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ワンライ自選集

Merry-go-Lucky!!

作者: yokosa

 本作は「作家生活オンライン(http://www.kaitayo.com/)」との重複投稿を行っています。

 心臓が早鐘を打っている。

 規格外のエンジンを搭載したポンプがフル稼働し、鼓動が全身へと過剰な血液を送り出す。血流が広がった血管を勢いよく巡り、全身余すところなく真っ赤に染めて体温を上げる。

 ――ああ、熱い。

 胸元を開けてパタパタと仰いでみるが、目前の姿見に思いがけずくっきりと谷間が映り込んでしまい、ぎょっと身を竦めた。

 ――いやいや、まだ早いでしょー、それわ。

 引き攣った笑顔の自分と目が合う。

 茹でたロブスターのように赤くなった顔は、充分に大人の女と言える。そもそも余裕のある大人であれば、ここまで紅潮することなどなかろうが。

 うっすら浮いた頬のそばかすにあどけなさが残るが、なんとかチャームポイントの範囲内だろう。肩にかかる髪は内側に緩くカーブしていて、日に透かせると金色に輝いた。上等なシルクのようにシャラシャラと音がしそうなその髪は、朝からじっくり梳いた努力の賜物だ。

 着る物は散々迷ったが、ミントグリーンのタイトシャツにオレンジ色のカーディガンを羽織ることにした。ボトムスは膝丈のジーンズ。

 無難の一言。

 初めてのデートなのだから、こんなものだろう。

 ――デート……初デートかぁ……

 心の中でその単語を繰り返す。

 うぷぷ。

 自然と口元が綻んで、弾む心の赴くままについ小躍りなどしてしまう。しかし、ハッと我に返ると、鏡の中の自分に鋭く指を突きつけた。

「しっかりしなさい、メアリー・スー」

 今日が勝負だ。

 色取り取りの服が散らかり、まるで突発性ハリケーンが過ぎ去った跡のような部屋の中で、メアリーは意味もなくふんぞり返った。


 ――まずった……

 あれから化粧鏡の前で百面相を演じ、ふと気付くと壁掛け時計の時刻は出発予定時間をとうに過ぎていた。百面相の演目の締めとばかりに血相を変え、慌ててポーチを引っ掴んで部屋を飛び出したのが約三十分前のこと。

 南部特有の暖かな陽気だが、ジョギングでもしなければまだ汗をかくほどではない。

 デート前の汗は大敵だ。折角苦心したメイクが崩れる上に、パートナーの片方だけがしっとり濡れているのでは格好が付かない。とはいえ、遅刻によってそのデート自体が破談になるようであれば元も子もないわけで、彼女としては汗を気にして駆け足をやめるということは出来ない相談だった。

 ――まずった……

 そしてようやく待ち合わせ場所に着いた時、頭に浮かんだのはその一言だった。繰り返し繰り返し、ハムスターが遊ぶ回し車のようにその言葉だけが脳裏を回る。

 彼女は身体に滲んだ汗が冷や汗に変わっていくことを自覚した。

『夢と冒険の楽園』とかなんとか大書されたカラフルなラッピングバスが目の前を通り過ぎ、直視したくなかった現実がありありと突き付けられる。

 晴天の最中、どんよりと重い空気を背負った彼が、そこにはいた。

 そしてその背後には今日の目的地があった。

 子人や妖精が楽しげに踊り、鳥と蝶が輪になって歌う。誰もがよく知る、カートゥンキャラクターをふんだんに取り入れた子供向けのテーマパークである。出来たてほやほや、ピカピカの看板が、不必要なまでにカラフルな風船で過剰なまでに飾り上げられていた。

 まだ夢見がちな乙女のご多分に漏れず、メアリーもファンタジーは好きな方だった――待ち合わせ相手が眉間にシワを寄せ、きつく目を閉じ、指で苛立たしげにリズムを刻んでさえいなければ。

 雲一つない晴天を仰ぎ、メアリーは心の中で叔母を呪った。

(若い子にぴったりのアミューズメントパークだって言ってたのに!)

 幼児がターゲットでは若い子過ぎる。間違ってもハイティーンのカップルが陽気の日曜にやってくる場所ではない。

 卒業を控えた高校生の一大イベント“プロム”――卒業記念ダンス夜会は、卒業それ自体に勝るとも劣らない、高校生活どころか人生の一ページを飾る大事なイベントだ――その大切な参加権であるパートナー選びに苦心していたメアリーは、まずは意中の彼と懇意にすべし、というアドバイスと共に叔母から渡された新しいパークのチケット二枚に文字通り飛びついた。

 その結果が、この絵本から飛び出てきたようなファミリー向けテーマパークである。いつまで経っても「やんちゃメリー」と呼んで大人扱いしてくれない叔母が、珍しく気を利かせてくれたと思えばこの始末だ。

 彼女としては、もっとアトラクション性の高い、遊べる場所を想像していたのだ。二人でゲームをプレイして、徐々に息が合って来て、親密度が上がって行くような……こんなガキくさいところではなく。

 叔母には帰ってから、恨み言の一つや二つぶつけて、トリプルベリーパイを要求しても罰は当たらないだろう。


 もうすぐ一人前と認められる若者が、子どもの楽園の入り口で案山子よろしく一人立たされた挙げ句、十五分もの遅刻を食らって、それでも尚待ち合わせをすっぽかさずにいてくれたことは、ひとえに彼の驚異的な忍耐力に拠るところが大きいだろう。

 もしかするとその忍耐力の出所は自分への好意からかも知れない。

 そう前向きに自分を鼓舞したメアリーは、開口一番彼に謝罪すると、どうにか宥めすかして子ども王国の正面ゲートをくぐることに成功した。

 出鼻で体勢を崩しはしたが、とにもかくにもスタートは切った。ここから巻き返せば良いのだ。

 ゲートを抜けると、広々としたスペースの真ん中に大輪の花時計があった。花時計の広場はエントランスになっていて、そこからは放射状に道が延びてパーク内の各エリアと接続している。

 花時計の前では子どもの輪が出来ていて、その輪の中心にはパークのマスコットキャラクターが精一杯の愛想を振りまいていた。ケーブルネットで何度も再放送されているカートゥンの主人公、二足歩行する黄色いリスのワイルド・ビリーだ。

 ここで早くもメアリーの目論見は今日二度目――あるいは三度目か――の挫折を迎えた。

 彼女の内なる「やんちゃメリー」が顔を出し、あっという間に全身の支配権を奪い取るや、身体ごとマスコットの着ぐるみに突進していた。

 メアリーはもふもふした毛皮を力一杯抱き締めた。ハイティーンに似つかわしくない甘えた声で「ビリー!」と呼びながら頬ずりしていると、それまで距離を取って輪になっていた子どもたちも釣られて、

「わー、ビリー!」

 雪崩を打って着ぐるみに殺到した。

 どうやら子どもたちは、カートゥンで見知ったビリーと等身大ビリーとのギャップに戸惑って、距離感を計りながら様子を伺っていたらしい。そこへメアリーが先鞭を付けたため、子どもたちは堰を切ったように走り出し、真似をして荒れ狂う小さな嵐と化した。

「ビリー!」

「ビリー、ビリー!」

 彼らは我先にと歓声を上げながら着ぐるみに飛びかかり、涎と鼻水でボア生地の毛並みを滅茶苦茶に毛羽立たせた。

 下半身にしがみつかれ、腕を引っ張られ、首にぶら下がられ、かなり危険な角度で黄色い着ぐるみの背が反れる。

 一抱えほどの頭部が水平に九十度捻れ、中身の白い肌着が見え隠れした。

「いっでででででで!」

 ワイルド・ビリーは悲鳴を上げると、とうとう堪えかねて拘束の手を強引に振りほどいた。

「いってええな、このガキども!」

 怒声一喝。

 子どもたちはビリーに振り払われたことよりも、むしろ怒鳴られたことが信じられないような様子で、皆一様にポカンと口を開けた。

「……あ」

 頭の位置を直したビリーが慌てて取り繕おうとする。だがもう遅い。

 嵐の強風が去った後には、大雨と雷が鳴り響くのだ。

 呆気に取られていた子どもの表情がくしゃりと歪み、異口同音の泣き声が、物理的な波動すら伴いそうな奔流と化して広場をのたうち回った。

 その泣き声に打たれて我に返ったメアリーは、保護者が大挙して来る前に子ども――まるで何かのモダンアートのように三々五々地面を転がっている――を避けつつそそくさと逃げ出した。

 逃げ出したところではたと気付く。

 子どもからも、子どもの親からも、子どもの夢を壊したワイルド・ビリーからも目を背けることは出来る。

 抜き足差し足のまま固まった彼女は、目だけでそれを探した。

 そして探すまでもなく、彼はそこにいた。今日会った時と同じように腕組みをして、指でリズムを取って、顔を引き攣らせて。

 その厳しい現実から目を反らすことは出来なかった。


(失敗した……)

 と思うのは今日で何度目のことだろうか。

 遅刻、高校生にもなってお子様ランド、マスコットへの痴態――そしてジェットコースター。

 実に四回目である。

 渋る彼をなんとか言いくるめて、エントランス広場を脱出したところまでは良かった。

 その後、お手軽に親密感を出すために選択した乗り物がまずかった。彼は絶叫系が駄目だったのである。

 メアリーとしては、

(苦手なら苦手で言えばいいのに)

 そう思わなくもなかったが、そこは強引に並ばせてしまった手前、文句が付けられようはずもなかった。それに男のメンツというものもあるだろう。

 まだだ。まだ挽回のチャンスはある。とにかく二人っきりになって、雰囲気を出さなければならない。

 そこでメアリーは、たまたま目に入ったメリーゴーランドに彼を誘った。これならば大幅にハズレということはないだろう。ややメルヘンチック過ぎたが、彼からも文句は出なかった。単に何かを言う気力がなかっただけかも知れないが。

 彼らの順番になって、首尾良く二人っきりになれるカボチャの荷馬車に乗り込むことが出来た。

 次に必要なのはムードだ。

「…………」

「…………」

 彼女の意に反してぎこちない空気が流れる。

 彼の方はというと、ある種諦めを含んだ表情で、ガラスのはまってない車窓をぼんやりと眺めていた。

 ようやくにして本日最も接近したというのに、埋めがたい距離を感じる。肩と肩が当たり、詰めた吐息が聞こえるくらい近いのに、彼が果てしなく遠い。

(何か、何か言わないと……!)

 メアリーはどうにか会話の糸口を掴もうと試みたが、ちょうどその時無情にも始動ベルが鳴り響いて、時機を逸してしまった。

 目だけがフラフラと泳ぎ、紡ぐべき言葉を失った口が喘ぐようにパクパク開閉する。間の抜けた金魚のようである。

 メリーゴーランドがゆっくりと、メアリーの空転する思考と同調するように回り始める。

やがてのろのろ運転の彼女とは対照的に、軽快に回転数が増していく。

 スピーカーが呆れるほどのろまなメロディ垂れ流し始める。

 周囲の景色が間延びし、境界線を失った色がぼやけて混じる。

 やがてメロディを置き去りにして馬車が――というかメリーゴーランドの台座だが――速度を上げる。

(……え?)

 スピードが上がる。

 世界が回る。

 いつの間にか備え付けのスピーカーが暢気な曲を流すのをやめて、何かをがなり立てているのが聞こえた。計器の故障がどうとか――それが遠くの世界の出来事に思える。

 スカスカのスポンジ状態だったメアリーの脳も、ようやくメリーゴーランドが通常ではあり得ない速度を出していることを理解した。

 しかし、一体何がどうなっているのか。

 止まらないメリーゴーランド。

 ぐるぐるぐるぐる回り続ける。

 彼女の混乱した思考もぐるぐる回る。

 真新しいプラスチック製カボチャの馬車も、躍動感溢れる姿で固まったこちらもやはりプラスチック製白馬も、その向こうに見える悲鳴とも歓声とも付かない声を上げる男の子も、頭をふわふわしたリボンごと抑える女の子も、そして隣で項垂れる彼も。

 何もかも溶けて混ざって一つになって――

(ん? 項垂れる彼?)

 改めて横を見ると、彼がぐったりと身を寄せてきていた。

 しまった。絶叫マシン駄目なんだった。

 メアリーは慌てて声をかけた。

「ちょ、大丈夫?」

 単純に心配りから顔を覗き込んだのだが、青ざめているとは言え、意外なほど彼との距離が近いことに気付いてしまって、メアリーは自身の体温が上がっていくのを自覚した。

 強ばった彼の顔がすぐ間近にある。

 ほんの数センチ前に出るだけで、キスしてしまえる距離。

 ここでこのままやってしまえば既成事実かも――というよこしまな思いが脳裏を過ぎった。

 肩口に手を添えて、そっと頬を近づけていく。視界いっぱいに彼の横顔が広がった。

 今までまともに見ていなかったが、結構睫毛が結構長い。

 目尻にはその睫毛に隠れてしまって目立たないほくろがあるのを見付けた。

 鼻の付け根に虫刺されがある。痒そうだ。今日はそのせいでイライラしていたのかも知れない。

 ブラウンの瞳が虹色の光彩――あるいは油膜のきらめき――を湛えている。

 初めて感じる男性の匂い。汗だろうか。いや、きっとこれがフェロモンだろう。

 全感覚を彼に向ける中、鼻孔にツンとしたものが混じった。

「あ、もう、だめ」

 と呟いたのはメアリーではなかった。


「うげげげげええええ」

 彼が盛大に吐いた。


 もう、最悪だ――

 初デートでまさかのゲロまみれ。彼女が、ではないことだけが唯一の慰めだった。

 しかし、そんなことでは到底救われた気にはならない。

 今度こそ、完全に、完璧に、徹底的に終わりを迎えたのだ。胸のエンジンは見る影もなく鈍くなり、機関停止寸前だった。

 鼻をすすった弾みにすえた匂いまで吸い込んでしまい、彼女は思わずえずいた。必死に堪えた。ただでさえ惨めな気分なのに、この上もらいゲロまでしてたまるか。

 彼女はまだFRP製の馬車の中にいた。

 メリーゴーランドの暴走と、彼と終わってしまったこと(始まってすらいなかったが)、その二つに打ちのめされて立てずにいた。

 顔を洗ってくると言い残して、彼はどこかへ行ってしまった。帰ってくる、という言葉は続かなかった。

 たぶんもう、戻っては来ないだろう。メアリーはそう思った。

「大丈夫ですか? お怪我は?」

 外から声をかけられて顔を上げると、係員が心配そうに彼女へ手を差し伸べていた。

 反射的にその手を取る。

 意外なほど強い力で引き上げられ、彼女は肩を借りながら地面へと降りた。まだ足下がおぼつかない。

「具合でも?」

 寄りかかって見上げる瞳は、吸い込まれそうな青だった。その碧眼が鏡となって、彼女自身を写している。

 くすんだ茶色の髪、優しげな輪郭、そしてその中央にまぶしいほどの青い瞳。馬車内の吐瀉物に面食らったはずだろうに、そんなことはおくびにも出していない。

 不自然なほど四角張ったポリエステルの制服はちっとも似合っていなかったが、とてつもない好青年だった。

「立てますか? この度は機械の故障で申し訳ありませんでした――失礼ですが、お名前は?」


 エンジンに再び灯が入る。

 瀕死だった心臓が、鼓動を再開した。


「あた、私、メアリーって言います。

 よく前向きで明るいって言われるので、これくらいへっちゃらです。

 私あんまりにも陽気だから、友達からはメリーって呼ばれてます」



『Merry-go-Lucky!!』・了

 本作は投稿済みの拙作『メリー・バッドエンド(http://ncode.syosetu.com/n7387cd/)』の改訂版です。

 大筋を変えるのは元の作品の趣旨(ワンライのお題)に反するため行っていませんが、大幅に加筆修正したので大分印象が違うのではないかと思われます。

 元々の完成度の低さを自覚しての改訂版なので、前作を未読の方はわざわざそっち見に行かなくてもいいですよー。

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