気づいたこと
最初は、姉ちゃんがふざけて言ったのかと思った。
でも聞こえたのは、スズテカトルと話す時のように、鼓膜がビリビリする声だった。や、スズテカトルほどじゃないかな。ビリビリじゃなくてチリチリって感じ。
「見つけた……?」
『おい今すぐ我を外に出せ!』
「わっ!?」
いきなり大声で叫ばないでよ。あなたのはビリビリなんだから。
突然黙り込んでいた私が、これまた突然スズテカトルを召喚すると、お姉ちゃんもお兄ちゃんも訳がわからないといった表情をしていた。うん、ごめん。私も訳がわからないんだ。
タオ君に至ってはグリフォンの登場で、ぱたっと倒れてしまった。タオ君ー!!
タオ君を抱き上げる……より早く、スズテカトルの爪が服の襟首を捕まえる。
『面倒な奴に見つかった。乗れ。逃げる』
「え? 面倒な……誰? って、その前に今は授業中だから無理だよ?」
『構わぬ』
構うよ! 私はすっごく構うよ!
ただでさえ、闘技大会の件や研究所の誘拐の件で目立ってしまった私だ。これ以上問題を起こして、さらに目をつけられるわけにはいかない。私には、最短の6年で卒業してお父さんの農場のお手伝いをする、という夢があるんだから。
乗れと言い続けるスズテカトルにそれでも抵抗していると、爪がグイッと引かれた。ぐえっ。
「もう! わかった乗るから! 首締めるのは」
『もう遅いわ。……奴が来た』
スズテカトルが言うや否や、痛いくらいの暴風が私たちを襲った。吹き飛びかけたタオ君をお兄ちゃんが急いで抱く。
お姉ちゃんの手から、青い花が飛ばされた。
『こんなところに、居たのですね』
またチリチリする声だ。声に呼応するように、風が一層強くなる。
風に煽られてよろめく。すると両手を同時に掴まれた。
お姉ちゃんとお兄ちゃんだ。
私たちは飛ばされないように三人でぎゅっと手を繋ぐ。
『小娘。奴は危険だ。下がっていろ』
スズテカトルは風を物ともせず、私たちの前に立つ。
泉の上には風に舞い上がった木の葉や花が集結しつつあった。
『会いたかった……スズ』
そして遂に声の主が姿を現した。
風の中心から、歓喜の叫びとともに現れた————緑の竜。
ぐぉう。
竜が私にはわからない竜の言葉で吼えると、風が四散する。舞い上がっていた花びらが頭上に降り注いだ。
私たち三つ子を余裕で背に乗せるスズテカトルより、さらに一回り、いや二回り大きな翼竜。頭頂部には鋭く捩れた角が二本。額に生えた角も合わせるなら三本。
しなやかな身体を隙間なく覆う緑色の鱗は、花畑に降り注ぐ太陽の光でエメラルドのように輝く。泉を悠々と覆い隠す翼は光の透ける皮膜だった。
緑の中で唯一違った色、金色の双眸が見つめる先は、スズテカトルだ。
……目の前に竜が現れたこの状況で、どうして私がここまで落ち着いて観察を続けられたかと言うと。
「すごい……」
純粋に感動していたからだ。
お姉ちゃんが手を引いても私は動けなかった。恐怖することも忘れて、竜に釘付けになった。
ファンタジー小説を読んでは想像していた竜より、遥かに美しい、この竜に。
「アイ!!」
お姉ちゃんとお兄ちゃんにぐいっと力いっぱい引っ張られて、ようやく私は後退する。
ああ、もっと見てたいのに……!
『あの夜感じた気配も、やはりお前だったのだな』
森の木の後ろに隠れても、スズテカトルの声は聞こえてきた。私は竜に視線を注いだまま、耳をそばだてる。
『ええ。スズのいない鉄の檻は退屈で。あまりにつまらないから、逃げてきたのです』
竜は澄んだ女性の声で言う。
逃げてきた? 鉄の檻?
鉄の檻ってどこかで……確かスズテカトルも同じようなことを……。
『もちろん簡単にはいきませんでしたよ? ……彼らは私をどうしても閉じ込めておきたかったようだから』
閉じ込めて……そうだ、闘技魔獣。思い出した。
あの竜はきっと、闘技魔獣の風竜だ。
スズテカトルが言っていた。スズテカトルと同じく、風竜も子供の頃に連れてこられて、闘技場に閉じ込められていたのだと。
竜……風竜が花畑に降りたった。翼を器用に折りたたみ、長い首を白鳥のように優雅にもたげる。こうして地に降りると、やはりスズテカトルよりかなり大きい。
「アイ、行っちゃだめだよ」
風竜に見惚れる私の手は、隠れた時からずっと姉兄の手に捕まっている。
ずっと話してるし、大丈夫だと思うよ? と言ったのだが、スズテカトルと風竜の会話を聞くことのできない二人は、心配して離してくれない。
「私は風竜の言ってることがわかるし、危険だと思ったら」
「……でも、アイがいなくなるのは、嫌なんだよ」
私の言葉を遮って、お姉ちゃんが小さな声で言った。心なしか、語尾が震えていて。
いつもと違うお姉ちゃんの様子に、さすがに風竜から視線を外した。
「お姉ちゃん……?」
「あたし……アイがグリフォンに向かっていった時、すっごく怖かった。街でいなくなった時も、誘拐された時も、すっごくすっごく怖かった。アイがいなくなるのが怖かった」
お姉ちゃんは私と目を合わせずに、言葉を並べる。お兄ちゃんのほうを見ても、何も言わずに頷かれただけだった。
「アイはあたしより頭がいいし、ディオより怖がりじゃないし、動物と話ができるし、誰とでも仲良くなれるし、魔法使えるし! 一人でなんでもできるけど!」
お姉ちゃんの強い意志の込もった瞳が、私をまっすぐ射抜く。
「だけどっ!」
気絶していたタオ君が飛び起きて、森の中へ逃げていった。
「あたしはアイのお姉ちゃんだもん! アイのこと守らせてよ!」
ハッとした。
お姉、ちゃん。
声にならない声が溢れた。
お姉ちゃんが、そんなことを思っていたなんて、考えもしなかった。
——私は転生者だ。向こうの世界で17年の時を過ごした。お姉ちゃんとお兄ちゃん、ふたりの生きた時間よりも長い時間を、向こうで経験してからこの世界へ来た。だから。私は過信していたのかもしれない。
ふたりに守られなくても、なんでもできる、と。むしろふたりを守るのは私だ、と。
でも、お姉ちゃんは私のお姉ちゃんで、お兄ちゃんは私のお兄ちゃんだ。そして私はふたりの妹。
お姉ちゃんだもん。
アイのこと守らせてよ。
……私はお姉ちゃんの気持ちを無視していた。
「ごめんなさい……」
また口から溢れた言葉。
「……うん。よし、許す!」
私を見るお姉ちゃんの目は、いつものキラキラした目に戻っていて、ニッと笑ったその顔に、とてつもなく安心したのだった。
お姉ちゃんは私が思っていたより、遥かにお姉ちゃんだった。




