静かならざるドン
「おはようございます」
「あら大地君、おはよう。ヒカリちゃんもおはよう」
「おかしください!!」
「ぶっ! そうじゃないだろ、おはようございますっていうんだ」
大地に怒られるヒカリ。
ヒカリはエコバッグをリュックサックのように背負っていて、
「あ おはよーございます!」
重たくてヨタヨタしながらもペコリとお辞儀する。
——日比谷家の隣家、大葉家。
大地は大葉さんにヒカリをあずけに来たのだ。
玄関前で大地は、
「ヒカリ。大葉さんのいうことをよくきくんだぞ?」
「おばーさん?」
「ちがう! 大葉さんだっ」
慌てて言い直させる。
お婆さんというには大葉さんは若すぎる。
まだ40代前半の女性で、その体形はモデルのようにスラリとして背が高く、瓜実顔の美人。
ぴっちりしたジーンズにチェック柄のシャツを着て、カーディガンを羽織っている姿は若々しい雰囲気を醸し出していた。
「ううん。いいのよ、おばーさんでも」
大葉さんはクスクスと笑いながら、
「ヒカリちゃんの年からしたら私はおばーさんよ。埋められない年の差」
「……」
考え迷う大地。
そうですね、ともいえず、されど否定するのも皮肉と捉えられるんじゃないかとおもって、
「おおばさん、だぞ? ヒカリ」
はなしを変える。
ヒカリは不思議そうな顔をしていう。
「おーば ……オーバ!」
「大葉さん!」
「オーバ!」
だめだこりゃ、と大地。
「ふふふ、いいのよ。オーバでも」
「すみません……。あ、このバッグに材料があるんでよろしくお願いします」
ヒカリを前に出して、大地はエコバッグを指差した。
「あー、はいはい了解。出来上がったらヒカリちゃんに持たせる? それとも学校から帰って来てからの方がいい?」
「帰って来てから方で。ヒカリと一緒に持ち帰ります」
いいさして、大地は腕時計をチラリと確認。
「げっ。マジで遅刻する!」
「急いだ方がいいわよ」
「すみません、それじゃヒカリをよろしくお願いします!」
と大地は、ヒカリを大葉さんにあずけて自転車に乗った。
「ヒカリちゃん、お兄ちゃんを見送ってあげたら?」
「うん!」
ヒカリはエコバックを背負いながら元気よく、
「にーちゃーん はしったらあぶない! ゆっくり!」
大地に手を振って、遠ざかって行く兄の背中を見送った。
「朝ごはんは食べたの?」
リビングに向かう廊下で、大葉さんはヒカリと手をつないで尋ねる。
「うん たべた!」
ヒカリは大きくうなずいて、
「たまごごはんたべて ハミガキもした! にーちゃんがメロンのハミガキかってきた」
「メロンのハミガキ?」
「ぴりびりしないの ヒカリせんよー!」
「ふーん。ちゃんと朝ごはん食べてるんだ。若いのに関心」
大地がちゃんと食事を作って、ヒカリに食べさせているかを確認する大葉さん。
そして、
「これはドンが来てからね」
ヒカリが背負っているエコバッグを下ろしてやる。
と、ヒカリは不思議そうな顔をして、
「オーバしっているの? ドンってなに?」
大葉さんを見上げていった。
大葉さんはエコバッグを手にさげて、ヒカリをリビンクに通し、
「そうねぇ、ドンが来るまでもう少し時間があるから、それまでテレビ観よっか」
「テレビみる!」
思考の向かう先がコロッと変わるのは子どもの愛嬌。
テレビ正面に裸足で駆けて行って、よじあがるようにしてソファーの上にお尻を落ち着ける。
「オーバ! いまなんじ!?」
「時間? なにか見たい番組あるの?」
「ぱくぱぐがやるの! くまのぱくぱぐ!」
ヒカリが毎日観ている子ども向け番組『ふれあいのぱくぱぐ』。
森に住んでいる熊という設定の主人公「ぱくぱぐ」が、愉快な仲間たちや物知りな森の主と一緒に歌をうたったりダンスをする番組だ。
これを観るのがヒカリの楽しみで、日課となっている。
「あぁ、教育テレビね」
大葉さんがテレビのチャンネルをかえる。
グッドタイミングで番組がスタートして、
「はじまった! もーりーのぱくぱーぐ うたーのピッコー ダンスのゴロー♪」
オープニングのうたに合わせて、ヒカリは体を左右に揺らして歌う。
「あははは、ヒカリちゃん上手ね〜」
その光景が面白くて大葉さんは笑った。
とそこへ……。
やや疲れた表情で、体を引きずるように若い女性がリビングに入ってきた。
「あ。ヒカリちゃんいらっしゃい」
いうと、テレビを観ていたヒカリが、
「りょーこ! ぱくぱぐやってる! みるか!?」
「ぱぐぱぐ?」
「ぱくぱぐ!」
りょーこといわれた女性は、大葉さんの一人娘、良子りょうこである。
今年3月に短大を卒業してから、ずっと家にいて、ほとんど部屋にひきこもり状態である。
母親に似て背は高い。けれど、華奢な体躯をしており、腰まで伸びた黒髪が不健康そうな印象を与えている。事実、スェット姿でやつれ気味だった。
良子は目の下にクマをつくって、疲れて眠たそうではあったけれども、ヒカリの顔をみるや、その表情がぱあーっと明るくなって、
「それじゃあ、一緒に観よう!」
「ん!」
良子はソファーにどっぷりと体を沈ませた。
するとヒカリが良子の太ももに乗って、足を投げ出すかたちでちょこなんと座る。
「あーもう。ヒカリちゃんは可愛いなぁ」
良子はヒカリを抱きしめ、一緒にテレビを観る。
良子は、フローリングの掃除をしている母親に、
「お母ぁーさん、ちょっとー」
「なによ」
「お母さん。もう一人子ども産む気ない?」
「はぃ?」
「妹が欲しい。4歳の子ども産んで」
「……」
大葉さんは良子をジーッと見つめて、
「あなた一人で十分よ。だいたい、いまの若い者が一日中部屋に籠ってパソコンばっかりやっててどうする気なの?」
「いいじゃん。ちゃんと働いているんだし」
「いいわけないわよ、すこしは外出しなさい。ご近所で噂になってるのよ? ひきこもりでニートなんじゃないかって。お母さんどう説明したらいいの」
「ひきこもりニートって説明したらいいじゃん」
「できるわけないでしょ! あなたが一流企業に内定もらったって、お向かいの奥さんについ喋っちゃったらあっという間にひろまっちゃって、『ああ失敗した』っておもってたら、今度あなた、その内定を蹴って家にもどってきちゃって。あなたは勤めていることになっているのにどうするの!?」
「それお母さんが悪いんじゃない。私は外に出ないっていっているのに」
「自宅で働いてますって、ご近所にいいふらしてきなさい」
「イヤ。毎月毎月、家にお金を入れているんだからいいじゃん」
わぁわぁ、わぁわぁ。突如、親子ケンカが勃発した。
そんなことなどお構いなしに、ヒカリはぱくぱぐに熱中だった。
ケンカが終わる頃、番組もエンディングで、
「ぱくぱぐ ばいばーい」
ヒカリはテレビに向かってさよならの挨拶をした。
……番組が終わって、急に暇になった。
太ももの上に座っているヒカリを、良子は「よいしょ」と持ち上げて、
「ヒカリちゃん、お姉ちゃんのお部屋に行こっか? 二階のお部屋で、ぱくぱぐのお絵描きを一緒にしよう?」
いって、ヒカリをフローリングの上に着地させる。
小さな足がトンと床につき、ヒカリは、
「する! あ……でもクレヨンない。おうちにおいてきた もってくる?」
「色鉛筆があるから大丈夫よ」
良子は小さな頭を撫でて手をつなぐ。
ヒカリを連れてリビングを出て行く娘に、大葉さんが、
「良子、ヒカリちゃんに変なこと教えないでよ」
「教えないってば。心配しないで」
「すごく心配なのよ、あなただから」
と大葉さんは、うーん、と難しそうに唸って、
「育て方を間違ったわ。どこに欠陥があったのかしら? 私の教育方針。娘を4歳から育て直したい」
「…………娘の前でいう台詞なの、それ。……育てたのはお母さんでしょ」
親子ケンカが、ぶりかえす——
「テレビがいっぱいある! りょーこもぱくぱぐみるのか!?」
良子の部屋には、パソコンのモニターが12台も設置されていた。
しかも部屋全体が黒で統一されて、重々しい空気が漂っている。
モニターとパソコンから放出される排熱をエアコンで冷却し、パソコンのファンがヴゥーンと風切り音をたてていた。
そして、窓は太陽光をシャットアウトする遮光カーテンで閉じられている。
この部屋で、良子は毎日モニターを眺めては神経をすり減らす生活を送っていた。
12台ものモニターには株価チャートが映し出されていて、幾つかの専用ソフトが立ち上がっている。
「テレビがこんなにいっぱいあったら、ぱくぱぐがたくさんやる!」
「ははは、それおもしろい。でも、これはテレビじゃないんだなあ」
良子は青白い光を放つ蛍光灯の下で、
「ぱくぱぐの塗り絵ね。ぱくぱぐのお耳は何色だった?」
グーグルの画像検索で、ぱくぱぐの画像をダウンロードして、これを塗り絵用に脱色してくれるフリーソフトで画像変換して作成した、お手製の塗り絵だった。
ヒカリのために数枚印刷して、色鉛筆はAmazonで注文していた。
「ぱくぱぐのみみはまーるくて ちゃいろだよ? でも まんなかはうすいちゃいろ」
「そっかそっか。耳の真ん中は薄い茶色なんだ」
いいさして、良子は時間を確認する。
そろそろ9時だ。
(……前場か)
良子はモニターへ視線を移してからヒカリに目をやった。
ヒカリは床に寝そべって、夢中になって塗り絵をやっている。
左右の手で色鉛筆をグーで握って、わしゃわしゃ描く。
色の配色は関係ない。
ぱくぱぐの輪郭も関係ない。
筆圧が強くて用紙に穴が空こうが、用紙からはみ出してフローリングの床に描こうが関係ない。
我が絵を描く。
「これ りょーこな!」
「あわわわ! 紙の下に新聞紙を敷こうね! ヒカリちゃん!!」
良子は慌てて新聞紙を敷く。
良子は知らなかった。
先の尖った鉛筆は危ないし、すぐに折れてしまうので普通はクレヨンを使うことを。
さらにこの場合は新聞紙を一枚敷こうが二枚敷こうが無意味で、ヒカリはピカソ級の名画を力強く、のびのびと描き、色鉛筆が新聞紙を貫通して、
ガリガリガリ!
彫刻刀で削るがごとく床に傷がつく。
「あわわわわ」
あたふた狼狽える良子。株どころではなかった。
お絵描きタイムにも飽きが来る頃に。
「ヒカリちゃーん。おりておいでー」
階段の下で大葉さんの呼ぶ声。
「オーバだ! りょーこ いってくる!」
ヒカリが良子へ振り向いてみれば、良子はキーボードのテンキーをカチャカチャ鳴らしてモニターを注視している。
良子はモニターを観たまま、顔をすこしヒカリの方へ向け、
「うん、いってらっしゃい。階段おりるときは気をつけてね」
「わかった!」
色鉛筆や用紙をそのままに部屋を出て行くヒカリ。
階段を一段一段ペタペタとおりて、最後の一段はジャンプでおりる。
「オーバよんだか!?」
「呼んだ呼んだ。はいヒカリちゃん、バッグ持って」
大葉さんは、ヒカリにエコバッグを持たせながら、
「ドンが来たわよ」
「ドン! やっときたのかー」
なぜか、しみじみというヒカリ。
「ヒカリちゃん、ドンを知ってたの?」
「? ……しらない」
無垢な眼差しが大葉さんを見上げた。
「あはは。それじゃあ一緒に公園に行ってみよう。行列を作ってみんな待ってるよ」
「ぎょーれつ! ヒカリしっている!! ぎょーれつができると にんきもののしるし!」
「そうねー。人気があるから早く行った方がいいわねぇ」
「はやくいく! はやくいこっ!」
エコバッグを背負ったヒカリは、大葉さんの手を引いて玄関に急かした。
家の外へ出て、すこし離れた近所の公園へ。
はしゃぎながら歩いても、5分かからない。
小さな公園には、すべり台とブランコと砂場がある。この公園を取り囲むように、枝振りのよい桜が何本か生えている。いまは、咲き散った桜の花びらが公園の隅にゴソッと溜まっている。
この公園の入口に、軽トラックが一台止まっていた。
軽トラックを囲むように、子どもを連れた主婦たちが集まっていて、公園内のベンチでは70・80歳のお婆ちゃんたちが世間話に花を咲かせている。
「ホントだ! みんなあつまってる!」
大葉さんと手をつないでいるヒカリ。
はやくはやくと前のめりに歩きながら、
「ヒカリのおかしなくなっちゃう! オーバいそいで!」
「お菓子? ヒカリちゃんの分は、ヒカリちゃんが持っているわよ?」
「???」
ヒカリは頭にクエスチョンを浮かべてキョトンとした。
「おかし……もってないよ?」
「ヒカリちゃんが背負ってるバッグの中に、お菓子の素が入ってる」
大葉さんがそういうと、ヒカリは半信半疑な顔をしてエコバッグを道路に下ろし、ファスナーをひらく。
「ごはんがある……」
エコバッグには、米と砂糖と大きなビニール袋が入っている。朝早くに大地が準備したものだ。
「これをね、あそこにいるオジさんに渡すとお菓子に変身するのよ」
「!!!」
ヒカリは勢いよく顔を上げて大葉さんを見、次いで大葉さんが指差す方へ——軽トラックのうしろにいるオジさんを見やった。
ヒカリは瞳を輝かせ、エコバッグを背負うと、
「オジさんがおかしにへんしんする! ヒカリのおかしになる!」
大葉さんの服の袖をつよく引っ張って、急ぎ足に。
「オジさんがお菓子になるんじゃないなー。オジさんが、ヒカリちゃんの持っているお米と砂糖をお菓子にしてくれるのよ?」
「じゅーぶん! それで おかしになってくれるだけで じゅーぶんです!」
オーバはやく! とヒカリは公園に猛進する。
オジさんと大葉さんが挨拶を交わしてお喋りする。が、ヒカリには関係なく、
「ごはんもってきた! オジさん! おかし!」
エコバッグを差し出した。
「ん? 見かけない子だねぇ?」
オジさんがいった。
軽トラックの横には、大きくて黄色いプラスチック製の漬物樽と、折りたたみ式の長テーブルが準備されていて、そのテーブルの上にはカセットコンロと片手鍋が置いてある。
「3月半ばに引っ越してきた、日比谷さんのお子さんよ。私の同級生の娘で、旧姓が佐藤——」
大葉さんがオジさんに説明する。
「あぁー、そうか。おじょーちゃんが佐藤さんの。へぇ〜」
「オジさんおかし! ごはんもってきた! オジさんへんしんして!」
「ハハハ、元気で良い子だ。どれ、はじめようか」
オジさんは軽トラックの荷台から機械を下ろし、セッティングをはじめる。
数分後。
「順番に並んで〜。一番最初はー? ——おぉ、ハイハイ。それじゃあ早速」
オジさんは、最初に並んだ人から米を受け取ると、その米を機械の圧力釜へ投入し、ガスの火力を強火にして熱しはじめた。
さらに今度は傍らのテーブルで片手鍋に砂糖と水を混ぜて、カセットコンロで温めだした。
「オーバ オーバ!」
ヒカリは大葉さんのジーンズをちょんちょんと突っついて、
「ドン……オジさんがドン?」
「ううん。ドンはあの機械でできたものよ。ちょっと離れて見ましょうね」
大葉さんにいわれて、機械から数メートルほど離れた場所でヒカリは、不思議そうな目をしてオジさんの行動を追う。
すると、
「耳をふさいでー! いくぞぉお!」
オジさんが叫んだ。
ひと呼吸置いて、
ドーン!
公園に爆発音が鳴り響いた。
驚いたスズメが一斉に空に舞う。
ヒカリはビックリして腰を抜かし、コテッと尻餅をついた。
この音が由来の「ドン」。
ドン菓子やポン菓子と呼ばれるお菓子で、地域によってはパンパン菓子、ポンポン菓子とも呼ばれている。
穀物を密閉した圧力釜で加熱して作られるお菓子だ。
加熱によって十分加圧されたら一気に蓋を取って、減圧。
この時、ドン! という音と一緒に穀物が弾け出る。
弾け出たところに網がセットされていて、出来上がったドン菓子をキャッチする。
これをオジさんは空の漬物樽にガサガサと移して、温めておいた砂糖水をかけ、大きなシャモジでザシザシ、ザラザラと音を立てて混ぜる。
ほどよく冷めたら、持参してきたビニール袋などに移し替える。
むかしから食べられて愛されているお菓子で、機械さえあれば簡単に作れる。
近くにいると、漬物樽の容器から甘い匂いがふんわりと香ってくる。
これを嗅げば、だれでもお菓子だとわかる。
「すごい!! オジさん まほうつかい!?」
ヒカリは瞳を輝かせて感激した。
兄の大地が米を研ぎ、炊飯器にセットして熱々で食べるご飯。
今日も卵をかけて食べた。
それが、炊飯もしないで甘い香りをさせるお菓子へと変身させるなんて。
このオジさん、ただ者ではない——と、ヒカリは肌で感じ取った。
「ヒカリちゃん。こういうのは職人っていうの」
大葉さんが教えてあげる。
「しょくにん! オジさんしょくにんだ!」
お!? とおどろいて、わぁー!! と感激するヒカリに、オジさんは、
「ハハハ。職人なんて嬉しいこというねぇ。次はヒカリちゃんか? お米と砂糖を出して待ってて」
「うん!」
ドン! という音と米が弾け出る瞬間を、ヒカリは興奮して見入ったのだった。
公園に集まった人たち全員のドンが終わって、オジさんは軽トラックに乗って帰っていった。
「ヒカリちゃん。お家に帰って味見してみようか?」
「ドン! たべる! さっきのオジさんがつくったんだー! オーバしってた?」
「え? あ、うん。一緒に見てたから」
ははは、と笑う大葉さん。
日比谷家で作ってもらったものと大葉家で作ってもらったもの、どちらのビニール袋もドン菓子でパンパンに膨れた。
当分の間、おやつには困らない。
大葉さんとヒカリは、まるでサンタクロースのようにドンの入った袋を肩にひっかけて大葉家に帰宅した。
リビングで。
大葉さんはビニール袋から茶碗に一杯、ドン菓子をすくってやって、
「はい、どうぞヒカリちゃん」
「わぁ〜!」
ヒカリは両手で受け取って、茶碗を覗き込むように見る。
そして、大葉さんが指先でドンをつまんで口に運ぶのを見て、ヒカリも指先で……いや鷲掴みにして、ドンを口へ入れる。
サクサクッ、という歯ごたえで、ほんのり柔らかい甘みが口にひろがる。
「はーーー おいしいものだなー ほっぺたおちる」
ヒカリの言葉に、大葉さんが、ぷっ、と噴き出してクスクス笑った。
「あ。ドンに行ってきたんだ」
良子が、部屋から下りて来て、
「珍しいよねー。いまどきドン菓子なんて」
「町内会の会長さんが大好きなのよ、ドン菓子。毎年恒例ね」
大葉さんはドン菓子をサクサク食べながら答える。
「へぇー、あの会長が。何歳なの? あの人」
「70後半じゃない? 孫娘も大きくなったんだから、やめたらいいのに」
そういいつつも、大葉さんのドン菓子を食べる手は止まらない。
「りょーこもたべるか!? おいしいおいしい おかし!」
「うん、食べる食べる」
ヒカリに誘われて良子は、背中に茶碗を隠して持って歩いて来、
「お母さん。とりあえず『うん』って言って」
「なによ、この子は……」
「いいから、『うん』って言って!」
「……うん」
すると良子は、隠し持っていた茶碗を突き出して、
「一杯頂戴!」
ドン菓子をねだった。
「はぁ〜、この子ったら」
大葉さんはため息をついて、茶碗を受け取るとビニール袋からドン菓子をすくう。
——このやり取りを、ヒカリは見ていた。