ふれあいのぱくぱくショー
部活から帰ってきた大地が、自宅のドアをあけると……。
リビングの方から、兄のもとへドダドダと駆けてくるヒカリの姿が。
そして開口一番、
「ににあもーたーかーってしってるか! りーちゃん!」
「ん? それ、あっちゃこっちゃだぞ」
靴を脱いで廊下を脱衣所の方へ歩く大地に、ヒカリがくっ付いてまわる。
「あのな りょーこがおしえてくれた!」
「リニアモーターカーを?」
「うん!」
にこにこ笑うヒカリは、良子にしてもらったのか、お団子二つの髪型に。
「りにあ! にーちゃんきょうのごはんなに!?」
「晩ご飯かぁ……献立を毎日考えるのは大変だな」
と大地は、脱いだブレザーとズボンを脱衣所のハンガーに掛け、シャツと靴下は洗濯機の中へ。
寝間着にしている七分丈のランニングパンツとTシャツに着替える。
「そういや、チャーハン旨そうだったな……」
販売実習時に孝介が旨そうに食べていたチャーハンが頭をよぎった。
「にーちゃん チャーハンたべたのか!? おべんとーはふつうのごはんだったのに! ヒカリはスパタたべた! オーバがつくった」
「パスタな。いい加減覚えろ?」
大地はキッチンに立ち、炊飯器をあけた。
炊きたてでツヤツヤのご飯がある。
「よし! 今日はチャーハンにする!! ヒカリ、どんなチャーハンが良い?」
「ヒカリがきめていいの? うーん……」
一人前に腕を組んで悩み込む。
悩んで悩んで、
「どせいの わ のような おいしいチャーハン……」
「食べたときあるのか? 土星の輪」
「たべたことない! けど おいしいにきまってる!」
「……そうか」
と大地、調理に取りかかることにした。
今日の販売実習で、百円にて購入したオータムポエムを早速使うことに。
まずは茎を3センチ間隔で切り、これを湯がいて、チャーハンの具にする。
ボロニアソーセージを米粒の大きさまで細かくして、長ネギはみじん切り、レタスを1センチ角に。
これが日比谷家のチャーハンの具である。
ご飯を炒めたとき、米同士がパラパラになるようにする工夫として、炒める前に温かいご飯と卵をボールで混ぜ合わせるのがポイント。
このとき、調味料を加えて下味をつけると炒める際の手間が省けてちょうどいい。
大地がチャーハンを作っているとヒカリが、
「にーちゃん きいて! りょーこに うたをおしえてもらった」
「へぇー、どんな歌だ? きかせて」
「んーと ……ぽっけ! ぽっけ! たちっとぽー おっけー! おっけー!」
手をうしろで組んで、ヒカリが歌ってみせる。
「おっけー? へんな歌だな。なんの歌なんだ?」
「…………わかんない」
「…………」
フライパンに油をひいて中火。
ご飯を投入し、お玉で軽く混ぜ、レタス以外の具を追加。
「りにあはしってる! にーちゃんに とくべつにおしえる!」
「ふーん? 特別に教えてもらおうか」
「うんと さいしょは……じしゃくをつかう!」
「磁石を使うのか。それから?」
「それから……ひっぱられて ごつってぶつかる!」
「ぶつかったら大変だ。大事故だな……」
「ヒカリもそうおもった! でもだいじょうぶ! ヒカリは しゅーーーってはやいけど りにあは びゅーーーんってはやいから!」
ヒカリは腕を左から右へ素早く動かして、その速さを教えようとする。
「びゅーんって速いから大丈夫なのか?」
「うん! めちゃめちゃはやい! ヒカリがおとなになったら もっともっとはやいって りょーこがいってた! あきたと とーきょーが じゅっぷん!」
「そりゃ速くて、早いなぁ。時速何キロ出てるんだ? 事故ったらみんな生きてはいないぞ……」
大地はなんともいえない気持ちでチャーハンを炒める。
ご飯がパラパラになったら、レタスと湯がいておいたオータムポエムの茎を入れ、最後の仕上げとしてフライパンに醤油を直に垂らして香りをつける。
食欲をそそる良い香りがただようなかで、
「ヒカリどこにもいかないから りにあにのってみたいなぁ……」
しょんぼりとして、悲しそうにヒカリはいった。
食欲よりも、いまのヒカリには、子どもながらに積もり重なったストレスが、こころの中にあった。
土日祝日、大地に遊びに連れて行ってもらうこともない。
ドン菓子作りを見た近くの公園にすら、連れて行ってもらったことはなかった。
そんなヒカリを前にして、大地は兄として胸が痛くなった。
せめていまだけでも、気分を晴らすことはできないかと大地は考える。
「ヒカリ、このチャーハンはリニアモーターカーで食べる駅弁な!」
「えきべん?」
ヒカリが首を傾げて、大地を見上げた。
「そう、駅弁。駅で買って、電車に乗ったとき食べるお弁当のことだ。電車の窓から、外の景色を眺めながら食べるんだ。おいしいんだぞ? 今日は特別に夕食はスペシャル駅弁だ!」
戸棚からヒカリの弁当箱を取り出して、大地はチャーハンを盛りつける。
「スペシャルえきべん!?」
「しかも中華スープ付きだぞ! 他に食べたいのはあるか? なんでもいってみろヒカリ」
兄の大地のことばに、ヒカリはニコッと笑みを浮かべ、目をキラキラ輝かせて、
「さくらこな! さくらこなふりかけて!」
「さくら粉? ……あぁ、桜でんぶ。ピンク色のアレか?」
「うん! チャーハンに ふわふわってかけるの!」
「それ美味しいかな……?」
甘いチャーハンになるけど……、と大地は躊躇する。が、弁当箱に詰めたチャーハンの上に、少量の桜でんぶを振りかけてやる。
食べられなかったら最小限の被害にとどめておいて、おいしいならばもっと振りかけても良いし、とおもって大地は、
「弁当は出来た。これから中華スープを作るからちょっと待ってろ」
鍋で水を沸かして中華スープの素を入れる。
オータムポエムの葉を使うことにした。
中華スープはコンソメスープのようにインスタント感覚で作れる。
まさしく、手軽に作れるスープの極みである。
これに、湯がいて食べやすく切ったオータムポエムの葉と、炒りゴマを少々くわえて即完成。
「ヒカリ、このお弁当を持って、駅のホームを想像するんだ。これからそこを歩く」
大地のいうことをきいて、ヒカリは完成した弁当を持った。
「えきのホーム? んーー?」
ヒカリの頭の中で、駅のホームがおぼろげながらに浮かび上がり、形作られる。
「そのホームを、手をつないで一緒に歩く」
大地とヒカリは手をつないで、キッチンからリビングへ歩き出す。
とそこで、大地がホームに流れるアナウンスを真似て、
「まもなく、3番線に、東京行きのリニアモーターカーが参ります。危ないですから、黄色い線までお下がりください」
そういうと、ヒカリは不思議そうな顔をして、
「にーちゃん? ここ おうちだよ にりあくるの?」
「想像するんだ! はいっ、黄色い線を想像して! すぐにリニアモーターカーが来るから!!」
むちゃくちゃなことをいう。
けれどもヒカリは正直に想像する。
ヒカリの目の前に、黄色い線が現れる。
そこは駅のホーム。
大地とヒカリはプラットホームに立っている。
黄色い線の向こうにはリニア専門の道があり、空を見上げれば澄み切った青空。
旅をするにはもってこいの日和だ。
「そろそろ来るぞ! ……ほら来た!!」
リニアモーターカーが音もなく、すぅっとホームに滑り込んできた。
「にーちゃん! りにあだ!!」
「ドアがひらくぞ! 急ぐな急ぐな、おりる人が優先だ!」
現実世界では、大地とヒカリはリビングにある大きな窓を正面に、その窓をリニアのドアに見立てて想像していた。
そして、いつもの食卓テーブルにつき、
「やっと席に座れたな。ヒカリ、お弁当はしっかり持ってきてるな?」
「もってる! いますぐたべる!?」
「待て待て、慌てるな。出発したばかりだ。外の景色を見てみろ。いい景色だなー」
大地がテレビをつける。
テレビに映し出されたのは、アメリカのグランドキャニオンの風景。
「にーちゃん とーきょーいくのに どこはしってる!?」
「リニアは速いから、いろんな所を走って、どこにでも行けるんだ。そうだヒカリ、ここでさっきの歌をうたおう! ほかのお客さんがいないから、大きな声で歌えるぞ?」
「うん! あっ まって! おもいだした!」
とヒカリは、リニアモーターを一生懸命に想像しながら、
「りょーこに あきたのうた おしえてもらった!」
「ほほう? あきたのうた? ヒカリの覚えたての歌をきかせて」
「にーちゃん てをたたいて! ぱんぱんって! リズムだいじ!」
ヒカリにいわれて大地は手を叩く。
そしてヒカリは、
「あきたー めーぶつ! あおもり はたはた!!」
ぱんぱん! と手を叩くヒカリ。
「ちょ、待てい。秋田の名物に、なんで青森が入ってくる!? 他県じゃねーか」
間違ってないか? という大地に、
「あおもりはー つまんない! やまがたは あはは! だもん!!」
ほっぺたを膨らませるヒカリ。
ブーブー文句をいうと、
「おなかすいた! おべんとー!」
弁当の包みに手をかけた。
すると大地がアナウンスする。
「とーきょー、とーきょー。ヒカリ、もう東京に到着したぞ?」
リニアモーターカーは、出発して10分経過していた。
「あれぇ? えきべん どこでたべる?」
よく晴れた日曜の朝。
いつもは昼近くまで寝ている大地だが、この日は珍しく朝食を作った。
そして食後、リビングの大きな窓から庭を眺めて、
(家庭菜園のできそうな庭だ)
と、大地は考えていた。
庭を畑にした場合、塀から距離をとったり通路を入れたりして、実際に確保できるのはせいぜい5メートル×4メートル=20㎡ほど。
坪にして約6坪。
畳にして約12畳。
この庭を眺めている大地は、
(ちょうどいい、ひろさだな)
家庭菜園をやろうと決心した。
やると決めたら、どんな野菜を植えて育ててみようかと考える。
「ヒカリー? おーぃ」
大地がリビングへ振りかえると、ヒカリはテレビを観ていて、
「にーちゃんなんて ふーんだ! ヒカリはテレビなの!」
不機嫌そうな仏頂面でいい、床にベタッと座っている。
ヒカリは怒っていた。
リニアモーターカーの一件が原因で、結局どこにも連れて行ってくれない兄には困ったものだ……という風に、ヒカリはむくれているのだ。
「ヒカリがきらいな野菜は、なーんだ?」
「しらないもん! おしえないもん!」
ぷんすかぷんすか。
ヒカリは、フーン! と鼻息を荒くして言い放った。
「うーん……こりゃ困ったな」
大地はヒカリ本人に問わずとも、きらいな野菜を把握している。
それはピーマンだ。
ヒカリにとって、ピーマンは一番きらいな野菜だった。だいきらいな野菜。
それがわかっていて、何故にきき出すのか?
その理由は、
(ヒカリに「ピーマンがきらい」といってもらって、ヒカリ本人に自覚させる。そして、ピーマンを畑で育てる野菜の一つにしよう……)
大地は、そう考えたのである。
兄の育てた野菜なら食べるだろうし、そうしたらピーマン嫌いを克服するだろう。
それにまた、ヒカリに水やりをさせて、自ら育てて収穫し、それを調理させる。
そうすれば、
(野菜炒めを盛った皿に、ピーマンが残ることはなくなるだろう)
という、兄の思惑である。
この計画を実行すべく、大地はなんとしてもヒカリにいわせたいのである。
いわせることで、ピーマン嫌いをヒカリに自覚させ、これを克服したときに、別の野菜もたくさん食べてほしいのだ。
「ヒカリィ〜? 内緒にするから教えてごらん?」
「やっ!」
ヒカリはプイッとそっぽを向いた。
こりゃダメだ、と大地は奥の手を使うことに。
――奥の手。
それは昨日の新聞の折り込み広告に入っていたチラシだ。
広告をひろげて大地は、
「これなんだろうなー? テレビで観たことあるなぁー? ヒカリ知ってるか?」
ヒカリの隣に立って、広告をヒラヒラさせる。
「……?」
ヒカリは怒っていても、やっぱり広告が気になって、無関心を装って横目でチラチラ。
「!」
よっぽど興味を引いたのか、ヒカリは大地の手から勢いよく広告を横取りした。
「ぱくぱぐ! にーちゃん これぱくぱぐだ!」
「ヒカリそれ知ってるのか?」
「しってる! みんなしっている! くまのぱくぱぐ!」
ヒカリは人差し指の先を広告に擦り付けるように、ぱくぱぐのイラストを指差した。
そして、兄を見上げ、
「どーした!? うん! どーした!?」
超回転するヒカリの思考——
いつもスーパーの広告をチェックしては、「今日はこれが安いからあの店に行くか」とか「明日はあれが安いからこの店に行く」などといっている大地の姿を見ているヒカリ。
その大地が、謎掛けするように広告をだしてきて、そこにはぱくぱぐのイラストがある。
まさか、ぱくぱぐに関するなにかしらの情報を得て、そこへ連れて行ってくれる!?
「もしかして……! にーちゃん!!」
これを悟ったヒカリ。わぁー、と満面の笑みを浮かべた。
釣られて大地も微笑んで、
「ヒカリィ〜、内緒でいいからな? にーちゃんに、こっそり、きらいな野菜を教えてくれないかな〜?」
「ダメ!! ぱくぱぐがさいしょ! どーした!? なんてかいてるの!?」
ヒカリは広告をバシバシ叩きながらワケを問う。
まだ字が読めないので、広告になんと書いているのかわからず、大地に尋ねる。
「これか? ショッピングモールで、ふれあいのぱくぱぐショーがあるんだって。『ぱくぱぐ、ピッコー、ゴローたちがやってくる!』と書いてあるな」
「……それは もしかして……ごーるでんだから!?」
ヒカリは興奮して、腕をファイティングポーズのようにして上下に振っている。
そんなヒカリを前に、大地は、
「ごーるでん? あ、ゴールデンウィークのことか。そろそろゴールデンウィークだな。でも、その前に一足早くぱくぱぐがやってきた。今日、モールに行けば会えるんだ」
会えるんだ、ときいて、ヒカリは弾かれたように立ち上がり、
「ホント!? いきたい! いぃーきぃーたぁーいぃー!! にーちゃんヒカリつれてって! にーちゃんだけ いつもスーパーにいってずるい! ヒカリもいく!! いくの!! いかないとダメ!!」
大地の服の裾を握って、引っ張りながら訴える。
「ヒカリがきらいな野菜を教えてくれたら、連れて行ってあげるけど?」
「ピーマン!」
ヒカリは即答した。
「ピーマンきらいです! いったよ! にーちゃん! もう はやくつれてって!!」
「そんなに急ぐなよ、ぱくぱぐは逃げないだろ?」
1分1秒を争う競争に参加したみたいに、ヒカリは大地のうしろにまわると、大地の尻を押して玄関に向かわせようとして、いますぐモールに行こうと急かせる。
「ヒカリがいくまえに ぱくぱぐ かえっちゃうかも!」
「わかった、わかった。その前に、ヒカリは出かける準備しないとな? 服を着替えないと」
大地とヒカリはまだ、寝間着のままのだった。
ショッピングモールに行くと決まれば急いで着替える。
大地はジーンズを穿いて、空色のワイシャツと薄手のジャケット。
ヒカリは淡いオレンジ色のチノパンに、ウサギのイラストがプリントされた長袖Tシャツを着た。
「まだ冷たい風が吹くからな、パーカーも着たほうがいい」
そういって、大地はファスナー付きの前開きパーカーをヒカリに着させた。
「あきた さむい!」
「そうだなぁ。日中は汗をかくのに朝晩はひんやりする」
忘れ物チェックをしながら玄関へ行く途中で、
「ヒカリ、名札してるか? 迷子になったとき大変だぞ」
「あ! わすれた! とりにいってくる!! すぐだから にーちゃんだけモールにいっちゃったらダメ! ここでまってるの! はい ここでまってるの!!」
ぜったいだよ! と叫んで、ヒカリは腕をおおきく振ってドダドダ走っていく。
住所・氏名・電話番号を書いた名刺サイズの紙をビニール製の名札ケースに入れて、このケースを首に下げられるように紐をつけた、大地お手製の名札である。
追加装備として防犯ブザーが備わっている。
出かける際にはこれを首から下げるのがヒカリに課せられたルールだ。
ヒカリが慌ただしくもどってくると、その首にはしっかりと名札がぶら下げてある。
「よし、それじゃいくか」
「いくー!! おでかけ! おでかけ!」
靴を履いて外に出て、
「はしっていく? それとも いそいでいく?」
「急いで歩くか?」
「やだ! いそいで はしる!」
「どっちみち走るのか……。今日はヒカリと自転車で行くからな。二人乗り用の自転車だ」
そういって、大地は百人乗っても大丈夫、の物置から二人乗りの自転車を出し、ヤクルトレディーが被っていそうな薄ピンクのヘルメットをヒカリに手渡す。
「これ くさいやつだ!」
ヒカリはヘルメットの中の匂いを嗅いでいった。
ヒカリは、ヘルメットに使用されているスポンジ独特の匂いが嫌いだった。
「へんなにおいする にーちゃんがかぶって!」
「これはヒカリが被らないと意味がないんだ。被らないと行けないぞ?」
「ええーーーー!」
ほっぺたをパンパンに膨らませて不満をあらわにするヒカリだが、このままではモールに行けないので、仕方なくヘルメットを被った。
大地がヘルメットの顎紐を絞めてやって、ヒカリを自転車のうしろに乗せる。
「まっは! まっはでいって!」
「マッハ? 音速かよ。テレビでそんなこといってたのか? それじゃ安全運転でマッハだすか。しっかり掴まってろよ!」
自転車に乗った大地が前姿勢になってスタンドをガタンと倒す。
するとヒカリが、大地の背中を叩いて、
「しゅっぱーつ!!」
元気よく大きな声でいった。
30分ほどかけてモールに到着。
自転車を駐輪場に止める。
大地は、大きな建物にテンションマックスのヒカリと手を取って、『ふれあいのぱくぱぐショー』が行われる会場へ向かう。
「会場はどこかなあ……って、あそこか」
会場を探すまでもなかった。
ほかの地域からも、たくさんの子どもたちがやってきて、その子らの背中を追えばよかったのだ。
モール内、3階まで吹き抜けの広場のような空間に即席の舞台が見えた。
「にーちゃん! あれ! あそこ!!」
ヒカリは大地の手を力一杯に引っ張って前進する。
端から見ればこの兄妹、2人して組体操の5人扇の成り損ないをやっているように見える。
「そんなに引っ張ったら腕が取れるって。急がなくてもショーが始まるまでに時間はたっぷりあるから」
大地のことばなど、ヒカリの耳には届かないのである。
なんせ大勢の子どもたちが集まって、ショーが行われる舞台の前には、黒山の人だかりが出来ていた。
この人だかりから数歩離れると、今度は親の人だかりが取り囲み、ケータイ片手に我が子の写真撮影に夢中だった。
「スゲーな……」
これには大地も、江戸っ子の血が流れているのか、野次馬根性が芽生える。
ヒカリはというと、もう興奮もピークに達して、
「にーちゃん! にーちゃん! にーちゃん! まえにいかないとダメもう! ばしょがとられちゃう!! みれなくなっちゃうもん!」
「落ち着けヒカリ! 興奮しすぎだ!」
そういう大地も荒ぶっていた。
「ここはにーちゃんがヒカリのために頑張ってやろう」
と大地、ヒカリを肩車してやって、
「これでよーく見えるだろ?」
さすがに舞台正面だと、ほかのお客さんに迷惑なので、舞台の横でヒカリを肩車してやる。
「すごい!! にーちゃん! まるみえだ!」
あれやこれやといっているうちに、ショーが始まった。
相撲の地方巡業と同じく、全国各地でこのような興行が行われる。
よくあるイベントだ。
利益目的なら大きな会館や体育館等を会場にして入場料を取り、キャラクターショーを披露する。
けれど今回は、ショッピングモールが主催となって、親子連れをターゲットにした客寄せ無料イベントである。
そのため多くの親子を来店させる狙いで、サービスが良い。
広告には、
『ふれあいのぱくぱぐショーを観覧のお客様に、ぱくぱぐのシールをプレゼント』
の、謳い文句があった。
これを、大地は目ざとく発見したのだ。
(どうせ遊びに行くのなら、この日に合わせよう)
そうおもって、ヒカリと一緒にモールにやってきたのだった。
楽しい時間はあっという間に過ぎるもの。
「ぱくぱぐ! ヒカリにシールくれるの!?」
ぱくぱぐと握手できる列に並んでいたヒカリが興奮していった。
ヒカリの頭を撫でるクマの着ぐるみはもちろん、くまのぱくぱぐ、である。
「ありがと! ぱくぱぐ!!」
握手をしてくれるサービス精神旺盛のぱくぱぐに、ヒカリは夢をみているようだった。
そうして、ぱくぱぐはスタッフオンリーのドアの向こうへ去っていった。
「楽しかったかヒカリ?」
「うん! ゆめみたい……! シールもらったんだよ?」
ぱくぱぐからA4サイズほどのシール用紙を貰って、ヒカリは嬉しそうに大地に見せつけた。
「そうか、よかったな」
大地はヒカリと手をつないで、
(これで当分の間は遊びに連れて行かなくても大丈夫だな)
胸を撫で下ろしたのだった。
「はしゃいだから体がポカポカしてるだろ? 汗かいてる。パーカー脱げ。シールと一緒にコインロッカーに預けよう」
パーカーを脱がせようとする大地に、
「やだ!」
ヒカリはシールを抱きしめて拒んだ。
「たいせつなシールだもん!」
「誰も盗らないって……。預けておいたほうが安心だぞ? なくさないし。ほらヒカリ、そうやって持ってるとシールがぐしゃぐしゃになっちゃうぞ」
抱きしめたシールを体から離せば、シールが一枚剥がれてパーカーに張り付いていた。
「ああ! ぱくぱぐのシール!」
「ほらなー? あーぁ……」
大地は剥がれたシールを取って、ヒカリが首に下げている名札にペタリと貼付けてやった。
「大切なシールがこうやって、どんどんなくなっちゃうぞ?」
「あー あー ……にーちゃん…………あずける……」
ヒカリは半泣きに。
すぐにパーカーを脱ぐと、
「シールたいせつに……」
大地に大切なシールと一緒に渡した。
ヒカリのパーカー、ぱくぱぐのシールをコインロッカーに預けると、大地はヒカリを連れて園芸・農業用品売り場に足を向けた。
アパレル関係や飲食店が入るエリアを抜けると、建物が変わり、資材置き場と並列した静かな所に出た。
大地は家庭菜園に必要な道具と、植物の種や苗を探しまわる。
もちろんピーマンも忘れない。
そのなかで、大地はシャベルの展示品を眺めていた。
「どれがいいかなあ……。丈夫で長く使えるのがいいよな。うわっ、これめっちゃくちゃ高い! ……でも、10年間品質保証って書いてあるし、丈夫で長持ちする商品なんだろうな……」
棚いっぱいにシャベルが吊るされている売り場で、大地がぶつぶついっている。
すると、大地の背後で、
「にーちゃんは おおきくて おとなせんよーのシャベルつかう! だから ヒカリは ちいさくて ヒカリせんよーのシャベルつかう!」
そういって、ヒカリは移植コテを手にしていた。
「ああ、俺が大きい大人専用シャベルで、ヒカリは小さいヒカリ専用シャベルか?」
「うん!」
「そうかあ……んじゃ、これとそれを買って行くか」
「やったー! ヒカリせんよーシャベル! ずっとまえから ほしかったんだー!」
「ほしかったのか? 本当かよ……?」
家庭菜園に必要な物を購入し、ヒカリが
「おなかがすいた! はんがーばーたべたい!」
「ハンバーガーな」
ということで、大地はモール内にあるフードコートにいって、ヒカリと一緒に腹を満たした。
購入品は宅配サービスを利用したので手軽で便利だ。
そのあと、ヒカリをおもちゃ売り場に解き放ち、あれがほしいこれがほしいといい出したところで、ゲームセンターへ連れて行って、ふたたび解き放ち、
「ヒカリみてろよ? にーちゃんが、ぬいぐるみをとってやる!」
「できるのか!? ヒカリ あれがほしい!!」
「にーちゃんに任せとけ! よーし!」
UFOキャッチャーにて、大地は100円だけで見事にぬいぐるみを1つゲット。
ヒカリが十分満足したのを確認して、大地は夕食の買い物するために食料品売場へ。
――これが、出費を最低限に抑える外出の仕方であり、考え抜かれたコース巡りである。
コインロッカーからヒカリのパーカーとぱくぱぐのシールを取り出して、
「よるのごはん ここでかうの?」
「そう。今日の夕食は豚の生姜焼き」
と大地はヒカリにパーカーを着させながらにいうと、ヒカリが、
「ぶたどんぶり! ヒカリのおさら タレいっぱいにして!」
「豚丼じゃないぞ? 生姜焼きだ」
食料品売場のエリアにやってくると、入り口付近に大型の買い物カートと小型の買い物カートが並べられている。
これのほかに、下段の荷物置きに子どもが搭乗できる、自動車型の買い物カートが数台置いてあった。
この自動車型カートを発見したヒカリ、
「なにあれ!? のってみたい! のりたい!!」
指差していうと、
「にーちゃん! ヒカリあれにのる! くるまがいい!!」
「へぇー。こんなカートがあるんだ。ちゃんとハンドルまで付いてる」
「ドアひらく!」
作りもなかなか細かい。
ヒカリは上機嫌でカートに乗って、ハンドルをぐるぐるまわす。
当然のことながら、カートのタイヤとハンドルは直結していない。
「これならヒカリが押して暴走することはないな」
他のお客さんに迷惑が掛からなくて大変によい。
「マイカーの調子はどうだヒカリ」
「ぜっこうちょー! おかしうりばにむかいまーす!」
「残念。最初は野菜売場だ。生姜焼きに添えるキャベツだな。なるたけ大きいのが良い。ほかの料理にも使うし。……お、このブロッコリー安いな」
大地はヒカリをカートに乗せて買い物をはじめる。
大地が商品棚に並ぶ野菜を見る。その目線が上を向くことは普通はないけれども、カートに乗っているヒカリの目線では、それはもう見上げるばかりだ。
子どもの目線からは、大人とは別の世界がひろがっているのだ。
「にーちゃん あしにぶつかる! ふといあしに しょーめんしょーとつだあ!!」
カートのすぐ前には、ずんぐり体型のオバサンが……。
「こらっ! ヒカリなんてことを……! あぁ、すみません!」
キャベツを両手に持ってどっちが重いか見極めていたオバサンに、大地は赤面しながら平謝り。
逃げるようにその場を移動する。
人気の少ない乾物売場にて、
「ヒカリ、あんなことをいっちゃダメだ」
「だって ぶつかりそうだったもん! ヒカリわるくない!」
自動車型買い物カートの車内でヒカリはハンドルをぐるぐるまわして、「ブーン!」と急発進の効果音を口にする。
「ほら! にーちゃんまたぶつかる!!」
「動いてないから衝突はしない」
と大地は、大衆の面前で「ブーン ブーン」といっているヒカリを静かにさせるため、腰を屈めて車内を覗き込み、
「停車中だからブーンはいわない。動いてもいったらダメ。静かにしなさい」
「だってほんとーにぶつかるんだもん! まえ! こんどは ほそいあし!」
ヒカリは大声でいう。
そんなヒカリの行動に、大地は恥ずかしくて顔から火が出る思いだ。
と、そのとき。
「あら。やっぱり大地君だった」
きき覚えのある声に、大地は顔を上げる。
「お? 委員長。なにやってんだ?」
「それはこっちの台詞」
声をかけてきたのは、クラス委員長の尾久静江だ。
クリーム色のスカートに白の長袖カットソーを着たカジュアルな服装。
空調が暑かったのか、桃色のカーディガンを腕に下げていて、その片方の手には買い物かごを持っている。
「俺は妹を連れて買い物中。ぱくぱぐっていう子ども向けテレビ番組あるだろ? そのイベントがあって連れてきたんだ」
「ふーん」
静江が車内を覗き込む。
その際、垂れた横髪を耳に掛けるように手で梳いて、
「こんにちは、妹ちゃん。お名前は?」
ニコリと微笑んだ静江に、ヒカリは人見知りせず、
「ヒカリ!」
といって、指4本を立てて見せた。
「4歳なの? お名前をいえて偉いね」
「おねーちゃんは? ヒカリなまえいったから」
「私? 私は、おぎゅうしずえ。し・ず・え」
「きょう ヒカリのおうちは ぶたどんぶりだよ?」
「え……?」
静江が大地に向き直り、
「お呼ばれされたのかしら?」
「たぶんちがう。それに、俺んちは豚の生姜焼きだから、夕食」
するとヒカリは、なにやらハッとして車内から頭を出すと、
「にーちゃん! しずえと どんなかんけーなの!?」
「関係?」
「ぶか!? それとも じょーし!?」
「そんな上下関係じゃねーよ。おなじクラスの同級生だ。あー、クラスっていっても分からないか。手っ取り早くいうと、一緒に勉強する友だちだな」
「なんだー にーちゃんのともだちだったかー しんぱいした」
「心配?」
静江が首を傾げ、大地を見た。
大地は失笑ながら、
「これも意味不明なことだから気にしなくて良い。委員長こそなにか買い物か?」
「うん、夕食の買い物頼まれて。ちょっとね」
「ちょっと?」
「ええ、ちょっと」
静江は含み笑いを堪える表情で、
「父親が七味唐辛子に凝っていて。といっても、どんな料理にも振りかけて、大量に食べて消費したりとかじゃないの。以前母親が高級七味唐辛子を買ってきたことがあって、それを食べた父が『味がちがう』って食通みたいなことをいってね、それで試しに容器の中身を安物の七味唐辛子にすり替えたら、『やっぱり高級は味がちがう』だって。お父さんそれ安物だよって教えたら、顔を真っ赤にして怒っちゃって……」
「そら怒る。で、どうした?」
「それがね、このモールでその高級七味唐辛子を買ったから、おなじ物を買いに来たの。父がうるさいのよ」
これがその唐辛子、といって、静江は買い物かごからひょうたんの入れ物を見せた。
容量80グラムで、
「せんはっぴゃくえん!? 1800円かよ! たっけーなオイ!」
一般庶民には手の届かない高級品。
「金持ちなんだなー。今日の夕食なんだよ? 俺と妹がお呼ばれされたいぜ……」
「にーちゃん! はなしてないで はやくかいものして!! ヒカリおなかすいた!」
ヒカリが車内から頭を出して急かせた。
「あぁ、そうだな。委員長といると金銭感覚が狂う」
「これは父のお小遣いから出てるんだから勘違いしないでよ」
静江は高級七味唐辛子を買い物かごに入れて、
「そうだヒカリちゃん。おねーちゃんにちょっとだけ付き合ってくれない? ききたいことがあるの」
「ヒカリに? しょーがないなーもう そんなにいわれたらことわれない」
忙しいという顔をして、ヒカリは、
「いそいで! うしろにのって!!」
親指を立てて、クイックイッと自動車型買い物カートのうしろを指した。
まるでヒッチハイクを頼まれて「うしろに乗んな」といっているようだ。
静江はカートのうしろにまわって、笑いながらカートを押す。
「ヒカリをどこに連れて行くんだ?」
「野菜売場。さっき気になることを耳にして……」
やって来たのはトマトが並べられた棚だった。
「ヒカリちゃん、トマト好き?」
「……ふつう」
「そっかそっか。じゃあ、このトマトをなんていう?」
静江は、パックに入った小さなトマトをヒカリに見せて、
「ミニトマト? プチトマト?」
「うわっ、しょーもないことをきくなぁー」
「大地君は黙っててよ。ヒカリちゃんに尋ねてるんだから」
ヒカリちゃん、どっち? と静江がヒカリに問うと、
「うーん」
車内で考え込む。しばらくして、
「プチトマト!」
「やっぱりプチだよね。うんうん、プチトマト」
回答を得てニコニコ笑う静江に、大地は、
「それがなにかしたのか? 俺はミニトマトだとおもうけど」
「さっき、きいたんだけどね。ミニトマトという人は古い、プチトマトという人は若いって話を……」
と、静江は照れくさそうに説明した。
正式にはミニトマト。
農薬取締法など、堅い本や決め事ではミニトマトと記述されており、1個20グラムで直径3センチ以下のトマトを指す。
トマトには大玉系・中玉系とミニトマトの大きさに分類される。
プチトマトといわれはじめた由来はおそらく、普通のトマトが大玉系、ミニトマトが中玉系、本来ミニトマトと呼ばれる小さいサイズをプチトマトというようになった、とかなんとか。また、新品種を売り出す際の商品名としてプチトマトが使われた説、食べたとき口の中でプチッと弾けるからプチトマトという説がある。
さらには「小さい」を意味することばでミニは英語、プチはフランス語に由来する説。
これら諸説がひろまってしまい、プチトマトと呼ばれることになったのか。
ただ、ミニトマトのほうが、プチトマトよりも古くから呼ばれているのを鑑みて、静江がきき齧った
「プチトマトというの人は若い」
とは、あながち嘘ではない。
「ヒカリちゃん。プチトマトだもんネー」
「ネー!」
微笑んでいる静江とヒカリを見て、大地はつぶやいた。
「俺は古い人間だったのか……」
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あ と が き
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『ふれあいのぱくぱくショー』
よく、このようなショーってありますよね。
私も小さい頃、母親に連れられて戦隊モノのショーに行ったことがあります。
その戦隊が、どんな名前だったのか……今では思い出せませんが。
けれど、二回目のショーに行ったとき、母親が場所を間違えてしまい、だれもいない河川敷で寂しかったなあ……。
肩を落として、魂が抜けたようにガッカリした私に、母親が「ゴメンね」といって、帰りにお寿司を食べた記憶があります。