鉄棒!
前話から執筆期間を数ヶ月置いて書いています。
漢字の開き方や作風が多少異なります。
土曜日の夕方。
日比谷家に静江が訪ねてきた。
「あら、こんばんわヒカリちゃん。水疱瘡は治った? かゆくない?」
「あ! しずえ! みずしょーぼー なおった! かゆくない しずえ ごはんたべにきたの!?」
玄関のドアを開けたヒカリ、静江の顔を見てニコニコと笑顔を浮かべた。
家のキッチンでは大地が夕食をつくっているところだ。
「あー! しずえおねーちゃんだ!」
リビングから顔を出したのは、めぼれである。
青坂さんは仕事で帰りが遅くなるのが常なので、めぼれは父親が帰宅するまで日比谷家におじゃましている。
「しずえおねーちゃんも めぼれといっしょに ヒカリちゃんのおにーちゃんのごはんたべる? パパおしごとだから ヒカリちゃんのおにーちゃんにごはんごちそうになるんだあ」
めぼれは、日中はヒカリと一緒に隣家の大葉さん宅に預けられて面倒をみてもらい、大地が学校から下校すると、今度は日比谷家におじゃますることになっていた。
「めぼれちゃんもこんばんわ。私はお家で食べるから大丈夫よ」
静江はヒカリとめぼれの出迎えに笑顔でいう。
「お兄ちゃんは手が離せるかな? 呼んできてくれない?」
「にーちゃんに よーじ? わかった! まっはでよんでくる!!」
「マッハで? 急ぎすぎて転ばないようにね」
いうが早いか、ヒカリはリビングへ跳ねるように走り出した。
キッチンでは大地がシャケを焼きながら炊飯器へ目をやり、炊きあがり時間を確認していた。
そこへヒカリが走って来て、食卓テーブルの横に立ち、キッチンカウンター越しに大声でいった。
「にーちゃん! しずえ! しずえがきた! にーちゃんに よーじだって!」
「ん? 委員長が? 何の用事だろうな。いま行くって伝えて来てくれヒカリ」
「わかった!」
ヒカリは大きく返事をして、玄関で待つ静江に向かってふたたび走り出した。
「しずえ! にーちゃんが いまいくからつたえてきてくれって いってた!」
「そうなの? 偉いわねヒカリちゃん。ちゃんとお兄ちゃんのいうことを伝えられて。今日の夕食はなに? 夜のごはんは?」
「おさかな! すーぱーで やすかったんだって! にーちゃん ヒカリにないしょで すーぱーに いってきたの! ずるい!! ヒカリだっていきたいのに!」
「ええ、何の話かな?」
突然の話題変更に静江は困惑の表情を浮かべた。
とそこへ、大地が布巾で手を拭きながらやってきた。
「どうしたんだ委員長? 特売のシャケは3切れしか買ってこなかったんだ」
「別に夕食を食べにきた訳じゃないわ」
静江は腰まで伸びた後髪を手で梳いていう。
「明日、ヒカリちゃんとめぼれちゃんを連れて、公園に来てほしいのよ」
「公園に? どうしてまた」
「公園に鉄棒を設置する工事があるのよ。実はね、町内会の予算で積み立てしていたお金があるの。毎年少しずつだけど。このお金で、公園に鉄棒を設置することが決まったの。で、せっかく完成するのに誰も遊ばないのはちょっとアレでしょ?」
「完成セレモニーに誰もいない、みたいな?」
「そう。だから、ヒカリちゃんとめぼれちゃんを連れて来てもらって、鉄棒で遊んでもらいたいのよ。少なくても完成直後にみんなが見ている前で」
町内会でお金を出し合って作った公園の鉄棒完成記念時に、誰ひとり子どもたちがいなかったら寂しいものがある。
町内会の会長はいうまでもなく静江の祖父。孫の静江を通してヒカリとめぼれに出席要請が来たのである。
「にーちゃん! てつぼーってなに!? こーえんに なにできたの!?」
ヒカリは大地と静江の顔を交合に見上げていった。
となりでめぼれも、なにができたんだろう? といった表情で静江の顔を見上げている。
「ヒカリとめぼれちゃんは鉄棒知らないのか? 鉄の棒のことだ」
「そのままじゃない。説明になってないわよ」
「うーんと、鉄の棒で体を前回りさせたり……あ、逆上がりとかするんだ」
大地は腕を組んで首をひねり、どう説明して伝えたらいいのか考える。
と、静江は玄関のドアの把手を掴んでいう。
「実際に明日公園に来て遊んでみたらいいわ。その方が手っ取り早いし。ヒカリちゃん、めぼれちゃん。明日、お昼ご飯を食べたら、お兄ちゃんに公園に連れて来てもらってね。鉄棒でいっぱい遊んでちょうだい」
「てつぼー? わかんないけど わかった! にーちゃんに つれてってもらう!」「めぼれも わかった! ヒカリちゃんと ヒカリちゃんのおにーちゃんといっしょに こうえんいく!」
ヒカリとめぼれは顔を見合わせてニコッと笑い、大地を見上げた。
見つめられて大地は、腰を落として床に片膝をつき、ヒカリとめぼれとおなじ目の高さになっていう。
「わかった、わかった。明日は公園に連れてってやるからな。そのために今日は、夜ご飯をいっぱいを食べて、明日のために力をつけておかないと遊べなくなっちゃうぞ」
「「やったー!」」
ヒカリとめぼれは一緒になって飛び跳ねて喜んだ。
「ヒカリ いっぱいごはんたべる!」
「めぼれも いっぱいたべる! てつぼーであそぶ!」
大地の耳の鼓膜を破る勢いで2人は喜びの声をあげると、帰ろうとする静江に向かっていった。
「しずえも あした こーえんにくる!? いっしょに てつぼーしよ!」
「てつぼー おしえて しずえおねーちゃん」
「ええ? 私が? うーん、鉄棒を教えられるかしら?」
静江はドアを開け、玄関外に出て、2人にいう。
「でも、そうね。せっかくだから教えてあげるわ。たぶん、お兄ちゃんより教え方は上手よ?」
「お、それは聞き捨てならないな」
大地はすくりと立ち上がり、仁王立ちすると腰に手を当てる。
「俺は逆上がりができる。だからヒカリとめぼれちゃんに教えることができる」
「……私も逆上がりできるけど? ま、とにかく、私は子ども会に参加してる、ほかの子どもたちにも声をかけなくちゃだからこれで帰るわね。それじゃヒカリちゃん、めぼれちゃん、また明日ね。バイバイ」
静江は日比谷家の玄関ドアをゆっくりと、手を振りながら閉めた。
「ばいばーい しずえ!」
「ばいばーい!」
ヒカリとめぼれも手を振って、静江を見送った。
翌日の昼下がり。
約束通り大地は、ヒカリとめぼれと手をつないで公園にやってきた。
鉄棒の設置工事は午前中に終了し、工事関係者は重機や工具を片付けて遠巻きに見守っている。
鉄棒は高さ70センチ・90センチ・110センチの3種類。
この鉄棒を、以前の危険箇所を教える行事に参加した子どもたちが取り囲んでいる。そして子どもたちのうしろには母親たちが付き添っていた。
これとは違い、公園のベンチには老齢のおばあちゃんたちが世間話をしながら鉄棒の方を眺めている。
静江の祖父で町内会長が鉄棒の前に立って、鉄棒完成記念セレモニーを始めようとしてた。
「ちょうどいいタイミングだったな。ほら、行って来いヒカリ、めぼれちゃん」
大地が手を離すと、ヒカリとめぼれは「わぁー!!」と声をあげて、鉄棒を取り囲んでいる子どもたちのところへ走り出した。
大地は、鉄棒から少し離れた所にいる静江を見つけ、その横に立ち、町内会長が喋っているのを眺める。
「この鉄棒は、みんなのお父さんやお母さん、それに町内の皆さんがお金を出し合って作ったものです。ですから大きな声で『ありがとう』とお礼をいいましょう」
町内会長の「せーの」のかけ声に合わせて、子どもたちは大きな声で、
「「あーりーがーとーぉ!!」」
元気いっぱいに声を張り上げた。
そのうしろで子どもたちの母親は拍手をして、鉄棒の完成を祝った。
「それじゃあ、みんな鉄棒で遊びましょう」
町内会長がいったとたんに、一番低い70センチの鉄棒に子どもたちは群がった。
そして、70センチの鉄棒から漏れた子どもが、90センチの鉄棒へ仕方なく移動する。
初めて鉄棒をする子どもばかりで、前回りをするよりも、鉄棒に体を持ち上げることもままならない。悪戦苦闘する。
けれど、それ事態が純粋に楽しくて、笑い声を上げながら何度も鉄棒に体を持ち上げて乗せようとする。
「あー みんな てつぼーしてるのに」
「じゅんばんまもらないとだめってパパいってた」
ヒカリとめぼれは最後に公園に来てしまったので、鉄棒が空くまで待つ必要があった。
なんだかションボリしていまう。
そんなヒカリとめぼれを見かねた静江、2人を110センチの鉄棒に呼んだ。
「お姉ちゃんがお手本を見せてあげるから、よーく見ててね」
そういって、静江は、手の甲が地面に向くように逆手でしっかりと鉄棒を掴んだ。
両腕をピンと伸ばし、キリリとした表情を見せれば、「えいっ!」とかけ声を発して体を鉄棒に寄せる。と同時に右足を蹴り上げた。
静江の艶やかな黒髪がしゅるりと宙を流れて、その体が鉄棒を軸にひらりと回転する。
そしてストン、と見事に着地を決めた。
この鮮やかな逆上がりに、隣で鉄棒をやっていた子どもたちが、
「おねーちゃんすごーい!」
「どうやったの!? おしえてー!」
「ぼくにもおしえて!」
驚きの声を上げれば、逆上がりのやり方を教わろうと次々に静江の真似をしてみる。
「しずえ すごい! いまのどーやったの!? ヒカリにもできる!?」
「うわー! めぼれも それ やりたい! しずえおねーちゃん おしえてー!」
ヒカリとめぼれ、静江の手を掴んで引っ張り合う。
静江は両手を左右から引っ張られて戸惑いの笑いを浮かべていう。
「うーんと、まずは鉄棒に体を乗せられるようになって、前回りできるようになりましょう。それができないと、いまの技はできないのよ」
「えーっ!? そうなのー!? ヒカリも てつぼーさわりたい!」
「めぼれも! てつぼー やりたい!」
ヒカリとめぼれの体格にあった70センチの鉄棒は相変わらず人気である。
それもそうだろう。おなじ体格の子どもたちが集まっているのだから……。
鉄棒の順番待ちはしばらく続いた。
ようやく男の子たちの息も上がって、体力も尽きてヘトヘトになり、鉄棒の順番がヒカリとめぼれにまわってきた。
鉄棒の横で大地が、ヒカリとめぼれに前回りのアドバイスをかけてやる。
「鉄棒を両手でしっかりと握るんだぞ。しっかり握っていないと鉄棒から落ちちゃうからな」
「にーちゃん これぐらい? もっと!?」
「めぼれ いっぱいにぎってる!」
ヒカリとめぼれは歯を食いしばるような顔をして、力いっぱい鉄棒を握る。
大地はうなづいて、次のステップのアドバイスをかける。
「次は、鉄棒をグイって引き寄せるように、鉄棒に向かってジャンプするんだ。にーちゃんがやってみせるから、よーく見てるんだぞ」
とりあえず大地は手本をみせることに。
110センチの鉄棒のを利用する。
ヒカリとめぼれに解るよう、オーバーリアクションで、握った鉄棒にジャンプして鉄棒に体を乗せるところまでをやって見せる。
ジャンプの勢いを利用することで、鉄棒に体を持ち上げる動作を楽に行えるのだ。
「さ、2人とも挑戦してみろ」
「わかった!」
「じゃんぷする!」
大地に促されてヒカリとめぼれは鉄棒にチャレンジする。
ヒカリは鉄棒に向かい合って、握る手に力を込めると勢いよくジャンプした。
「えぃっ!」
ジャンプしたけれど、鉄棒の上で体を持ち上げた体をキープできなくて、鉄棒からふにゃふにゃと柔らかく、ずり落ちてしまう。
その横でめぼれも、ヒカリとおなじように「えぃっ!」とかけ声を発してジャンプ。こちらもヒカリ同様に鉄棒に体を乗せるところまでは合格だが、鉄棒の上で腕を突っ張ってその体勢をキープできずに落ちてしまった。
ヒカリとめぼれはめげずに何度も挑戦するが、やはり鉄棒の上で体を持ち上げた体勢をキープできずに落ちてしまう。
隣の90センチの鉄棒では、男の子たちが鉄棒に両足を引っかけてコウモリのようにぶら下がる。この体勢ではまだ怖くて手は離せないので、しっかりと鉄棒を握ったまま両足を引っかけてぶら下がるだけ。
この男の子に負けじとヒカリは挑戦を重ねるが……。
挑戦してもちっともできないことに段々と苛立ってきて、ヒカリは頬を膨らませた。
「にーちゃんはどうして てつぼーのうえにずっといるの!」
ヒカリは、110センチの鉄棒に体を乗せた状態の兄大地に怒りをぶつける。
「ヒカリ てつぼーのうえにいれない! おちちゃうのに!」
「腕だ、腕! ヒカリ、こうやって腕をピーン! て伸ばすんだ。真っすぐに」
「うで のばすの? どうやって!?」
「どうやって? 簡単だぞ。ジャンプしたら体が鉄棒にくっつくだろ? そのときに力を入れて自分の体を持ち上げるんだ。とりあえず鉄棒の体を乗せる練習だな」
大地はもう一度手本をやって見せる。
鉄棒を握り、ジャンプ! と、同時に自分の体を鉄棒に寄せると、鉄棒の位置がヘソのあたりにくるので、腕を真っすぐになるように伸ばす。
このまま突っ張った状態で停止する。
「ここまでやったら、布団を干すように、お腹を曲げる。体がくの字になる。その勢いで――」
体を曲げた勢いで、くるりと前回りをきめる大地。
ヒカリとめぼれに「な? 簡単だろ?」という顔を見せる。
「にーちゃんは ヒカリより からだおっきいからかんたんなの! ヒカリまだこどもだもん! こどもには むずかしいの! つかれたもん!」
ヒカリは鉄棒が上手にできずにむくれてしまう。
めぼれも、段々とやる気を失ってきてしまった。
とそこで、ほかの子どもに鉄棒を教えていた静江がヒカリとめぼれにいう。
「そろそろ疲れてきたでしょ? 休憩しておやつ食べたら、また公園に来て鉄棒に立ち向かったらいいわ」
「うん! それだいじ! おやつたべるとげんきでる!」
「めぼれもげんきでる!」
「そうでしょ? お兄ちゃんにおやつ食べさせてもらったら、鉄棒に立ち向かいましょう?」
「たちむかう?」
静江のいう、鉄棒に立ち向かうの意味を聞き返すヒカリ。
めぼれは「わかんない」という顔で静江を見上げている。
そんな2人に、静江は膝に手を当てて腰を折り、頭の位置を低くしていう。
「立ち向かうっていうのはね、負けない気持ちを持って挑戦することよ。ヒカリちゃん、めぼれちゃん。鉄棒ができないからって鉄棒に負けちゃダメ。何度も何度も立ち向かって、鉄棒ができるようにならなくっちゃね。くるっと回れたら、ちょっぴり大人になれるわよ」
「てつぼーできたら おとなになれるの!?」
「ちょっぴり おとなになる! めぼれ てつぼーにたちむかう!」
ヒカリよりも、めぼれのほうがやる気を出した。
めぼれは、かけているメガネを直して、もう一度鉄棒に挑戦した。が、体力がなくなって疲れてしまい、鉄棒からずり落ちてしまった。
「うー つかれちゃった おてていたい」
「ヒカリもつかれた! にーちゃん おやつたべてげんきになるから おやつたべたい! きゅーけー!」
めぼれとヒカリ、手のひらも痛くなってきて疲れてもいるせいで、鉄棒の砂地に座り込んでしまった。
「休憩かあ。20分くらいしか鉄棒やってないぞ?」
大地は前回りと逆上がりを男の子たちにやって見せてあげていた。
既に町内会長は帰宅していて、静江も家に帰りたそうにしていたものだから、これに託つけるようにいう。
「この前の行事でもらったお菓子はまだあるでしょ? ヒカリちゃんとめぼれちゃんに食べさせてあげなさいよ。鉄棒だって結構体力必要なんだから、休憩を挟んでやらないとヘトヘトになっちゃうわ。鉄棒を嫌いになられても困るんだし」
「うーん? それもそうか。日も出て暑くなってきたし、一度休憩しに家にもどるか」
そういって大地は、集まって来た男の子たちに「また今度な、バイバイ」と手を振り、静江には「じゃっ、また明日学校で」といい、ヒカリとめぼれを連れて一度公園をあとにする。
と、公園を出た所でヒカリが大地のスボンを引っ張っていう。
「にーちゃん かたぐるましてー! ヒカリつかれたー」
「そんなに疲れたのか? 家まですぐそこだぞ」
「ヒカリちゃんのおにーちゃん めぼれもつかれたー」
「めぼれちゃんも疲れちゃったのか? 鉄棒は疲れる遊具だな。んじゃ、最初にヒカリを肩車して、途中でめぼれちゃんに交代な?」
「「やったー!」」
大地の言葉に、ヒカリとめぼれは喜んで大地の足に抱きついた。
「ああ? そんなに元気があったら歩いていけるんじゃないのか?」
「だめだめ つかれたもん! いまのは ちょっぴり げんきがのこってた!」
「うん! めぼれも ちょっぴりのこってた もうなくなった」
ヒカリとめぼれは親指と人差し指をくっつけるか、くっつけないかのギリギリ隙間を空けて、そこを覗き込むようにしていった。
大地は、何だかペテンにかかったような気分で最初にヒカリを肩車してやる。
ゆっくりと歩き出す大地のスボンを、めぼれは小さな手で握って歩く。
大地の肩の上ではヒカリが大声でいう。
「たかーい! かべよりたかい! おうちのなかがみえる!」
「こら、ヒカリ。よその家を覗くな。ちゃんと前向かないとおやつあげないぞ」
「おやつだいじ! おやつたべてげんきになったら てつぼーにたちむかう!」
ヒカリは大地の頭を抱きしめるように額へ手をまわした。
ぽかぽか天気の青空にスズメが数羽、飛んでいる。