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11.お人形

 雨の音を聞きながら優しく起こされてみれば、そこには鳳がいた。

 朝食と着替えを持ってきたらしい。

 ぼんやりとしたまま起きあがってみれば、何故だか身体が異様に重たく感じた。

 具合が悪い。あまりないことだけれど、王子様と出会ってから一度だけあった。起きあがるのが億劫で、眠っていると、王子様が御薬を持って来てくれたのだ。草花の誰かから分けてもらってきたという御薬。それを飲んで、王子様に甘えながら眠っていると、次の日にはすっかりよくなった。

 懐かしいなあ。

 彼女のことがそろそろ恋しい。食虫花にもそれとなく伝えてみたけれど、「分かった」とだけ言ってそれから何の答えもくれない。王子様はどうしているのだろう。

「どうしました、お姫様」

 ふと鳳に訊ねられ、はっとした。

 落ち着いているけれど愛らしい服のよく似合う顔がじっとわたしを見つめている。その不可思議な目に見つめられていると、何故だか身体の芯がぞくりと疼いた。今此処で、鳳に抱きしめられたい。そんな奇妙な感覚が生まれ、私は戸惑った。何故だろう。抱きしめられて、何をしたいのだろう。

「お姫様……?」

 そっと近づいて来る鳳を見て、わたしは慌てて後退りした。

 近づかれるのが急に怖くなったのだ。疼きのせいだろうか。全身が火照り、ろくに動けない。それでも、恐怖がわたしに警鐘を鳴らし、鳳を怖がるように仕向けてくる。

 ――どうしてだろう。

 疑問に思っている間に、わたしは逃げ場を失った。

 真正面に鳳は座り込み、そっとわたしの頬に触れる。

「熱があるみたい……」

 そう呟くと、柔らかでいて何処か寂しげな表情でわたしに言った。

「怖がらずとも何もしませんよ、お姫様。無理に起こして申し訳ありませんでした。もう少し、ベッドで横になっていてくださいませ」

 優しく起こされ、そのまま寝台に促された。

 素直に従うと、鳳はほっとした様子でそのまま立ち去ろうと背を向けた。

 その途端、あんなに恐ろしかった鳳のことが急に恋しくなった。一人にされるのが怖かったためだろうか、それとも、鳳と離れたくなかったのだろうか。

 ともかくわたしは鳳を呼びとめた。

「待って」

 振り返る鳳の目。ああ、あの目だ。何と表現すればいいのだろう。わたしの心身のすべてを見透かしているかのような眼差し。王子様が時折見せていたものにも何処か似ている。怖いけれど、離れたくない、その理由はあの目にあった。

 重たい身体で手を伸ばし、わたしは鳳に願った。

「もうちょっと傍に居て――」

 鳳に世話をしてもらってしばらく経つような気がするけれど、こんな甘え方をしたのは初めてだったかもしれない。甘えたくなっても、鳳という人のことを分かって来ると、どうせ断られると思ってしまって断念してしまっていたからだ。

 でも、今だけは駄目だった。何故だろう。どうしてだろう。自分でも訳が分からないくらい、彼女に触れて欲しかった。

 鳳は、わたしを見つめ、一瞬だけ動揺を見せた。どうするか迷い、断りかけ、しかし、結局は願う通りに来てくれた。

 その手に触れられた瞬間の安心感は何だろう。火照っている身体をじわりと冷やす何物か。鳳の感触はとても心地よかった。思わずその手を両手で抱き締めると、鳳はやはり怯えを見せた。

「お姫様……」

 言いかけ、しかし、続かない。

 根負けしたように溜め息を吐くと、そのまま寝台の横で座りこみ、わたしに視線を合わせてくれた。

「行かないで」

 その顔を見つめて呼びかけると、鳳はそっと視線を逸らした。

「分かりました。何処にも行きません」

 目を逸らしつつそう答えてくれたのが嬉しくて、わたしはそのまま鳳の手を抱きしめて感触を楽しんだ。鳳は目を逸らしたまま、しばらく待っていた。けれど、やがてもう一度わたしを見つめると、もう片方の手でわたしの額をそっと撫でていった。

「お姫様、貴女は何も知らないまま育ってしまったのね」

 鳳は小さな声でそう言った。

「貴女の見ている夢は、食虫花様の作り出した魔法のようなもの。いつかは解けてしまうかもしれないわ。そうなった時、きっと貴女はわたくしの事を嫌うでしょうね」

「――鳳を? どうして?」

「わたくしは胡蝶ですもの。貴女のような花にとって、胡蝶は危険なのよ」

「胡蝶が、危険……?」

 訊ね返すと、鳳はそっと唇を近づけてきた。避ける気にもなれなかった。王子様以外に許したことはないのに、無性にその唇が欲しくなったのだ。何故か。ああ、きっとあの目の所為だ。吸いこまれそうな鳳の目に、心身が囚われてしまっている。

 けれど、鳳は直前で止めた。唇を奪わないまま、離れてしまったのだ。

 わたしの身体は熱くなったまま。冷ましてくれるものを急に失って、泣き出しそうな気分になった。そんなわたしを見つめ、鳳はそっと笑みを浮かべる。

「貴女に手を出せば、その分だけ食虫花様に返さなくてはならなくなるわ」

「返すって……なにを?」

 その切なげな眼差しに訊ねてみれば、鳳はその場に再び座り込んでから答えた。

「恩といえばいいのかしら。日頃、囲われているだけ、あの御方には身体を差し出さなくてはならないの。それが羽化した時からのわたくしの役目。蛹から出てきて真っ先に見たのはあの方。優しい手つきでわたくしに蜜吸いを教えてくれたのよ」

「蜜吸い? 蜜吸いってなんなの?」

 この疼きと関係のあるものだろうか。

 蜜。その言葉が頭をかすめていく。鳳や食虫花だけではない。もっと昔、王子様がいつか言っていたような気がするのだ。

「蜜吸いは胡蝶にとっての食事。それと同時に、わたくしにとっては食虫花様への忠誠の証。あの方はわたくしに生きる道を与えてくれた。だから此処で働いているの」

「外に出たりはしないの? 食虫花様以外の御方の所では働いたりしないの?」

 素朴な疑問を向けてみれば、鳳は小さく息を吐いた。

「食虫花様以外の所では働けません。外出を許されたとしても、夜には食虫花様の元に帰らなくてはならないから」

「嫌にならないの? 自由になってみたいって思わない?」

 訊ねてみれば、何故だか鳳は笑った。

「貴女はどうですか、お姫様?」

 今の状況の事だろうか、それとも、王子様を草花のお城で待っていた三ヶ月間のことだろうか。どちらにせよ、わたしはすぐには答えられなかった。

 すると、鳳は続けて言った。

「痛いことも、苦しいことも、あの方の為なら我慢出来ます。どんなに自由が恋しくなっても、あの方がほんの少しの愛を囁いてくれたらそれで満足出来てしまうもの」

 鳳。その表情の切なさは此処からきているのだろうか。

 この人は、わたしの知らないところで泣いているのかもしれない。きっと、わたしが王子様を恋しがるのとは似ていて、全く違う。

 切なげな鳳の身体に手を伸ばすと、今度は避けられてしまった。

「少し、退室します。お姫様はもう少しお休みください」

 そう言って、彼女は今度こそ去っていってしまった。

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