4話 もうまじ無理、入学する
三年は見ていなかったであろう綺麗な天井。拠点のものとは明らかに違うそれに、俺は戸惑いを隠せなかった。ひとまず体を起こすと、どこか小学校を思い出す保健室のようである。俺の隣に誰かがいたことには、その時に初めて気がついた。室内にいるにも関わらずローブ? で顔を隠すその姿に、少し混乱したのは秘密だ。
「体に不調はないだろうか?」
「ああ、大丈夫……です」
少なくとも俺のものだとは思えない声が、自身の喉から発されるのを感じる。無意識的に手を首まで運ぶと、いつもよりも滑らかなような気がした。
そんな俺の姿を見た女の人は、腕を組んでこちらを見つめてくる。
「喉を痛めているのか?」
「そう言うわけでは……」
俺のことを心配しているは分かるが、そう見つめられていると気まずい。何か話題でも探そうと辺りを見渡すと、今お世話になっているベッドの横にあった窓、その外ではなくそれに目がいった。窓に映った人の姿、それはあの屋上で鏡に映っていた少女そのもの。その少女が俺だと言うのは、その反射した空間を見てみれば簡単に分かることだった。
「……すみません、少し一人にして貰えませんか?」
「無理だな。君には訊きたいことが――」
「あー、喉が痛くなってきました。少し水が飲みたいですね」
「それなら、今ここで水を出そう」
「魔力でできた水は苦手なので、水を入れてきて欲しいです。できれば、そこそこ遠いところの」
「…………分かった。後で質問はさせてもらうからな」
わざとらし過ぎたのか少し睨まれたが、女性はため息をついて椅子から立ち上がる。そのまま何度も俺の様子を見ながら、部屋の外へと出ていった。
それを見届けて一息つき、俺はもう一度窓に目を向ける。そこに映る少女は本当に俺なのだろうか。現実を認めたくなくて手を振ってみるけれど、ガラスの彼女は俺の動きを完璧に真似していた。
「そっか」
俺は何も守れなかったのか、仲間も何もかも。その上、身体すらも変わってしまった。目がいやに熱くなって、ここには誰もいないのに両手で歪んだ顔を隠す。
溢れる涙をひたすら拭って、それが止まった頃にはすっかり疲れきっていた。枕に頭を預けて、意味もなく天井を眺める。何もしようと思えなくて、ただ胸の中にあった不快感を口から吐くだけ。このまま死んでしまってもいい、むしろ死んだ方がいいとさえ思っていた。それでも気づけば指を上へ向けていたのは、昔からあった癖の残り物だろう。
体にあった魔力を指先に込めて、いつも通りの身体強化――そうであるはずだった。毎日していたから分かるが、明らかに魔力の消費が早い。それだけでなく、俺の体にある魔力が少ないことも気になる。何かがおかしいのは確かだ。
自身の体にある違和感に気づいた時、ドアの方から音が鳴る。近づいてくる足音に顔を上げて見れば、コップを両手に持ったさっきの女性だった。片方を差し出され、ありがとうございます、と言って受け取る。
「気分は落ち着いたか?」
「………………はい」
「そうか。なら、本題に入らせてもらおう」
コップに入れられていた水――白湯だったそれを飲みつつ、ピリついた雰囲気を纏う女性の話に耳を傾けた。
「まずは自己紹介から。私の名前はアスター・メイウッド、アスサキ護学院の学院長を勤めている者だ」
「アスサキ!? ……あっすみません。俺の名前は出南奏です」
礼儀の“れ“の字もない事をしてしまったのも無理はないだろう。なぜなら、アスサキ護学院は三年前に……六年前にも目指していた学校の名前だったから。
自分の事は知らないだろうと思っていても、二回不合格をもらった学校のトップと話すこと。それは俺にとって、気まずい以外の何でもない。縮こまって話が進むのを待っていると、予告通りに質問されることになった。
「君に何があった?」
「何がって言われても――」
「二日前に市街地の南端……スラムの辺りで君を見つけたのだ。それも、魔力欠乏で気を失っていた君をな」
「魔力欠乏……」
俺が魔力欠乏で倒れていた、そんな事はありえない。魔力神経が細い俺に、そんな状況は無縁なはずだ。そもそも使う魔力が少ないのだから、枯渇するまでの時間が長いのは当然。実際、魔力の枯渇すらもこの人生では数える程度しか経験していない。
もしそれが本当なら、相当な事が起こっていたはずだ。それも、俺が魔力を失えるだけのことが。
鏡を見て動揺して、走って。俺はそれから何をしたのだろうか。走って、走って、それ以外に何かをした記憶は残っていない。俺は何もされていないはず。
答えることのできない俺を見かねたのか、学院長はヒントを差し出すように言う。
「その日は徒党間で抗争が起きていたはずだ。それに巻き込まれたのなら説明はつく」
「確かに、俺はあそこにいました」
「……メイ、颯太、アニノ――」
抗争があったと聞いて思い出したのは、質問とは全く関係ないこと。今は連絡の取れなくなったの姿が、俺の脳裏をよぎった。
連絡の通りなら今ごろ逃げているだろうが、それでも無事だと断言する事はできない。メイはともかく、皆は大丈夫だろうか。本当に無意識のうちに呟いていると、肩を掴まれ学院長に切迫した様子で詰められる。
「アニノマを知っているのか!?」
突然の調子の変わり方に、しばらく思考が止まっていた。あの人の知り合いだったのかと思い、肯定しようとした――その直後に頭が冷える。
言い切ってなくて良かった、とそんな事を考えたのはこれが最初で最後だろう。完全に忘れていたが、俺たちは犯罪者の集まりだ。『脱兎』も有名な方だろうし、かなりの爆弾持ちだったことに今さら気がついた。
「いや、あ、兄野って友だちがいて……俺の近くにいませんでしたか?」
「……見ていない、な。すまない」
とりあえず踏み込みにくい話題に曲げて、危険な部分から意識を逸らす。このまま逃げ続けるべきか悩んだが、下手な演技はしない方がいいだろう。このまま前の話に戻して、俺を疑う暇を無くすことにした。
「そうですか。あの日、友だちと一緒にいたんです。そうしたら銃声が……無我夢中で逃げてて、疲労かなにかで気絶したんだと思います。魔力欠乏は心当たりないですけど」
「そうか」
「私の学校に来るか?」
「え?」
あまりにも突然の提案に、俺はそう漏らしてしまう。話の流れが全く読めなくて、揶揄われているのではと眉を顰めた。しかし俺と目を合わせてそう言う姿からは、到底冗談だと思えない。
「何でですか?」
「見捨てたくなかった、それだけだ。私の学校は他校よりも魔法や戦闘の授業が多い。君の友人を助ける時にスラムでは力がいるだろう」
悪意はない、そう言って俺の返事を学院長は待つ。数年前だったなら躊躇いなく受け入れていたはずだが、今の俺の首は動こうとはしなかった。
何の躊躇いもなく俺に入学していいのだ、と言う学院長の姿を見て喜ばなかった訳がない。だが、思っていたよりも俺の心は熱くなっていなかったのだ。
『自分に合った学校で良いと思いますよ!』
あの励まし、振り切ったはずのトラウマが俺の胸に再び現れる。今さら通おうだなんて意志は、正直なところ残ってはいなかった。
そもそも見捨てないと言ってくれたこの人なら、お願いすれば代わりに助けてくれるだろう。何もできない俺よりも、学院長に任せた方が上手くいく。そう思った。
……でも。
「よろしくお願いします」
「良し。私が君を一流の探索者に……いや、違ったな。君を一人前にしよう。こちらこそよろしく」
どうしてか俺の首は縦に振られる。それを見て学院長は微笑み、手を差し出してきた。中学生の時も高校生の時も挫折した学校へと入学する権利、貴重なそれを俺は手に入れたのだった。
本当はそんな気なかったけれど、アニノマがまた徒党を組むまでの間。メイや颯太と連絡がつくまでの間ぐらいなら、もう一度学校へ行くのも悪くないのかもしれない。身体も変わって苦労するだろうが、人生をやり直せる気がした。心のモヤが晴れたのは、絶対に気の迷いじゃない。
「……でも、入学試験は受けさせてほしいです」
「必要ないと判断したが、そうしたいか?」
「はい」