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17.お伽話

 階段へさっさと降りてしまえばいいものを。

 わたしは蝙蝠の男に睨みつけられたまま、動きを止めてしまっていた。彼の怪しげな笑み。目から伝わってくる見えない力。その全体的な雰囲気が醸し出す心情。全てが恐ろしくて、じわじわとだけれど身体が支配され始めていたのだ。

 階段へと寄ろうものなら、蝙蝠の男も寄って来る。

 走り出した時が、追いかけっこの始まりだろう。

 捕まれば殺されてしまうかもしれない。この男だけは注意しろと食虫花でさえ言ったのだから。

「こんな時間にこんな場所で何をされているのですか?」

 わざとらしい口調で蝙蝠の男は言った。

「お姫様ともあろう方が嘆かわしい。鳳はどうしているのだろうか。まさか、貴女を甘く見過ぎて力負けしてしまったとでもいうのでしょうかね?」

「鳳なんて相手にもならなかった」

 わたしはすぐさま言った。

「いつでも花の方が胡蝶より弱いなんて思ったら大間違いよ!」

 意気込んではみたものの、蝙蝠の男はうっすらと笑みを浮かべたまま静止している。しかし、その目に次第に暴力的なものが浮き出てきたことに気付いて、ひやりとした。

 背中を見せるのが恐ろしい。目をそらすのが恐ろしい。階段を降りて、どうするのか。わたしの王子様は、何処に隠されてしまっているのか。

 必死に考えを巡らせて、わたしはたった一つの希望にかけることにした。

「乱暴な態度はよろしくないね」

 ふと、蝙蝠の男が口を開いた。

「鳳は……あれはあれで、繊細な娘だからね。食虫花様もたいして期待はしていなかっただろうし、そもそもそういう役目の者ではない。君が逃げ出せたと聞いても、主様にとってみれば意外でも何でもないだろうよ」

 予想通り? ちがう、こんなの気を滅入らせるための言葉だ。わたしが彼女たちのもとにいけないように、言葉で操ろうとしているだけ。

 それでも、彼の目を見ていると、心がどんどんかき乱される。

「さあ、こんな無駄なことは止めよう。君は幸運にも選ばれたお姫様なんだ。食虫花様が新しく創る世界のお姫様になるんだ。だから、その時を鳳と一緒に待つんだ。――おいで」

 手を伸ばす彼の表情から笑みが消える。

「私に乱暴な真似をさせない方がいい」

 全身の肌がぴりぴりとしている。その感触に危険と恐怖を呼び起こされ、命さえ脅かされているような気持ちになる。これまでずっと王子様が遠ざけてくれていた感覚。わたしに出来る抵抗は、ただ逃げ出すことだけ。

 逃げなくては。

 その想いが電撃のように全身を駆け廻った時、一瞬だけ抵抗する力が強められた。倒れこむように蝙蝠男から目をそらして階段をかけ降り、わたしは必死に視線をあちこちに向けて食虫花たちの気配を探った。

 此処は何なのだろう。どうしてあちこちから蠢く音と声がするのか。

 深くは考えないでおくことにして、わたしはとにかく視線を動かし続け、そして幾つかの扉を発見した。

 そのひとつを拳で叩きつけ、わたしは叫んだ。

「食虫花様、お助けください!」

 賭けでもあった。騒ぎを起こし、どうにか食虫花を誘き出せないか。とにかく、何処にいるかが分かればいい。

「大変です、大変なんです! すぐに力を貸してください!」

 わたしの声だと分からないわけがない。それでも、わたしは演じた。食虫花が思わず気をとられそうな切羽詰まった声で。後ろからは蝙蝠の男が来ている。彼に捕まれば最期だ。

「食虫花様! 食虫花様!」

 悲鳴じみた声で叫ぶと、ようやく扉のうちの一つに異変があった。気付くなりわたしはその一つへと駆け寄った。開けられるなり、そこへと飛び込んでいく。

 一瞬だけ、輝かしい金髪が見えた気がしたけれど、すぐにわたしの視線はその先で蔓に縛られる黒髪を映し出していた。彼女もまた、わたしを驚いたような、恐れているような目で見つめる。

 言葉は出なかった。

 無事でいる。それだけが嬉しくて、わたしはそのまま縛られている彼女に抱きつき、蔓を引っ張った。血がべっとりとついている。わたしの身体にも染み付いた。でも、どういうわけか、傷がある様子はない。

 そんな事実を頭にいれながら、蔓を引きちぎってしまおうとしていると、蔓の拘束が弛み、王子様の身体が解放された。

「……どうやって、ここに」

 驚きを隠せない様子で彼女はわたしを見つめていた。けれどその時、わたしの背後でぱたりと扉が閉められる音がして、やっと状況を思い出した。

「いらっしゃい、偽りのお姫様」

 淡々とした食虫花の声。わたしが来ることなんて、やっぱり予想通りだったのだろうか。しかし振り返りそうになるわたしを、王子様は抱き締めて阻止した。その温もりが愛しくて、涙が出そうになる。

「さて、どう遊びましょうか」

 食虫花の声が部屋の空気を凍らせていく。部屋の中を蔓が這い回り、わたし達の周りを取り囲む。巨大な檻でも作られていくようだ。

「せっかく来てくれたのだものね。これは何かしら。悪い魔女にさらわれた王子様を助けに来たお姫様という物語? いいえ、私はね――」

 蔓が動く。怖がるわたしを王子様は守ろうと抱き締める。しかし、食虫花に操られる蔓は、容赦なくわたし達を引き裂いた。弾みで床に転げるわたしと王子様にさらに別の蔓が迫ってきた。

 囚われるのは、わたしの方。

「やめて……」

 力ない王子様の嘆きが聞こえる。

 そこへ食虫花がくすりと笑う。

「私は、もっと定番な話が好きなの」

 蔓に締め上げられ、息が止まりそうになる。両手、両足が蔓で引っ張られ、もがくと更に強く縛られ、痛みと苦しみに泣き叫んでしまった。

「王子様、お姫様を助けたいでしょう? せっかくですもの。私と戦ってはっきりさせましょうか。貴女の立場、貴女たちの立場をすべて、はっきりさせてしまいましょう」

 負けたら、私たちどうなってしまうの?

 蔓の締め上げでぐらりと視界が揺れ、暗闇に包まれながらも睨み合う魔女と王子様の姿は見えた。

 負けるなんて一切思っていない食虫花と、そんな彼女に同じくはっきりとした敵意を剥き出しにする蝙蝠の女の姿。

「……いいだろう」

 今まで聞いたこともないほど荒々しく、彼女は食虫花に噛みつく。

「花弁も残らないくらい八つ裂きにしてやるよ。私の大切な花を苦しめたことを、あの世で悔やむがいい」

 猛獣のように咆哮しながら立ち上がると飛びかかっていった。

 食虫花も応戦する。蔓を伸ばし、挑戦者を捕らえるべく残酷にも攻撃してくる。突き刺さんばかりの勢い。彼女がまた深い傷を負ったらと思うと、その流血を思い出すと、気が遠くなってしまう。しかし、王子様もまた、何処までも王子様を演じ続けた。

 怒声を上げ、床を蹴ると同時に黒い獣へと姿を変え、そのまま食虫花の顔面をめがける。牙。それだけが彼女の唯一のつるぎだった。

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