プロローグ
どうしても書きたくなったので書いてしまいました。
後悔はしています。少し。
後悔先に立たず、とはまさにこの事を言うのだろう。
ノートを掴んだ腕に力を込めて目を閉じた。
遠ざかる声、かすかに救急車のサイレンが聞こえていた。
――都内の高校で教室から少女が転落。意識不明の重体…飛び降り自殺か…
夕刻のニュースが告げた頃、病院の少女は死亡した。
名前は柳井渚。高校3年。4月になり新学期を迎えたばかりだった。終礼が始まる前、集配物を返している時に突然窓から身を乗り出して落ちた。極端に口数が少なく、とっつきづらい性格。友人は少なかった。目つきが悪い。
警察が調査を進めていくうちにクラスメイトから得た情報はその程度のものだったが、ひとつ気になる証言があった。死んだ少女は日頃から、手帳サイズのノートを持ち歩いていたという。興味本位でノートの内容を尋ねたところ、今まで聞いたことのないような大声で拒絶し、決して見せてはくれなかった。
自殺の動機になったものが書かれているかもしれないと警察はそのノートを捜索したが、見つからなかったとか。
◇◇◇
「あのノート、絶対あたしらの悪口書いてたんだってー」
「証拠隠滅にあの世まで持って行ったんじゃないの?」
「柳井さんて怖いよね」
「俺睨まれたことあるし」
——あんなこと言われてるけど?
目が覚めると暗い場所にいました。
暗いというかもはや真っ暗で、目の前に翳した自分の手も見えない。
——結構苦労してたみたいだねぇ。
そんな暗闇の中で唯一私の目が捉えることができたのは、仄かな光を発して飛ぶ白い小鳥。声の主だ。
私の肩にちょこんと乗って、やれやれという風に翼を広げる。
——あの子達の言ってること、全部デタラメでしょ?
「別に……」
あんたに関係無いと言おうとした私の口を翼が押さえる。
む……思ったよりもふもふ。
——僕だって一応神の末端の末端。君の人生くらい把握済みです。
末端の末端って……相当下っ端じゃん。
——でも下っ端なりに仕事はあるからね。
「勝手に考えを読むな」
——君、妙に冷静だよねぇ。
柳井渚、17歳。教室の窓から落ちて死にました。
あ、と思った時には身体は窓枠を越えていて、怖いと感じる暇もなかった。
クラスメイトの悲鳴とか先生の大声とかは覚えている。落ちた理由も覚えている。……恥ずかしくて誰にも言いたくないけどさ。
いやもう誰にも言えないんだけど。
——君が落ちたのノートを取ろうとしてだっけ。
「だから読むなっ」
そうですよ! 自殺が疑われてるけど、私の死因って実はただの不注意ですよ!
終礼で配布物が帰ってくるから机の上を空けようと例のノートをよけた。たまたま窓が開いてて、たまたま私の席が窓際だったから、たまたまノートを窓の桟に置いてしまっただけ。
それで、風の悪戯で落ちたノートを取ろうと反射的に身を乗り出して、というわけだ。
——なんでノートなんて助けたの。助かってないけど。落としちゃって拾いに行けばよかったのにぃ。
落として他の人に拾われるわけにいかなかったから。
——ふむふむ。君小説書いてたんだぁ。
……もういい、諦めた。
考えを読まれるんじゃ、隠し事なんて無理だ。
「そう、あのノートに小説書いてた。すっごいファンタジーで、それこそ剣と魔法の世界! 獣人もふもふ! こんなの人に見られたら引きこもるね!」
——口数少ないってのは?
「話してたら自分の趣味の話で暴走しちゃいそうだったから。小説とか……動物とか…」
——目つき悪いは?
「暗い部屋で小説書いてたら視力落ちただけ。コンタクトは痛そうだし、眼鏡は恥ずかしいし」
遠くから声かけられても誰かわからないから目を細めてた。それを睨んでいると勘違いされたらしい。
——誤解ばっかりだねぇ。なんかかわいそうになってきたや。
かわいそうなら早く天国に行かせてよ。なんかここ暗いばっかりで気持ち悪くなってきた。光もないし、音もない。
——かわいそうだから、もう一度チャンスをあげようか?
「……チャンス?」
——そう。偉い神様はよくやってるんだ。
それって。
ファンタジー好きの私の頭に、ある言葉が浮かんでくる。もしかして。
——僕みたいな末端にはやらせてもらえないんだけど、バレないなら、ね? 君もあっさり死んじゃうよりは、やってみたいでしょ? 転生。
やっぱり。
僕もやってみたいんだよね、と上機嫌でくるくる飛び回っている小鳥。
「したい! 転生!」
それで今度こそ、目つき悪い、怖いって言われない生活がしたい。
私の目はそれは輝いていただろう。本当なら終わっていたはずの人生をやり直せるのだから。
——どんな世界がいい……ってこれはファンタジーの世界だよねぇ。剣と魔法で、もふもふの世界、あるかなぁ。
小鳥が戻ってきて私の肩で首を傾げている。
転生先って好みで探せるの? なんかカタログみたいだな、なんて考えると小鳥に黙っててと怒られた。
私は黙ってますー、あんたが勝手に読んだだけですー。
——ネーテルなんてどうかな?
しばらく無心でいると小鳥が飛び立った。私の前でホバリングしながら嘴を開く。
——日本と季節も似た感じだしー、王都のあたりは治安もいいしー。
「獣人……は?」
——うん。獣人の王国だよ。
その言葉を聞いて即決した。
ここだ。ここがいい。ここにしよう。えっと……ネーデル? 理想の王国じゃないか。
——転生後は君も獣人ってことになるけど。僕の力じゃ種族までは決められないかなぁ。
「いいよ! 獣人になれるなら!」
——君、来た時と性格違わない? ……まあいいやぁ。ネーテルに送った時どこにどんな形で転生してるかもわからないよ。
「大丈夫」
——それじゃあ目を閉じて。力抜いて。
小鳥に与えられたチャンス。
絶対に怖いなんて言わせない、社交的で可愛らしい女の子になってやる。
——じゃあね。君と話すの結構楽しかったよ。
そしてもふもふの獣人になってやる。
こうして、私の柳井渚としての人生は終わりを告げたのです。