渡して
「あら、アイラルちゃん」
あっ……。うわー……あー。
ジルさんの部屋を出て、一歩目で鉢合わせてしまったのは、ウィンディさん……この騒ぎの元凶のひとり。
頭にも服にも土埃をかぶった状態のまま、廊下をすたすたと歩いてくる。
ついさっきジルさんにあんな話を聞いたばかりだから、少し気まずい。
「副団長の部屋の掃除、終わったの?」
「あ、いえ。ジルさんが寝ちゃったので、他の場所の手伝いに」
「そう。ちょうどいいわ、アイラルちゃんに頼もうかしらね」
そう言って、状況の飲み込めない私の手を引いてウィンディさんが向かったのは、騒動が起きるまで私たちがいた、調理室。ここは全く被害を受けていないんだ。
ウィンディさんはまっすぐ厨房の奥へ向うと、手に何か持って帰ってくる。
ことん、と音を立てて机に置かれたそれを見て私はハッとした。
「ウィンディさん、これ……」
ガラスの器に入った、透き通るゼリー。淡い緑色のゼリーの上には、小鳥を模した飴細工が乗っていて。一目見た瞬間、それがアシュさんに渡るはずだったものだと、気付いた。
「他のゼリーは、お恥ずかしながらさっきの喧嘩で崩れちゃって。リスルちゃんやディオール君の分はないから、アイラルちゃん内緒ね?」
嘘だ。みんなの分が崩れちゃったなんて嘘。本当はアシュさんだけにあげるものだったんだから。
アシュさんが食べてしまったと聞いていたけれど……まだ渡せるじゃないか。まだ大丈夫じゃないか。
差し出されたスプーンを受け取る手が震える。
「っ、だめ、だめです! これはアシュさんにあげないと!」
つい大きな声を出してしまうと、ウィンディさんの表情がさっと強張った。
私はそれに気づいていたけれど、おせっかいかとも思ったけれど、口に出かかった言葉を止めることはできなかった。
「アシュさんのために作ったものなら、アシュさんが食べないとだめです。私は食べられません」
少し強い口調で言う。
このまま、渡せないままレンカの日を終えるなんて、ウィンディさん絶対に後悔する! 私はウィンディさんに後悔して欲しくない。それに、こんなに綺麗なゼリー。緑色に鳥の飾り。ウィンディさんがどれだけアシュさんのことを想って作ったかが伝わってくるようで。
「まだニアシェの日には間に合います。このゼリー、アシュさんに渡しましょう」
ウィンディさんの目をじっと見つめる。
するとウィンディさんは表情を緩め、
「……そうね」
と、肩をすくめて笑った。
よーし、そうとなれば! アシュさんにゼリーを渡そう作戦、決行だ!
私はウィンディさんに少し待ってくれるように頼んで、静かに調理室を出た。
えーと。アシュさんの部屋の掃除を手伝ってるのはカオン君だから……。この後の作戦をまとめながら、音を立てないよう緑の副団長室の前に立つ。そして囁き声に近い小さな声でカオン君の名前を呼んだ。
ドアから離れ、ドキドキしながら待つこと十数秒。
部屋からカオン君だけが出てきた。うん、第一段階クリア! 獣人にしか聞こえないくらい小さな声で呼べば、カオン君はきっと察してくれると思ってたんだ。
「アイラルちゃん」
「ごめんね、急に。アシュさん、今部屋にいるかな?」
で、第二段階。カオン君からアシュさんが部屋にいることを確認したら、ジェイさんが呼んでいるということにしてアシュさんを会議室へと呼び出してもらう。ジェイさんの名前を勝手に使うのは少し怖かったけど、他の副団長が呼んでいる、ではアシュさんはすぐに動きそうにないから仕方ない。
「じゃあ、カオン君。よろしくね」
さて次! 急げ急げ!
調理室に戻ってウィンディさんに先回りしてもらう。会議室へはアシュさんの部屋より調理室の方が近いから先に着くはず。それに二階の会議室なら喧嘩の被害にあってないはず!
「もうすぐここにアシュさんが来ます。えっと、その後は、その」
この後のことはウィンディさんとアシュさん次第だ。じきにアシュさんがやって来る。なぜか自分が緊張して、まともなアドバイスが出来ず慌てる私の頭を撫でて、ウィンディさんは笑う。
「いろいろありがとう、アイラルちゃん。ごめんなさいね、せっかく騎士団に来てくれた時にこんな事になって」
「い、いえいえ、いいんです。久しぶりにいろんな人にも会えましたし……」
新事実も聞けましたし……とは言えなかった。
「よし、じゃあアシュを待つわ。……アイラルちゃんも、ちゃんと渡せるといいわね」
パタン、と閉じたドアの前で私は深呼吸。
上手くいけばいいんだけど。……ううん、上手くいくって信じなきゃ。ふたりのことを知ってしまった以上、ここまで口出しした以上、上手く言ってもらわなきゃ困る。
アシュさんが来る前に、と会議室の前を離れて、行く宛もなくふらふらと騎士団の中を歩き回る。他の副団長室の手伝いに行ってもいいんだけど、ウィンディさんのことが気がかりで、今お姉ちゃん達に会っても普段通りにできる気がしない。
「私も、ちゃんと……渡せるのかな」
足を止めて窓の外を見ると、騎士団の団員さん達が庭園と花壇を修復しているその上には、五分咲きのニアシェ。明日には満開になって、明後日が終わる頃には全て散ってしまうのだろう。
はぁ、と息を吐く。
初めてのレンカの日。まだ渡してもいないのに、渡せてもいないのに、胸のあたりがキュッと苦しくなるのは、なぜなのだろう。お姉ちゃんやシトロンちゃんと買い物したりお菓子を作っている間は楽しみで仕方なかったレンカの日なのに、ひとりになった途端、なぜか不安でたまらなくなる。お菓子を渡すつもりのみんなを、ルーグ君が受け取ってくれないなんて、そんなことを思っているわけではない。ただ、お菓子を渡している自分を想像すると、すごくすごく不安になって。
「きっと、言ってくれるよ。ありがとうって」
自分に言い聞かせてみても、胸の痛みは消えなかった。
それから、サラさんの部屋の片付けを手伝いに行って、そのまま一緒に調理室戻り、焼きあがったクッキーを受け取ってきた。お姉ちゃんとシトロンちゃんと、それぞれの袋とリボンでラッピングしてニアシェの花をリボンに挟んだ頃にはまたワクワクする気持ちの方が勝ってきて、クッキーを入れた籠を片手にホッとする。
騎士団の人には今日渡してしまおう。そう思ってお姉ちゃん達とは別行動で廊下を歩いていた時、向こうから誰かがやって来た。
「……! アシュさん」
さっと曲がり角に隠れる。
そっと顔を出して覗くと、廊下の向こうからひとり歩いてきたアシュさんの手には、小さな箱と、それに添えられたニアシェの花。
ウィンディさん、ちゃんと渡せたんだ。
アシュさんは執務室のドアに手をかけながら、ゼリーの入った箱に視線をやって、へにゃっと笑う。
「……やったぁ」
なに今のー!
アシュさん、やったあ、って! へにゃって! そんな気の抜け切った声と顔になるくらい嬉しかったのね! 私も嬉しいよう! ふたりの仲がうまくいって!
うんうん、ここはアシュさんの喜びの邪魔をしないよう、さっさと撤退しよう。
「おう、アシュ。今年も貰ったんだってな?」
「もー、アシュちゃんのくせに、羨ましいなぁ」
と、子どもの私が気を利かせて後ろへ一歩足を引いたところ。どこからともなく現れた青と赤の副団長が現れた。もう、この人たちは……。
「うるさいよ、お前ら。毎年毎年……」
そして、苦笑いのアシュさんを追って、ふたりが部屋の中へ消え——
——あれ?
私は、前にも、こんな風景を。
ううん、違う。
あれはアシュさんや他の副団長じゃなくて。そうだ、あれは。
『……に、貰ったんだって?』
『羨ましー。……のくせに!』
ぐっと唇を噛み締める。そうか、さっきの胸のキュッとなる感じは、このせいだったんだ。
ああ。私はまた。
また、思い出してしまった。
アイラルは友チョコ感覚でいろんな人にクッキーを渡そうと考えていますが、ニアシェの日では、この人!と決めた人にだけお菓子を渡す女性が多いようです。




