少女と二人でやり直すためにも、ほんの少しでも残っている希望にかけるためにも、私はこの暴力にかけるしかなかった。

 ――覚悟。

 床を蹴り飛ばして、甘ったるい蜜の香りのする魔性の身体へと冷たい焼きごてをぶつける。熱せられていたらどんなによかったかなんて、恐ろしい事を想いながら。

 食虫花は蔓でそれを受け止めんと構えた。ただの魔女にしては大き過ぎる力。それでも……それでも、今だけは恐怖を捨てて身を捨てる覚悟でぶつからなくては。

 奇声にも似た怒声。自分の声だと気付くのには時間がかかった。

 怒りと猛りとそしてほんの少しの恐怖も交えて、私は蔓に掴まる事を恐れずに、食虫花の胸元を貫く勢いで飛び込んでいった。

 花の少女の泣き叫ぶような声が響いている。王子様、と呼んでいるのかどうかすら分からない。分かったのはただ、私を呼んで叫んでいるということだけ。

 だが、彼女の姿を振り向く事は出来なかった。私が見ているのは、感じているのは、食虫花の身体。焼きごてを力いっぱい突き出して、植物なのか人間なのかも分からないその身体から血を飛び散らせるという感触を確認しただけ。

 貫いた。

 食虫花が呻くと同時に、傍で少女の身体が床へと落ちる音が聞こえた。拘束が解けた。維持する力が食虫花から失われたのだろう。

 ――やった。

 食虫花の身体が震え、口から呻き声が漏れる。後は少女と共に此処から逃げ出すだけだ。

 しかし、ただ勝ったわけではなかった。蔓は既に私の手足を縛り、身体に巻きついている。拘束されると同時に、私はぐいぐいと焼きごてを身体に押し付けた。痛いだろう。苦しいだろう。しかし、私は焦っていた。蔓から力は抜けず、食虫花もいつまで立っても意識を保ち続けている。

 まさか、これで死なないと言うのだろうか。

 怯えを見せる私の表情を、食虫花は見逃さなかった。

 両肩を掴み、荒い息をどうにか整えながら真正面から私を睨みつけている。こんなに血を流しているのに。こんなに痛めつけているのに。どうしてこの魔女は死なない。

「魔女でも……隷属でもない……ただの蝙蝠女にしては……上出来ね」

 その時、私は気付いた。

 焼きごてを突き刺している周り。どんなに傷を広げても、どんなに押しても、貫通するまでは通らない。気をつけないと食虫花の肉体に力が籠り、焼きごてを押し返されそうになる。必死に押してはいるが、今度はそのせいで蔓の拘束を避けられない。

 傷が治っているのだ。やっとその事実に気付いた。

 ――そんな。

 慌てて力いっぱい焼きごてを押しこむも、絶望的な状況は覆りそうになかった。

「残念……だったわね……ただの武器じゃ、私は殺せないのよ」

 痛みに慣れたか、食虫花の声に力が戻る。

 どんなに焼きごてを押しこんでも、もう苦しそうな表情一つ見せなかった。

 この女は、何者なんだ。この森の命でもある月の女神を狙っている異常者。ただ頭が狂っているだけではなかったというのか。だったら、ごく平凡な蝙蝠に過ぎない私に敵う訳が無い。

 心が折れたらそれまでだという事は分かっていたけれど、それでもやっぱり、異様な平然さを見せつけてくる食虫花の姿は怖くて、焼きごてを押す力も段々と弱まっていった。

 私は、負けてしまうのか。

 絶望に身を打ちひしがれた丁度、その時だった。

 食虫花の全身に衝撃が走り、その瑞々しい口から掠れた悲鳴が上がった。直後、その身体からは力が抜け、一瞬だけだが私を縛っていた蔓からも力が抜けた。

 はっとして、すぐさまその場を逃げ出すと、弱々しくも蔓が追ってきた……が、再び私を捕まえるほどの力は出ないようだった。

 何が起こったのか、私の目はすぐに答えを見つけた。

 前のめりに倒れかけて手をつく食虫花。その背には三日月形の刃が突き刺さっている。そして背後に立つのは少女。青ざめた顔と動揺を隠せない目で食虫花を見下ろしていたのだ。

 助けてくれた。勇気を出して、とっさの思いで、刃を手に立ち向かったのだ。

 状況を把握してすぐに、私はその少女の元へと走った。

「行こう」

 食虫花の流す血に怯えている少女の腕を掴んで、この部屋を閉ざす扉へと走った。

 少女は所詮花である。食虫花とは作りそのものが違って、暴力的な考えに至ることは殆どないだろう。それでも、私だけのお姫様であった彼女は、私を助けるために私の真似をした。食虫花も油断していたのだろうか。少女にそんな力が無いと踏んでいたのだろうか。

 だが、どちらにせよ、私たちは怒らせてしまった。

「お前たち……」

 背後で蔓がわさわさと揺れている音がする。

 急いで扉を開けて外に出てみればすぐに同族の男が待ちかまえていた。戦うなんて選択肢はない。そんな余裕はない。脚を奪おうとする彼の攻撃を避けて、私はとにかく少女を引っ張りながら前へと進んだ。

「逃がさないで」

 囁くようなのに、よく響く、異様な食虫花の声。それに従って、蝙蝠の男と蔓は追ってきた。それだけじゃないだろう。この屋敷には無数の隷属が隠れているのだ。主人の命令とあれば、動ける限り一斉に襲いかかってきてもおかしくない。

 けれど、めげるものか。

 少女が勇気を出して生み出してくれた機会なのだから。

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