緊急事態発生
誰かの話声を聞いた気がして目を覚ました。
「いっ……!」
頭の奥がひどく痛む。目を開けようとするとぼろぼろと涙が出た。
なにこれ、痛い。痛い。頭が、目が、痛い。
「……っ!?」
そして目を開いているにもかかわらず何も見えないこと、手も足も動かせないことに気づいて、いよいよパニックになった。
「おね、ちゃん! おにいちゃん!?」
いないの? 誰か。誰もいないの?
と、すぐ近くで何かが動く気配がした。震える私の耳元にそれはそっと近づいて。
「……アイラル」
その声にどれだけ安心しただろう。
「ミナ、せんぱ……っ」
私のそばにいたのは、ミナ先輩だった。ミナ先輩は優しい声で続ける。
「大丈夫。俺と、ねーちゃんもいるから。俺たち以外の気配はないし、大丈夫、心配しないで」
変わらず頭と目は痛いし、身体は自由に動かせない。けれど、一人ではなかったことで少しは落ち着いた。落ち着いて考えると、目が見えないのはこの場に明かりが一切ないから、動きにくいのは手と足をおそらく縄で縛られているから、だということがわかった。そしてどこかの建物の中なのだろうか、壁に寄りかかるようにして座らされている。
「ねーちゃん、まだ切れないの?」
「うっるさいわね、真っ暗で見えないから難しいのよ!」
「声でかい」
先程から聞こえるごそごそという音は、ウィンディさんがミナ先輩の縄を切ろうとしている音のようです。と、いうことは、ウィンディさんの両手は自由ってこと?
「ほら切れたわ。アイラルちゃんの縄、切ってあげて」
その疑問はミナ先輩が私の縄を切ってくれるときに解けた。二人の持つ鋭い爪だ。ミナ先輩の爪が私の手まで傷つけないよう慎重に縄を引っ掻く。
その間にウィンディさんが今の状況の説明をしてくれた。
「私は街で偶然ミナを見つけて……アイラルちゃんが迷子になったって聞いたの。それで騎士団の応援を待っていたんだけど、妙な服装の集団に囲まれちゃって。剣は持ってたけど、あの時はミナいたっ!」
「ねーちゃん」
「何よ。蹴ることないでしょう」
あ、あの、この状況で姉弟喧嘩……。
あっでも、私の縄も切れました。足の縄も切ってもらって、これで自由に動けます。動ける……んだけど真っ暗闇で、ここがどこなのかもわかりませんね……。
「とにかく、その集団に薬か何かで眠らされて気づいたらここにいた。薬のせいかしら、頭が痛いわ」
「そう薬! 私も薬で……」
そう、あの時――
『その道は行かぬほうがいい』
分かれ道で散々迷って右を選んだ途端、黙っていたはずのスズテカトルがそんなことを言い出した。
行かないほうがいいって、今まで黙ってたくせに何だよー。
『誰かが貴様を追っている。噴水とやらのあたりからずっとだ。そいつと同じ匂いを右の道の先から感じる』
「…………え?」
慌てて周りを見回す。怪しい人は……いないと思う。
スズテカトルが行くなと行った道は今まで通って来た道よりも細くなっていて人通りもすくない。それでも全く人がいないというわけでもないから、この道を行っても平気だと思ったのだが。
「追っているって……どの人?」
『それは分からぬ。ただ、同じ足音が一定の速さでついて来る』
「うえっ!?」
それはホラーでよくあるやつでは……。スズも淡々と言うのはやめようよぉ。もう後ろが振り返れなくなったじゃんー……。
それでも私はどうにかしてお姉ちゃん達と合流しなくてはならない。はぐれてからだいぶ時間がたっている。きっと私を捜しているだろう。外出先で何かがあった場合、付き添いの上級生の責任になる。このままではミナ先輩に迷惑をかけることになってしまう。それだけは、どうしても回避しなくては!
よし!と気合を入れるように頬をぺちっと叩く。
「スズテカトル。左の道なら大丈夫なんだよね」
左の道は右の道よりも細くて、路地といってもいいくらいなんだけど、ここはグリフォンさんの忠告を聞いて左の道を行きましょう。
『……やはり、ついてくるか。おい、小娘。急がねば追いつかれるぞ。足音が速くなった』
「うええええ!?」
追いかけてくるという足音が私には分からず、それが余計に怖い。後ろを振り返らず、ただ薄暗い路地を進む。
合流できたらお姉ちゃんとお兄ちゃんの耳を触らせてもらう! ミナ先輩の尻尾も触らせてもらう!
頭の中にはもふもふを思い描いて、後ろからついてくる誰かのことは考えないようにする。
お姉ちゃんのもふもふ、お兄ちゃんのもふもふ……ルーグ君、カオン君……。
その時だった。
『行くな!』
スズの声が鼓膜を揺らし、ビクッと肩を震わせた私は、横から飛び出してきた誰かに口を覆われて、目の前が白く染まった。
「――それで、ここにいたんです」
そうだ。あの時、飛び出してきたのは誰だったんだろう。思い出そうにも、頭がガンガンして集中できないし、第一私はその人物を一瞬しか見ていない。
「アイラルちゃんをつけていたのだとしたら、アイラルちゃん狙いだったってことね」
「あ……じゃあウィンディさん達は」
「そんな情けない声出さないの。私達がなぜ捕まったのかはわからないけど、犯人さんが私達も捕まえてくれてよかったじゃない? 獣人相手に縄で動きを封じられると思ったのかしら?」
そう言われてしまっては何も言えないけど。ミナ先輩にいたっては完全に巻き添えだ。買い物の付き添いに来ないで学園に残っていれば。私が迷子になっていなければ。
でも、やっぱり、ともごもご言っていると、隣にいたミナ先輩が私の手をぎゅっと握った。
「お前、チビのくせにいろいろ考えすぎ。俺もせっかくの買い物潰されてイラついたし、さっさとここ出て帰ろ」
私の頬をくすぐるのはミナ先輩の尻尾だ。
「そうね。扉の場所がわかればいいんだけど……」
ウィンディさんが立ち上がる気配がした。
扉の場所っていっても、真っ暗闇で自分の手も見えないからなぁ。魔法で火を出せればいいんだけど私は風の魔法以外使えない、二人は獣人……。他に暗闇でも目が見えるような手段……暗闇でも、目が……ん? 暗闇でもって、そうだ!
「スズ! スズ! スズなら目が見えるんじゃないの!?」
そうだよ、スズがいる。私を追いかける足音を聞き分けられる聴力があるんだから、視力だって人間に勝るはず。
「スズって?」
ウィンディさんが足を止める。
騎士団の人は闘技大会のグリフォン騒動で、私がグリフォンと契約を結んだことを知ってるんじゃないの? あ、違う。スズテカトルという名前を知らないだけか。
「私と契約したグリフォンの名前です。スズテカトルっていう名前で……」
石の羊を握ろうとした手が空を切る。ん? 服の中に入れてたかな?
「あ、あれ? あれあれっ?」
「アイラルちゃん、どうしたの?」
服の中にもない。ポケットの中にもない。お店で付けてもらったばかりの革紐ごと、石の羊がなくなっていた。
「羊が、いないんです……」
ありがとうございました。




