誘い
「旅行?」
オウム返しをする千咲。
「はい といってもうちの親父が経営する民宿で一泊するだけですが…」
「なぜ、急に?」
「千咲さん、最近ずっと辛そうだったので… 気分転換になれば、と」
嫌ならいいんですよ、と慌てふためく義院をみて、思わず千咲はふふっと笑ってしまう。しかし、旅行につきものなひとつの懸念が頭をよぎる。
「あの、私今お金なくて…」
優子が亡くなってから、ずっと貯金を切り崩して生活している。保険などもあるにはあるが、先行きは真っ暗な状態だ。父が助けてくれるのでは、と千咲は淡い期待を持ったこともあったが、連絡すらもなかった。詰まる所、無駄金は使えないのだ。
「それなら安心を、親父が全部負担してくれるそうですから」
義院は胸を張ってそう答えた。
「でも、悪いですね…」
千咲が決めかねていると、義院が千咲の左肩に手を置いてきた。そして、優しい声でこういった。
「遠慮しないでください 千咲さんは僕にとって…」
「え…?」
「いえ、なんでもないです とにかく、行きましょう! 今日の夕方五時になったら迎えに来ますね 善は急げといいますし!」
義院はぱっと手を離して、ごまかすように自分の部屋に逃げていった。
結局何を言いたかったのかわからないまま、なぜか千咲は旅行にいくことになった。
(いい人だけど…やっぱりよくわからない人だなぁ)
そんなことを思いつつ、千咲は旅行の支度を始めた。思えば、葬式が終わってから、買い出しとゴミ捨て以外で一歩も家から出ていなかった。
(気分転換ね… お母さんがどうして亡くなったのか そればっかり考えて、 結局そうやって自分を苦しめてたな…)
母を失った精神的ショックから立ち直れたわけではない。でも、前に進まなければならない。
(せっかく義院さんが誘ってくれたんだから、楽しもう)
そう思ったとき、ふとチャーハンをご馳走になったときに言われた言葉が浮かんだ。
『志磨でいいですよ』
正直、それまではそこまで仲良くしてきたわけでもなかったので、呼ぶのをためらっていたのだが。
(旅行にいったら…頑張って、志磨さん って呼んでみようかな)
千咲はひとつ 小さな、でも大切な目標を立ててみた。