雪の日のこと3
え……?
魔法の違和感に視線を落とせば、風は消えてしまっていた。
なんだ、今の。
いや、今はリリーだ。
「助けを呼んでも遅い。誰もこの路地には入って来れないからな」
本性を現した男。
パキ、パキ……という音とともに路地に入る建物と建物の間に氷が壁を作っていく。
これも魔法なの?
「さあ行こうか。お姫様」
リリーの足元だけ魔法を解いて、男はリリーを無理矢理引っ張って行こうとする。
「リリーをはなせ! ばか!」
お姉ちゃんが泣きながら罵声を浴びせる。するとそれが男の気に障ったらしい。リリーを捕まえたまま、戻ってきた。
手の上で氷が鋭い円錐を形成する。
氷の凶器がお姉ちゃんに狙いを定めた。姉兄の顔が引き攣る。
「さようなら。羊のお嬢さん」
お姉ちゃん!!
と叫んだ声は破壊音にかき消された。
入り口を固く閉ざしていた氷が壊され、粉々になっている。吹き込んでくる風が冷たい。
そして割れた氷を踏み締めて路地に入ってくる存在に、私は目を疑った。
白い毛並みに、額の一本角。
「サッシャくん!」
馬車につないでいたはずのサッシャ君が、淡い水色の鬣を揺らし、黒い瞳で男を見据えていた。
角で氷の壁を砕いたらしい。
これに驚いたのは男のほうだ。
「……なぜ、街中に、聖獣が」
サッシャ君はお姉ちゃんとお兄ちゃんの頭に順番に鼻先で触れると、私のところにやってきた。私の手を舐めて、目を合わせてくる。
何か、言いたそうな目。
だが、その後ろに男が迫っていた。
「サッシャ、うしろ!」
お兄ちゃんの声でサッシャ君が動く。振り向きざまに角で男の身体を薙ぎ払ったのだ。男は雪の地面に叩きつけられると、変な声を出して動かなくなった。
気を失ってくれたようだ。
張りつめていた力が抜けるのを感じた。同時に足が動くようになっているのに気付く。
「リリー!」
すぐに放心状態になっていたリリーに駆け寄る。
「……アイ、ラルちゃ……たすかった、の……?」
かわいそうに、涙をポロポロ零しながら私に抱きついてきた。
ごめんね。すぐに助けられなくて。怖かったよね。
リリーが泣き止むまでだいぶ時間がかかった。ようやく落ち着いてきた頃、またサッシャ君が来て、私の肩をつついた。
手を舐め、目を見る。それを何度か繰り返す。私が首を傾げていると今度は右手の袖を咥えて、左手の上に乗せようとする。
手?
「手……魔法?」
サッシャ君は頭を大きく上下に振る。そうだ、と言いたいようだ。
お姉ちゃんにお兄ちゃん、リリーが集まってくる中で、促されるままに風の玉を作った。やっぱり、すぐに消えてしまいそうなほど弱々しい。
玉を壊さないようにサッシャ君に見せると、彼は驚きの行動をとった。
鼻先を風の玉の中に突っ込んだのだった。そしてそれからのことのほうが私をさらに驚かせた。
『やっとお話できましたね。アイラル』
直接頭に響いてくるような澄んだ声。男の声だ。
きょろきょろ周りを見ても私達の他には誰もいない。
『私です。サッシャですよ。アイラルの魔法の力を借りてお話しています』
「サッ、シャ……?」
目の前のユニコーンが口を動かすと声が響く。耳の奥がビリビリする。
魔法の力って、私が使えるのは風の魔法だけだけど。
「アイ? サッシャと何してるの?」
お兄ちゃんが眉を寄せていた。
何って、サッシャ君が急にお話できるように……、と言うとお兄ちゃんはより不審そうに眉を寄せる。もしかして、この声、私にしか聞こえていない?
見れば、お姉ちゃんもリリーもきょとんとしていた。
『今のアイラルでは、他の方にまで声を届かせることは難しいようですね。後でご説明なさってあげてください』
喋るサッシャ君に呆気にとられ返事もできず、頷くだけの私に、サッシャ君は話を続ける。
『言葉を発する時に生じる空気の揺れを、風の魔法が別の揺れに変換するのです。そうすることで、アイラル……人間の感じ取れる揺れと私ユニコーンの言葉の揺れが一致して、私の言葉を理解することが出来る、というわけです』
「……うーん?」
『あはは。ややこしいですよね。とにかく、これからはアイラルが魔法を使えば私はアイラルと話すことが出来ます。先程は助けを呼ぶ声が聞こえたので、慌てて駆けつけました』
そ、そうか。サッシャ君が来てくれなかったら、リリーは誘拐されていたし、お姉ちゃんは命が危なかったかもしれない。
ありがとうの気持ちを込めて、サッシャ君の首のあたりを思いっきり撫でる。ついでにふわふわ鬣も思いっきり堪能。
『アイラル。嬉しいのですが、先にあの男をどうにかしないと』
「あ、そうだった! また足がうごかなくなったらたいへん!」
サッシャ君が風の玉から離れると会話は出来なくなった。
倒れたままの男の服を咥えて通りのほうへ引きずっていく。通りには騒ぎを聞いたからなのかユニコーンが飛び込んでいったからなのかは知らないが、人だかりができていた。その人だかりの前にサッシャ君は男を放り投げる。
口調は丁寧なのにやることが荒いなぁ。
「せんせい!」
「リスルちゃん、みんなも怪我はないわね!?」
人間クラスと獣人クラスの先生がそれぞれ走り出てきた。その後ろにいるのは、お母さんとお父さんだ!
お兄ちゃんはお母さんに飛びついてわんわん泣いた。あのお姉ちゃんでさえ、両親を見つけると泣きながら走っていった。私も…と足を出そうとして思いとどまる。
リリーのご両親は?
「お嬢様!!」
悲鳴に近い声、この声はリリーのおばあちゃんだ。よかった、おばあちゃんは来てる。
でも、お嬢様って?
「アイラル……っ、無事でよかった……!」
「パパ!」
リリーのその後を見届ける前にお父さんの腕の中にいた。お父さん、泣いてる。震えてる。
「ごめんなさい、パパ。でもサッシャくんが来てくれたから、へいきだったよ。わたし、けがしてないよ。大丈夫、だよ……っ。……こわかった、よぉ……っ」
その日は幼稚園には戻らず、直接帰宅することになった。
お母さんの怒りようと言ったら、そりゃあもう……。次の日は幼稚園にも行かせてもらえず一日中お説教。だけどそれだけ心配かけたって事だよね。幼稚園から行方不明になったと知らせを受けて、馬車がないからふたりは雪の中走って丘を下りてきたんだそう。
それから、あの男は捕まった。でもなんでリリーを誘拐しようとしたのかは口にしようとしないらしい。
私の魔法のことも両親に話した。
「風の魔法でユニコーンと会話……聞いたことがないな……。王都の機関に連絡を取ってみようか」
風属性のお父さんも、こんなことは初めてだって。褒めてくれると思っていたお父さんからそんな反応が返ってきて、ちょっぴり不安です。
とにかく、謎を残しつつも、雪の日の事件は幕を閉じたのでした。
早く機関とやらから返事がこないかなぁ。
幼少期編は以上で終了(予定)です。
次回から学園編がスタート…できるかな? 番外編を挿むかもしれません。
ありがとうございました。




