記録についての記録
日本人は、古来より記録魔である。
とにかく昔から、この日、自分に何があったか、何を見たか、どこへ行ったか等々、書き記さないと我慢が出来ない人が多かった。
何しろ『世界最古の日記』と呼ばれている『御堂関白記』は、平安時代に藤原道長によって記されたものであるというから、筋金入りである。
考えてみると、その場その場の情感や風景を詠う俳句、川柳、短歌などをしたため、あまつさえ文通をせっせと始めてしまう貴族たちが数多いたのだ。詩の類は日記ではないとは言え、さもありなんである。
さらに順位付けも好きであったようで、江戸時代に入ると、様々なものの番付表、つまりランキング表を作り出して笑い合ったり、卵料理を百以上集めた『卵百珍』コーナー入りの料理本を作ったり。
とにかく、ことあるごとに記録をつけていた。読まれることを意識していたかしていなかったかはこの際語らないが、残しているということは、多少は承認欲求のようなものも、あったのではないだろうか。
さて時代は進んで、インターネット黎明期。
実は、インターネット上、世界で一番使われている言語が『日本語』であったことがある。それがこの時代である。
掲示板、テキストサイト、ブログ。個人も自分の日記や言葉を、世界に向けて簡単に残せるようになった。日本人はこぞって日記を、自分の想いを、デジタル文字にて簡単に残せるようになったのである。
恐らく、平安時代にタイプライターやワープロ、パソコンの類があったのなら、現代と負けず劣らず我も我もと文章を残す人々が更に増えただろう。
文字が下手で汚くても、筆を持つのが億劫でも、キーボードなら簡単に文字をかけるからである。もちろん、これは私の憶測であるが。
ただ、それも今は昔。当時は画像一枚をサイトにアップするのも、それを観るためにダウンロードするのも、速度という抗いがたい制約があった。
なので、日本人は文字でそれを表した。
しかし今はもはや光速ネットの時代。画像どころか、動画ですら簡単にアップロードし、受け取る側は簡単にダウンロードが出来る時代である。
そして実は今も、平安時代に、自らの感動や感情、周囲の情感や気持ちを、文字としてしたため残していた貴族のような存在がいる。
自分の食べるものを撮影し、風景を撮影し、仲間や友達と過ごした時間を撮影し、切り取ったその時間を文字ではなく画像として、世界へと発信する。
ギャルである。
ギャルは現代の平安貴族である。
ギャルこそが、日本人の記録魔の申し子。平安貴族の詩が、彼女らの『映える』画像なのである。
日本人は、古来より記録魔である。
そしてその血脈と民族性は、今も絶えることなく、日本人の中に生きているのである。
そう、日本人は古来よりギャルなのである。
…………
「という論文を書こうと思ってるんですけど、どうですかね教授」
「君、ギャル好きなだけじゃない?」




