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10.籠の鳥

 愛しい少女は偽りの世界に抱かれたままお姫様を演じ続けている。

 豪勢な部屋のなかで着飾られているらしいことは、時折、会う事を許可される度に窺えた。

 食虫花は少女を本当にお姫様のように飾り立てていた。私がしてきたあまりにお粗末なお姫様ごっこではなく、私には到底手の届かないような環境を少女に味わわせてやっていたのだ。

 花の魔女。この女がどうやってこの屋敷を手に入れたのか。人間にしか作れなさそうな物品を、一体どのような方法で手に入れているか、その恐ろしい方法なんて幾ら考えても考えつかない。ただ、たったこの数日間で、すでに私は何度か聞いた。胡蝶でもなければ、他のいかなる虫でもない、食虫花に囚われてこの世の地獄を味わいながら死んでいく、旅の人間の断末魔を。

 ――ああ、こんな所出ていきたい。

 少女のお陰で私は牢獄を出ることが出来た。代わりに与えられたのは改造された客間。待遇も最初に来た時よりもは幾らかましになった。しかし、幽閉されている事には変わりないし、何よりも少女の身柄を押さえられているのは痛かった。

 彼女が外に遊びに行く所を、決して開けられない窓より見つめたことが数回ある。食虫花の忠実な奴隷である胡蝶の女や同族の男等に見守られながら、一応自由だが非常に不自由そうな遊びで時間を潰す。その様子は私から見て不安でしかないものだった。

 胡蝶の女? 同族の男?

 幾ら隷属だからといって、ああいう輩に少女を任せたくなかった。もちろん、手遅れだっていうことは知っているし、そんな事を口に出せる立場ではないことも十分理解している。しかし、胡蝶の女――あげはは、少女の身の回りの世話をしているらしいと聞いて落ちつけるはずもない。そんな危険な話があるだろうか。胡蝶は所詮、胡蝶。美味しそうな蜜を持つ花相手にいつでも冷静でいられるわけではない。しかも、あの少女はまだ蜜というものを十分に理解できていないというのに。

 この状況は当然、食虫花の嫌がらせだ。彼女からすれば、心配ならばさっさと隷属になればいいじゃないということだ。それでも、まだ待ってくれているのだから良心的……なのだろうか。最近、何が優しいということなのか分からなくなってきた。あまりにも不自由なことが多過ぎる為だろうか。少女に会わせてあげると告げに来る食虫花がまるで本物の女神のように見える瞬間があった。

 違う。この大地における女神とは、月の城に隠れ住む美しき女神だけ。この屋敷の魔女がつけ狙う哀れで尊い生き神様だけだ。あの魔女はとんでもない悪魔だ。生き神が死ねば月と名の付く大地の全ては枯れてしまうというのに、自らその死を生みだそうとしている。それに加担する事は大罪。

 でも、それならどうしたらいい。

 少女を守りながらこの状況を打破するにはどうしたらいいんだ。

 私は少女にお姫様役を演じさせ続けてしまった。食虫花によれば、彼女はとても「いい子」なのだそう。私……この偽物の王子に会いたいがために、食虫花の認めるお姫様で居続けているのだという。

 少女にしてみれば、草花の城に居た時と変わらないかもしれない。鳥かごがやや頑丈なものになっただけ。しかし、現状はもっと酷い。卵から孵っていたはずの雛が、再び硬い卵の殻に閉じ込められてしまったかのよう。割れることもなく夢を見続けるのなら、いつか彼女の心は闇の中で死んでしまうことだろう。

 じゃあ、私はどうするべきだったのか。

「どうもこうもないわ」

 ふと、私の思考を読みとったかのような声が響き、息が詰まりそうになった。振り返れば、閉ざされたこの部屋の中にいつの間にか食虫花がいた。この森のどの花よりも毒々しい赤い目に見つめられ、無意識に壁へと寄ってしまった。

「さっさと隷属に下ればいいじゃない。そして、貴女の口でお姫様に真実を教えればいい。隷属に下るのなら、自由に会えるのよ? あの子に寂しい思いをさせずに済む。どう? 素晴らしいでしょう?」

 思わず激しい言葉で否定しそうになって、ぐっと堪えた。

 駄目だ。此処で反抗的な事を言えば彼女の思うつぼだろう。わざと感情を高ぶらせて、相手を言葉巧みに操るのも花の魔女の恐ろしさだ。

「――どうしてもまだ決心がつきません」

 心を落ち着かせて、私は彼女に言った。

「貴女の目的はもう知っています。森で噂になっていますから。でも、それは大罪。この森に住まう生き物を捕まえるのとは訳が違う。そんな貴女に従うと決心するにはとても時間がかかりそうです」

「ええ、そうだろうと分かっているわ。どうせ貴女も月の女神への盲信を刷り込まされて生きてきたのでしょうから」

 くすりと笑い、食虫花は言う。

「でも、同じように育ってきた他の者たちの多くは痛みで私に従うと決めた。どんなに月を崇拝していた人でも、捕まえたうちの半数くらいは寝返ってしまうの。残りの半数は私の糧になるだけ。ねえ、王子様、貴女はどうかしら? いつまでもあの子を夢に閉じ込めて、お姫様ごっこをさせてあげられるとでも思っているの?」

「――分かっています。私が貴女には敵わない事も、あの子を守るには貴女に従うしかない事も、分かっています……」

 私は偽りの王子様。お姫様を守る剣すら持っていない。

「でも、お願いです、もう少し……もう少しだけ時間を――」

 考える時間が欲しい。

 勿論、覚悟を決める時間ではない。私はまだ諦めきれなかった。どうにかして逃げ出せる機会はないのか。少女を連れて恐ろしいこの屋敷から逃げ出す方法はないのか、考える時間が欲しかった。

 もしかしたら、そんな私の内心もまた食虫花には分かりきっているのかもしれない。

 赤くて冷たい目に見つめられる度に、その笑みに含まれる残忍さに気付かされる度に、私はそんな不安を抱いた。

「仕方ないわね。もうちょっとだけ待ってあげる」

 そう言って彼女はそっと腕を伸ばし、何処からともなく蔓を伸ばしてきた。それを避けることも許されず、私は静かに蔓の接触を受け入れた。肌に触れた瞬間、焼けつくように甘い毒の蜜が沁み込んでくる。その感覚にじっと耐えている間に、食虫花はゆっくりと歩み寄ってきた。

 震えたところで些細な抵抗にすらならない。所詮、力のないものは、強者に従わざるをえない。私の宝物でもある少女を捕らえ、勝ち誇っているこの魔女に、情けなくも頭を垂れなければ生きる道は閉ざされる。

 ああ、何が王子様なのだろう。強きものに支配され、抗うことも忘れて蜜をもらう私のどこが、王子様なのだろう。

 そんな罪悪感に近い嘆きも、すぐに薄れていってしまう。食虫花の蜜によって思考をかき乱され、何もかもどうでもよくなってしまうほどの幸福感が生まれていくからだ。

 ろくな抵抗も出来ないまま、食虫花は私の唇を奪っていく。肌に沁み込むよりもずっと強い刺激が口の中へと流れ込んでくる。

 これに似た事を、私はいつもしてきた。これによく似ているけれど、厳密に言えば全く違う。私は奪ってきたのだ。たくさんの花を喘がせて、時にはそれを悲鳴へと転じさせた。すべては私自身の悦楽のため。腹を満たす事が最大の目的ではあっても、心の何処かで私は花を弄ることを楽しんでいた。

 そこは、この魔女と変わらない。

 まだ、蝙蝠でよかった。私も、そして、あの少女も胡蝶に生まれてこなかったことを天に感謝する。胡蝶の魅惑は残酷な者の心に火をつける。たびたび、言いつけを受けて様々な理由で私に姿を見せるあの鳳という胡蝶を見れば分かる。

 隷属であるはずなのに、いや、隷属であるが為だろうか。

 どんなに温暖であっても彼女が薄着にならない理由は分かっている。あの服の下はきっと傷だらけなのだ。時に、見える範囲に酷い生傷を見え隠れさせているのでよく分かる。食虫花に獲物が見つからなかった時、代わりに身体を差し出してその心を落ち着かせているのは鳳なのだろう。さすがに隷属殺しは魔女の禁忌であるとも聞くから、殺される事はないだろう。それでも、主人を持ち、他者に害される心配もない――いつも姿を現すわけではないあの胡蝶から、常に新しい血の臭いがするということは、そういうことなのだろう。

 胡蝶よりはましであったとしても、隷属となった私がどんな暮らしを強いられるのかは想像がつく。

 この女――食虫花は、残酷な魔女。

 口に沁み込む蜜がどんなに美味しくても、狂いそうなくらい興奮するものであっても、決して呑まれてはいけない。身体だけではなく心すらも支配されれば、そこにはもう破滅しかないのだから。

 負けてはならない。

 あの子と外に出るまでは。

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