アパートで
母を見つけてからのことは、千咲はぼんやりとしか覚えていない。確か、千咲の叫び声を聞いて、隣の部屋に住んでいる大学生の 義院 志磨 さんが駆けつけてくれた、と思う。義院さんが母に気づいて、救急車と警察を呼んでくれた、はずだ。警察は調査をしたあと、今日は遅いのでまた来ますといって帰っていった。千咲は布団に潜ったが、一睡もできなかった。朝になると義院さんがやってきて、お通夜の準備などを進めてくれた。お昼に警察が到着し、事情聴取などが始まった。そしてそれは、夜になった今も続いている。
「…三上さん?どうされましたか?」
「あ、いや、なんでもないです」
警察官の声で、現実に引き戻される。しかし、思考は再び逆流を始め、千咲は感情の渦に飲み込まれた。優子がいつごろ亡くなったのかは正確には分かっていないが、少なくとも夜9時以降である、と誰かが先程教えてくれた。
(そんな情報、知りたくなかった)
繰り出される質問に曖昧に答えながら、千咲は自分のほわほわの髪をいじる。この髪質も、髪色も、母とは違う。母は美しい黒髪ストレートだ。いつか写真でみたことのある父がこんな髪をしていた。千咲はそれが嫌だった。母に似ていない自分が。そして、父にそっくりな髪をもつ自分が。千咲の存在が母を不快にさせてしまわないかと、いつも気にしていた。でも、そうやって気遣う相手はもう、いない。
(私がもう少し早く帰っていれば、バイトが長びかなかったら、もしかしたらお母さんは…)
優子の死因は首を締められたことによる窒息死だと聞かされた。警察は他殺として捜査を進めているらしい。しかし、優子が何かトラブルを抱えていたという訳ではなく、事件当日にも変わった行動はなかったとの聞き込み結果しか得られなかったらしく、捜査は難航しているという。
「では、今日はこれで。また後日お訪ねさせて頂きます。」
警察官は淡々と、事務的にそう告げる。
「あ、はい。ありがとうございます」
「それから…」
彼は少し肩の力を抜き、どこかぎこちない笑顔を千咲に向ける。
「その… しっかり寝てくださいね」
「…はい」
千咲がぎくりとしている間に、では、といって彼は帰っていった。
「じゃ、三上さん 僕も帰りますね」
千咲の背後から義院が声をかける。
「わかりました あの、昨日はすみませんでした… 今日も、たくさん手伝っていただいて…ありがとうございました」
しどろもどろになりながらも、感謝とお詫びの言葉を紡ぐ。
「あの、三上さん。…よかったら、うちで夕飯食べていきませんか?夜遅いですけど、その…元気がないようなので」
照れくさそうにそういう彼の提案を、千咲に断れるわけがなかった。
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「ここが、義院さんのお部屋なんですね」
お隣さんでも全然間取りが違うんだな、なんて感心していると、義院さんのお母さんがやってきた。
「こんばんは、お腹空いてるでしょう?志磨から連絡を受けて、慌てて泊まりに来たの。チャーハン作っといたから、食べなさい」
「あ、ありがとうございます!」
ほかほかのチャーハンを、義院さんと二人で食べる。美味しい。心のこもった食事は、こんなにも美味しいものだっただろうか。
(お隣がいい人で、本当によかった)
千咲は心の底からそう思った。
「じゃ、気をつけてくださいね」
「チャーハンご馳走様でした、ありがとうございます、義院さん」
千咲がそういうと、義院はいたずらな笑みを千咲に向け
「志磨でいいですよ それでは」
そう言い残して自室に戻っていった。
(いい人だけど、何考えてるかわからない人かも)
先程の評価にこっそり修正を加えた千咲だった。