くらくらcry
限りなくリアルななにか。
だけに、やまなし・おちなし・いみなし。
反社会的な性質も持ちますのでご注意を。
立花美也子は心がぽっきり折れた。
負け犬と言う言葉が流行ったのは、もう十年以上前だろうか?
美也子さんは現在37歳。立派なおばさんで、独身の失業中だ。ワーキングプアですらない状態だ。
ある人から見ると負け犬だし、詰んでいるし、後も無い。別の人から見ると、甘えているだけ。
ああ、間違えた。おばさんの称号ですら中途半端で正しくない。
家庭を持ったり会社で責任を持つほど出世した同世代の女性に比べると、経済力も魅力もまるで適わない。若さの無い小娘の出来損ないのような、まるで救いようの無い存在だ。
就職氷河期だのロストジェネレーションだの、妙なレッテルを貼られるのはもう慣れっこだが、次はどう呼ばれて、どんな風に蔑まれるのだろう?自慢じゃないが、尊敬されたことなど無い。
無い無いづくしの人生だ。
それでも立派に死への恐怖だとか、他人への見栄だとか、くだらないプライドだけは山盛りにあるのだ。どうせ持つならもっとマシなものを掴んで生まれてきたかった。
美也子さんが高校生の頃、バブルが弾けた。
それまで将来について、非常に楽観的で真綿に包まれたように育った美也子さんには、危機感も何も無かったとは思う。大学に行く間に景気は回復するから、大学に行きなさいと言われ、適当な大学に入った。
しかし、世の中の景気は回復せずに就職氷河期に入り、美也子さんの就職活動の時期は過去最低の就職率の年となった。面接はひたすら恐ろしく感じた。
圧迫面接やお祈り乱舞など今の時代には珍しくないかも分からないが、当時は皆、氷河期にも慣れていない。私達の世代はそれまでぬるま湯に浸かっていたのに。美也子さんは、いきなり氷水に入れられた様な理不尽さを感じた。
思えば、当時の雇用者側も試行錯誤の時期だったのだ。経験をつんでいれば見抜けたかもしれないが、当時はひよっこ。よちよちである。面接で受けた様々な言葉は深く美也子さんの心に残った。嫌な記憶と一緒に。
結局、就職はできなかった。美也子さんはアルバイトに励みながらお金を貯め、専門学校に行って転機を図った。アルバイトと専門学校に行っている間に若手を切り捨てすぎたとお偉いさんが焦りだし、今度は新卒の売り手市場となる。それを見て希望を持って、一歩を踏み出せば今度はリーマンショック。
美也子さんはリーマンショックの余波を受け、正社員になれずにずるずると派遣を続ける事となった。
誠心誠意、真面目に勤めれば、いつか正社員になれるかもしれない。
そんな気持ちで仕事を続けたが、全て空回りした。巡り会わせが悪かっただけだと知っている。
自分一人が不幸だと悦に入るつもりは無いが、傍らを涼しい顔して通り過ぎていく人とは何が違うのだろう?
子どもの頃より褒められたことの少ない美也子さんはだだ、自信を無くし卑屈になって行った。
モラハラ、パワハラ、セクハラ。派遣先で受ける様々なストレスと差別。一通り経験した。お腹一杯だ。
地味に堪えたのが契約終了による職場の異動だ。
会社が変われば同じ職種でも仕事内容は変わる。何が正解か分からなくなった。
新卒だからと嫌がられ、経験が浅いからと足元を見られ、職場が変わって間違っていると言われる。
思えば褒められた事など、ほとんど無かった。
はたして、なにが正解なのか美也子さんはよく分からない。
その時の上司が黒と言えば黒なのだ。会社に所属せねば経験値などさして意味は無い。様子を見ていれば消極的だと評価された。
都度、懸命にその職場の仕事に慣れ、こなし。振り回されて終わる。その繰り返し。
美也子さんの20代はそうやって無意味に終わった。
そんな美也子さんも恋はした。
わりと奥手な美也子さんは20代後半で職場で出会った5つ年上の男性と恋に落ちた。
契約終了の時に告白され、職場が変わり、やがて男性が転勤しても続けた遠距離恋愛の中、いつしか結婚を意識するようになったが、男は分かりやすく及び腰である。
態度に傷付きながらも言い出せず。そして、やがて来るのは別れ話。5年もの付き合いは電話一本で終わった。
一方的な別れ話に、恐れていたのはこれだと気付いたが。なんとも美也子さん遅すぎる。
どんなに素晴らしい思い出があろうと、最後の記憶は男の着信拒否だ。
美也子さんはたまらず、男の下に向かったが結局会えなかった。
今思うと、よく飛行機に乗って九州まで行ったなぁと思うのだが、それはそれで良かったのだと思う。時が過ぎ、男に愛情など一遍も持っていない。
良い思い出と良い教訓と、頑なな心の檻が更に強固になっただけだ。
不誠実な男だと今なら切り捨てる。
時折、悔やんでいるのは、その男に5年もの月日を捧げてしまった事実。
本当に日常の隙間に、するりとあざ笑うように、5年の月日は適正だっただろうか?などど、考え込んでしまう自分ができたのだ。これが噂のトラウマか?
友人の一人は1年の交際で人妻となった。5年もあれば、その間にいくつもの別の道があったはずだが仕方が無い。男の誠意の無さに別れの気配を感じ執着したのは美也子さんだ。
恋は幻想、一種の勘違いなのである。愛ってなんですか?
自分の年齢やキャリアを考えてもこの先は一人なのだと思っている。不安はあるが、それも良い。第一あれ以来、男と言う生き物が信じられない。他の男性には申し訳ないが、一線を踏み込まれて懐柔され、そして拒絶されるのはきついものなのだ。二度とごめんである。
ちなみに美也子さんは女性にも警戒心を持っている。色々あったと言っておこう。どんだけ性格が悪いのかと自嘲しながら口に運ぶのはシュークリーム。トロリと甘いカスタードは美也子さんの好物だ。
さて、失恋を引きずりながら30代を過ごす美也子さんだが、とうとう身体を壊してしまった。
とある派遣先でのお話だ。その会社はそこそこ規模も大きく、社員の福利厚生や質も悪くない。温和な社員も多く派遣としても良い職場のはずだった。
社員になりたい美也子さんはずっと紹介予定派遣を選んでいる。そこは契約書こそ違ったが、努力次第で雇用契約も変えるよと言う口約束は貰っていた。
だけど世知辛い世の中、他の雇用先で社員になる話は何度も流れ、美也子さんは微かな期待しか持たないように努力はしていた。信用が無いのも辛いが、信用しすぎても辛いのだ。
でも、もしかしたら、ひょっとしたらと思う気持ちはほんの少し高かったかもしれない。それが完全に裏目となった。つくづく上手くいかない。
最初のプロジェクトの契約で美也子さんは高評価を貰い、次のプロジェクトの打診を喜んで更新した。だが、、どうにもその仕事内容が合わなかったらしい。次の人生には予知能力がほしい。切実に。
新しいプロジェクトは予算抑え目の少人数体制。人員は一新され、納品先も別会社だ。プロジェクトで派遣は美也子さんだけ。それはまぁ、これまでもあった事だ。構わない。
しかし、同じチームの社員は美也子さんがするはずの業務についてまるで知識が無かった。
専門分野が違う人の集まりだったのだ。これでは、誰に質問をしたり問題を訴えたら良いのだろう?美也子さんは戸惑った。他の人が問題を感じてないのが不思議で、嫌な予感がした。
今なら言える。そこそこ大きな会社で人がいない訳ではなかった。プロジェクトリーダーが予算をけちるところを間違えただけだ。最初から割の合わない仕事だった。
さて、仕事をしようにもなにをどう進めてよいかルールが分からない。
プロジェクトのフォルダの場所を教えられて整理しろと言われるが。どのような形が整理された状態なのか。どれが使えて、どれが使えないものなのか基準はどれだ?私の仕事はなんなのだ?
上司に聞いてもまともな回答は得られないので、許可を貰い前のプロジェクトの人や、紹介された業務に詳しい知識を持つ人の席に行って質問した。
席に戻って自分で方法と手段を考え、過去のプロジェクトの仕様を元にその会社の仕様に沿ったデータを整理し作っていく。
まず、整理を進めたのはテスト期間中に作成したデータの解析と整理だった。余り手を加えないよう、後々問題が無いように考えながらまとめて行った。一週間かかってようやく仕様の原型ができた。
これは派遣の仕事だろうか?あきらかにチーフクラスの人間がする仕事だ。悩む美和子さんにある日、外注先からデータが届く。美也子さんは驚いた。仕様が無いのにどうしてデータが届くのか?
上司に問えば、過去のプロジェクトの仕様をそのまま外注先に渡し、もう数ヶ月前から先行して作業に入ってもらっていたらしい。
どうして、それを先に私に教えない。美和子さんはにっこり笑いながら上司に見切りをつけた。これは味方ではない。
それから上がってくるデータは、規格も命名規則もデータの内容も作成者についてまちまちの、美也子さんにとっては合格ラインに届かないものばかりだった。発注時の指示があやふやで、仕様も無く、外注先の人も頻繁に入れ替わる為だ。
一週間かかって作った仕様の原型は最初からやり直しとなった。
美也子さんは問題も解決法も分かっていたが、あいにく発言権も実行権も持っていなかった。
同時に派遣の美也子さんは会議に参加できない。一つの業務に専門的についているのは自分しかいないのに、必要な情報が与えられず、先に問題提起や指示をする権限も無い。致命的にやり辛い。
新しいプロジェクトの人達も、人当たりはよく人間的には好感を持てる人達だ。でも、このどこまでも欠陥だらけの構造はなんだろう?
データが増えるにつれて、問題もどんどん増えた。専門外のトラブルが多発し、美也子さんは半泣きで他のプロジェクトへ質問をしに行く。胃がキリキリと毎日痛んだ。
その内に美也子さんが尋ねると露骨に嫌な顔をする社員も出てきた。社員の気持ちも良く分かる。そもそもが他のプロジェクトの仕事なのだから。
美也子さんにとっては八方塞、孤立無援な状況なのだが、同じプロジェクトの他の社員達は歪みに気付かない。美也子さんの胃はシクシク痛み。精神はごりごりと削れて行った。
ちなみにお給料のマージンは25%ボーナス無し。その会社の新卒女子の給料より悪かった。
前の派遣先でのモラハラと理不尽な契約打ち切り、失恋から続く低体重。抱えた仕事以前にもダメージを受けていた胃は限界だったのだろう。胃潰瘍になってしまった。
胃潰瘍になった事で、更に体重が減り。眩暈や貧血、失神などで会社に行けなくなった。
仕事が出来るのは美也子さんしかいないので這うようにして出社したが、職場でも倒れる始末。それでも、引継ぎが出来るよう派遣先や派遣会社と相談し、契約は延びた。ずるりずるりと伸びる契約の間に胃潰瘍は癒えた。
だが、体調不良は治らない。むしろ酷くなっていく。
その内、貧血や失神に加えて発熱もする様になった。ベッドから起きられない日が増えて美也子さんはこれが私の限界だなぁ。とぼんやり認識したのだった。次はここまで我慢しない。
8割、業務が終わった頃だろうか。、ある日、とうとう契約終了となった。
美也子さんだって納得済みだ。だって、まず会社に行けない。働いていない。本来はあと一ヶ月契約が残っていた。だけど、終了と聞いて出てきたのは確かに安堵で。
罪悪感なんてとっくの昔にくらくらに埋もれていた。
その日も体調不良で寝込んでいた美也子さんに派遣担当から電話がかかる。「これから迎えに行くので、そのまま会社に行き退社しましょう」との事だ。
微熱と貧血でくらくらする美也子さんは少し困ったが、引き伸ばしても同じかと思い了承する。明日も朝っても明々後日もベッドから出れる気がしない。
こうして最後は、月末の夕方にフラフラな様子で職場に行き、夜逃げのように撤収する事になった。すっぴんだし、お風呂だって入っていない。食事も取っていなかった。歯磨きをすると吐き気が襲った。
仕事は休んだ瞬間からぶつ切りで終わっている。元々、整理を中心にしていたので引継ぎ自体はできるのだが、それでも数日分のデータはアップしなければいけないし。作業途中のデータは次の作業者に教えなければならない。最低限のデータの整理を交渉し、22時まで残って撤収作業をした。
美也子さんに悪気は無いが、頭はくらくらとしてあんまり記憶がない。帰宅と同時に寝込み、外に出れたのは3日後だった。悔いが無いとは言えない仕事っぷりである。派遣失格だ。
さて、プロジェクトの人は私の退社を知らなかった。夕方のそりと席に着くと遠慮がちに心配された。
派遣が一人、体調を崩して休みがちになり、ある日ふらっと夕方に来て翌週には退職しているのである。月末22時の挨拶メールを見て彼らはなにか思っただろうか?
かつてない無様な働きっぷりだったので是非、忘れて欲しいと思う。姿形も骨と皮の骸骨だったし、羞恥心くらいはまだ持っている。
それから美也子さんは1ヶ月もの間、ベッドとコンビニの往復だけで生活した。拒食症にならなかったのが不思議だ。
2日か3日寝たきりで過ごし、フラフラと徒歩5分のコンビニに行きアイスかジュースを買う。
そのローテーションを繰り返すうちに、やがて、アイスとパンとジュースになり、しばらくしてコンビニ弁当が食べられるようになった。段々と食事の回数と体重も増えた。
一息ついてカレンダーを見ると1ヶ月経っている。……もう少し器用に生きられないものか。
2ヵ月後、ようやく人間に戻り、ハローワークに行って失業手当の申請をする。実家にも帰った。親に怒られた。
体重が増え、骸骨状態を脱するとちゃんと朝、起きられるようになった。眩暈や貧血のだるさ、失神する事ももう無い。もう、働けるはずなのだ。
ただ、心はまだぽっきりと折れていた。
美也子さんはハローワークと歯医者には行くものの就職活動はまだしていない。
平日に近所を歩く居心地の悪さに目を瞑り、ゆるゆると過ごしている。
部屋は軽い汚部屋に近く、食事は惣菜や冷凍食品に甘えている。三食、何かしら食べて朝起きれるようになっただけでも人間に戻れたと思ったが。まだまだ駄目人間だ。
ちなみにコンビニの冷凍食品はなかなかクォリティーが高い。美也子さんが人生で得る物は本当にわずかである。
立花美也子の心はどうすればまた動き出すのだろうか?
内容的に痛すぎるので、検索からは外しております。
衝動的にできた扱いにこまる小説?のようななにか。