空飛ぶこども
羽毛が舞っている。
真っ青な空に、真っ白な羽毛が。
風もないのに。
小さな天使のように。
* * *
いつからスノーボードを始めたのか、翔馬自身には記憶がない。
生まれた時から乗っていたような気さえする。
親に聞くところでは、3歳頃から3つ年上の姉ちゃんにくっついて、ずるり、ずるり、とボードを横滑りさせて笑っていたという。
姉ちゃんがボードを縦にして滑りはじめるとそれにはついていけず、すっ転んで大泣きしてた。と親からは笑い話としてよく聞かされた。
「もうやめてくれよ。恥ずいから。」
そんなふうに言いながらも、小さな男の子がお姉ちゃんについて行こうと必死になっている姿を想像してしまうと「ちょっとかわいいな」と思ってしまう翔馬はナルシストなんだろうか。
自宅からさほど遠くなく行けるところにスノーパークがあったのは、地方都市ならではのラッキーだったろう。
家族でよくそこに遊びに行った。
姉ちゃんが初心者用のアイテムでジャンプをやってみせると、翔馬もすぐに真似したがった。もちろん最初は3歳も年の差がある姉ちゃんと違って、ボードがちょっとだけ雪面から離れるだけだったが。
それを翔馬はひどく悔しがったらしい。これも翔馬自身は覚えていなくて、両親から聞かされた話だ。
そんな翔馬にとって決して忘れられない記憶として、ある光景が鮮明に脳裏に残っている。
姉ちゃんが小学生のスノースポーツの大会でスノボのジャンプ競技に出場するために、このスノーパークで練習をしていた時の光景だ。
空が真っ青に晴れていた。
ジャンプ台から空中へと解き放たれた姉ちゃんは、くるり、くるり、と空を舞っていた。
白いウエアが陽光に輝いて、まるで天使の羽毛が舞っているように見えた。
その時から、翔馬は姉ちゃんのライバルからファンになった。
姉ちゃんは大きなジュニア大会でも優勝したりして、翔馬はその背中を追いかけて滑った。
いつか——。俺も、姉ちゃんみたいに‥‥。
地元ではちょっと話題になっていた。
ジュニア大会のトロフィーを次々にかっさらっていくスノボ姉弟。
姉ちゃんが得意とするのはビッグエアで、その空中での技は「これが小学生か」と言わせるほどのものだった。
翔馬も低学年ながらそれを追いかける。翔馬もまた、年齢別の試合で何度も姉ちゃんが上った表彰台に上った。
上に行くほど練習は苦しく、競技の華々しさとは違って地味な努力の積み重ねだった。
繰り返し。繰り返し。繰り返し。繰り返し‥‥。
遊びで飛んでいた頃とは違うひたすらに地道な練習の積み上げ。その量こそが、競技の瞬間に活きてくる。
翔馬の前には、そんな努力を黙々とやり続ける姉ちゃんの背中がいつもあった。
その結果として、華麗に空中を舞う姉ちゃんの姿がいつもあった。
それが、なくなってしまうなんて‥‥翔馬は思ってみたことすらなかったのだ。
「え?」
3ヶ月は練習どころか、ちゃんと歩くこともできない——。
医者にそう言われたとき、姉ちゃんは病院のベッドでずっと泣いていた。
中学2年生。大きな世界大会への予選を1ヶ月後に控えていた時期だった。
それゆえに無理をしたのか、ひどい転倒事故を起こし足首を複雑骨折してしまったのだ。
このとき翔馬はまだ小学生。姉ちゃんの後を追いかけて、ジュニア大会での連覇を目指していた。
こんな姉ちゃんを初めて見る。
なんと声をかけていいかわからなかった。
3ヶ月間のリハビリを終えて学校に通いはじめた頃、翔馬の憧れだった姉ちゃんはぽつりとスノボの競技から離れると言った。
「怖くなっちゃった‥‥。」
ようやく予選の出場枠をつかんだ直後の大怪我だったため、気持ちが折れてしまったのかもしれない。
翔馬の前から、突然追いかけていた背中が消えてしまった‥‥。
「俺は‥‥!」
姉ちゃんの体、姉ちゃんの人生なんだから‥‥。翔馬が何か言えることじゃない。でも‥‥
「俺はっ! やめない!」
翔馬は半泣きの声で叫んだ。
* * *
やれることは全てやってきた。
この一瞬。この大舞台のために——。
やることは全てやってきた。
だからいけるはず。
それでも、初めてのオリンピックという大舞台で「メダルの期待がかかる」という前評判の重圧に、ともすれば押し潰されそうになって翔馬は緊張してしまう。
リラックス——。リラックス。
ポンと背中を叩かれた。
「いつもの力を出せば、全然楽勝だ。おまえのエアを見せることだけを考えて、行ってこい!」
そう言ってコーチは親指を立てて見せた。
翔馬はうなずいてリフトの方へ行こうとする。その背中を叩くもうひとつの小さな手があった。
翔馬がふり向くと、姉ちゃんが立っている。
「足元の雪ばっか見てないで、上を見てみ。」
姉ちゃんの言葉に顔を上げてみると、異国の空は真っ青に晴れていた。
「期待もプレッシャーも、荷物は全部あたしが下で持っててやるから。あんたは羽のように軽くなってあの空を飛んでおいで!」
ニカっと笑った姉ちゃんが両手で荷物を抱えるような格好をして、それから両手の親指を立てて見せた。
翔馬も笑って片手の親指を立てて応える。
スタート地点で翔馬は、ズズッとボードを横滑りさせてスタート位置についた。
眼前に大きなスロープが広がっている。
もう一度、空を見上げた。
あのときみたいな真っ青な空。
そこに羽毛が舞うのが見えた。
真っ白な天使の舞。
そのイメージに向かって翔馬のボードは走り出した。
了
オリンピック観てて、ついつい書きたくなっちゃいました。ミーハーなAjuです。(^◇^;)
しいなさんの告知『空とぶ◯◯』を見て早速思いついて書いちゃいました。企画は春だそうですが、できちゃったので投稿します。「旧作」になっちゃいますが、よかったら参加させてください。




